十四・十五、その後の寇氏とまとめ
14.
十三年,復封損庶兄壽為洨侯。後徙封損扶柳侯。損卒,子釐嗣,徙封商鄉侯。釐卒,子襲嗣。恂女孫為大將軍鄧騭夫人,由是寇氏得志於永初間。恂曾孫榮。
(訳)
十三年(36)、
再び寇損の庶兄の寇寿が
封じられて洨侯となった。
後に寇損は扶柳侯に改封された。
寇損が卒すると、子の寇釐が嗣いだ。
商郷侯に改封された。
寇釐が卒すると、子の寇襲が嗣いだ。
寇恂の娘の孫が
大将軍の鄧騭の夫人となり
この事に由り寇氏は
永初年間に志を得た。
寇恂の曾孫が、寇栄である。
15.
論曰:傳稱『喜怒以類者鮮矣』。夫喜而不比,怒而思難者,其惟君子乎!子曰:『伯夷、叔齊,不念舊惡,怨是用希。』於寇公而見之矣。
(訳)
論にいう、
伝は称えている、
「喜怒、類を以てする者は鮮ない」
そもそも喜んでもしたがわず
怒っていても考慮する事ができるのは
ただ、君子のみである。
孔子は言っている。
「伯夷・叔斉は旧悪を念わず
怨みを是として用いるは希であった」
寇公に於いてこれが見られた。
(註釈)
曾孫の寇栄は宦官に消されてしまい
寇氏は以降衰微してしまった。
范曄は寇恂の人品は
伯夷叔斉レベルとしている。
最後に恒例のンバ評です。
戦闘 ★★★★★★★ 7
馮異と組んで河内を防衛。
物量で上回る相手からよく守った。
司馬懿ばりの速攻もこなすし
その辺の賊じゃ相手にならない。
戦略 ★★★★★★★★★★ 10
頭の回転があまりに早すぎる。
更始帝や王郎より劉秀を選び、
河内の戦では虚報を流して完勝、
賈復の手勢を酔わせて危難を避け、
あの耿弇すら一年攻めて
抜けなかった高峻に一発王手。
並み居る智将をして
「寇恂にはかなわねェ」と言わしめた。
内政が★10になるかと思ったけど
智略の方を★10と判断。
肩書きは「光武の蕭何」だけど
曹参にも陳平にも普通になれるだろう。
地味にこの人の才能を見抜いてた
耿況もすごいよね。
内政 ★★★★★★★★★ 9
いかに河内の物資が潤沢でも
100万本の矢とか租400万斛とか
あんなすぐ用意できるもんなの。
穎川の人たちが嘆願に来るくらい
治政の評判は良かった。
天下統一後も生きてればなぁ。
人格 ★★★★★★★ 7
民に慕われる名太守で私心も持たない。
修身して学ぶ姿勢を持ち、
給料は友達や世話になった人に分け与え
宰相の器量が有ると謳われた。
同僚の閔業をしきりに推薦して
彼は遼西太守になった。
ただ、決断から行動までが早すぎて
常人には理解が追いつかないので
けっこう誤解を招きやすい印象がある。
2節見る限り、相手に過失があると
正論でビシッとやり込めちゃうし。
賈復とも危うく一触即発になりかけていた。
論で引き合いに出された伯夷が
この項目★8なので
一点引いて★7とします。
続いて東観漢記!