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淡々後漢書  作者: ンバ
第十六、寇恂伝
67/102

東観漢記、寇恂伝前

1.

更始時,大司馬朱鮪在雒陽。上欲南定河內,問禹曰:「諸將誰可使守河內者?」禹曰:「寇恂文武備足,有牧民御眾之才。河內富實,南迫雒陽,非寇恂莫可使也。」上拜寇恂為河內太守,行大將軍事。

(訳)

更始帝の時代、大司馬の朱鮪しゅいが洛陽に在った。

お上は南のかた河内かだいを定めんとして

鄧禹とううに問うた。


「諸将のうちで誰なら

河内を守れるだろうか」


鄧禹は言った。


寇恂こうじゅんは文武を備える事十分で

民をやしない衆を御する

才を有しております。

河内は富貴で、南は洛陽に迫っており

寇恂に任せぬ手はございません」


お上は寇恂を河内太守として

大将軍の事業を代行させた。


2.

上拜寇恂河內太守,恂移書屬縣,講兵肄射,伐淇園之竹,治矢百餘萬。

(訳)

お上が寇恂を河内太守に拝すると

寇恂は属県に回しぶみをして

兵士に武術の講習を受けさせ

弓射を習わせ、

淇園の竹をって

百万余りの矢を治めた。



3.

上傳聞朱鮪破河內,有頃,寇恂檄至,上大喜,曰:「吾知寇子翼可任也。」諸將軍賀,因上尊號。

(訳)

お上は朱鮪が河内を破ったと伝え聞き、

ややあってから寇恂の檄文が至ると

大喜びして言った。


「吾は、寇子翼になら

任せられるとわかっていたよ」


諸将が集まって祝賀し、

そこで尊号へと上った。


4.

寇恂為河內守,上即位,高邑軍食急。恂以驪馬送穀,前後不絕。


(訳)

寇恂は河内の(太)守となり、

お上が即位すると

高邑の軍糧が切迫した。


寇恂は驪馬を以て穀物を輸送し

前後を絶やさなかった。


5.

光武以寇恂為河內太守,行大將軍事。恂同門生董崇說恂曰:「上新即位,四方未定,而君以此時據大郡,此讒人所側目,怨禍之府也,宜思功遂身退之計。」恂然其言,因病不視事。


(訳)

光武帝は寇恂を河内太守として

大将軍の事業を代行させた。


寇恂の同窓生の董崇とうすう

寇恂に説いて言った。


「お上は即位されたばかりで

四方はいまだ平定されておらぬ。


しかして君は

この時を以って大郡に據っているが、

これは、讒謗の者が側目する所で

怨恨や禍を集める事になるぞ。


功績について思慮し、

最終的には身を退く事を

計るべきだろう」


寇恂はその言葉を尤もだと考え

病に因りて事業を視なくなった。


6.

建武二年,寇恂為潁川太守,便道之官,郡大生旅豆,收得一萬餘斛,以應給諸營。


(訳)

建武二年(26)、

寇恂は穎川えいせん太守となると

直接赴任した。

郡には大いに旅豆が発生しており

一万斛を収獲する事ができた。

これに応じて諸陣営へ支給した。


(註釈)

ほぼ内容一緒で表現が淡白。


東観漢記だと、

馬2千頭、租400万斛のくだりがない

董崇は蕭何しょうかの話を引き合いに出さない。


耿況こうきょうの下にいた頃の記述は

散逸しちゃったのかな。


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