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淡々後漢書  作者: ンバ
第二十、銚期伝
51/102

一・二、陛下のお通りじゃい/真定攻略

雲台二十八将の十二位、

天子の露払い、穎川の銚期ちょうき伝。


1.

銚期字次況,潁川郟人也。長八尺二寸,容貌絕異,矜嚴有威。父猛,為桂陽太守,卒,期服喪三年,鄉里稱之。光武略地潁川,聞期誌義,召署賊曹掾,從徇薊。時,王郎檄書到薊,薊中起兵應郎。光武趨駕出,百姓聚觀,喧呼滿道,遮路不得行,期騎馬奮戟,瞋目大呼左右曰「□」,眾皆披靡。及至城門,門已閉,攻之得出。行至信都,以期為裨將,與傅寬、呂晏俱屬鄧禹。徇傍縣,又發房子兵。禹以期為能,獨拜偏將軍,授兵二千人,寬、晏各數百人。

(訳)

銚期ちょうきは字を次況じきょう穎川えいせん(こう)県の人である。


身長は八尺二寸(189センチ)、

容貌は際立って立派であり、

矜厳きょうげんにして威風を有していた。


父の銚猛ちょうもう桂陽けいよう太守となったが

卒してしまい、

銚期は三年間喪に服して

郷里で称えられた。


光武帝は穎川えいせんを略地した後

銚期の志節を耳にして召し寄せ、

賊曹掾ぞくそうえんに署した。


銚期は光武帝に追従してけいを徇った。


この時、王朗の檄文が薊へと至り

薊中で王郎に呼応して兵が蜂起していた。


光武帝が車駕を走らせて

脱出しようとすると、

見物に集まった百姓が

騒ぎ立てて道路に溢れ、

行手を遮られて

進む事が出来なくなった。


銚期は馬に跨って戟を奮わせ、

目を怒らせて大声で左右に呼ばわった。


どけ!!」


人々は皆あまねく従った。


城門へと至る頃には門が已に閉まっていたが

これを攻めて脱出する事がかなった。


行軍して信都へ至ると

銚期は裨将となって

傅寬、呂晏とともに鄧禹に属した。


傍県を徇る一方で房子から兵を徴発した。


鄧禹は銚期を有能であると見なして

彼のみを偏將軍に拝し、兵二千人を、

傅寬、呂晏にはそれぞれ数百人を授けた。


(註釈)

豫州は穎川の産、銚期。

雲台28将の12位です。

同じく穎川出身、

7位の馮異ふういの推挙で光武帝に仕えたよ。


光武帝が168センチくらいで

銚期が189センチだから

イメージは「スラムダンク 」の

花道とリョータやね。


劉秀の河北行きに付き従うが

折しも王郎が兵を集めていて

劉秀一行は追われる身になってしまう。

民衆に囲まれて

にっちもさっちもいかないところで

銚期が大喝一声、免れる事が出来た。


□のとこは文字化けしてるんかと

思ったら、「蹕」らしい。

天子のために先払いをする事。

「どけどけぇ! 陛下のお通りじゃあ!」

って感じかなぁ。


目を怒らせて主君のピンチを

救うってのは

鴻門の会の樊噲を思い出す。


2.

還言其狀,光武甚善之。使期別徇真定宋子,攻拔樂陽、槁、肥累。

(訳)

戻ってその状況を報告すると

光武帝は甚だこれを愛でた。


銚期を別働隊として真定の宋子を徇らせ

楽陽がくようこう肥累ひるいを攻伐させた。


(註釈)

冀州常山国(郡)真定県は

三国時代の趙雲のホームだね。

楽陽県も常山に属しています。


河北を固めて天下取りが

光武帝の基盤となる戦略。


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