表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
淡々後漢書  作者: ンバ
第十六、寇恂伝
66/102

十四・十五、その後の寇氏とまとめ

14.

十三年,復封損庶兄壽為洨侯。後徙封損扶柳侯。損卒,子釐嗣,徙封商鄉侯。釐卒,子襲嗣。恂女孫為大將軍鄧騭夫人,由是寇氏得志於永初間。恂曾孫榮。

(訳)

十三年(36)、

再び寇損の庶兄の寇寿こうじゅ

封じられてこう侯となった。


後に寇損は扶柳ふりゅう侯に改封された。


寇損が卒すると、子の寇釐こうりが嗣いだ。

商郷侯に改封された。


寇釐が卒すると、子の寇襲こうしゅうが嗣いだ。


寇恂の娘の孫が

大将軍の鄧騭とうしつの夫人となり

この事に由り寇氏は

永初年間に志を得た。


寇恂の曾孫が、寇栄こえいである。


15.

論曰:傳稱『喜怒以類者鮮矣』。夫喜而不比,怒而思難者,其惟君子乎!子曰:『伯夷、叔齊,不念舊惡,怨是用希。』於寇公而見之矣。


(訳)

論にいう、

伝はとなえている、


「喜怒、類を以てする者は鮮ない」


そもそも喜んでもしたがわず

怒っていても考慮する事ができるのは

ただ、君子のみである。


孔子は言っている。


伯夷はくい叔斉しゅくせいは旧悪をおもわず

怨みを是として用いるは希であった」


寇公に於いてこれが見られた。



(註釈)

曾孫の寇栄は宦官に消されてしまい

寇氏は以降衰微してしまった。


范曄はんようは寇恂の人品は

伯夷叔斉レベルとしている。



最後に恒例のンバ評です。


戦闘 ★★★★★★★ 7


馮異ふういと組んで河内かだいを防衛。

物量で上回る相手からよく守った。


司馬懿ばりの速攻もこなすし

その辺の賊じゃ相手にならない。



戦略 ★★★★★★★★★★ 10


頭の回転があまりに早すぎる。


更始帝や王郎より劉秀を選び、

河内の戦では虚報を流して完勝、

賈復かふくの手勢を酔わせて危難を避け、

あの耿弇こうえんすら一年攻めて

抜けなかった高峻こうしゅんに一発王手。


並み居る智将をして

「寇恂にはかなわねェ」と言わしめた。


内政が★10になるかと思ったけど

智略の方を★10と判断。


肩書きは「光武の蕭何」だけど

曹参そうしんにも陳平ちんぺいにも普通になれるだろう。


地味にこの人の才能を見抜いてた

耿況こうきょうもすごいよね。



内政 ★★★★★★★★★ 9


いかに河内の物資が潤沢でも

100万本の矢とか租400万斛とか

あんなすぐ用意できるもんなの。


穎川の人たちが嘆願に来るくらい

治政の評判は良かった。

天下統一後も生きてればなぁ。



人格 ★★★★★★★ 7


民に慕われる名太守で私心も持たない。

修身して学ぶ姿勢を持ち、

給料は友達や世話になった人に分け与え

宰相の器量が有ると謳われた。


同僚の閔業をしきりに推薦して

彼は遼西太守になった。


ただ、決断から行動までが早すぎて

常人には理解が追いつかないので

けっこう誤解を招きやすい印象がある。

2節見る限り、相手に過失があると

正論でビシッとやり込めちゃうし。

賈復かふくとも危うく一触即発になりかけていた。


論で引き合いに出された伯夷が

この項目★8なので

一点引いて★7とします。



続いて東観漢記!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ