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淡々後漢書  作者: ンバ
第十七、岑彭伝
44/102

八・九、荊州整備

8.

彭以將伐蜀漢,而夾川谷少,水險難漕運,留威虜將軍馮駿軍江州,都尉田鴻軍夷陵,領軍李玄軍夷道,自引兵還屯津鄉,當荊州要會,喻告諸蠻夷,降者奏封其君長。初,彭與交阯牧鄧讓厚善,與讓書陳國家威德,又遣偏將軍屈充移檄江南,班行詔命。於是讓與江夏太守侯登、武陵太守王堂、長沙相韓福、桂陽太守張隆、零陵太守田翕、蒼梧太守杜穆、交恥太守錫光等,相率遣使貢獻,悉封為列侯。或遣子將兵助彭征伐。於是江南之珍始流通焉。

(訳)

岑彭は蜀漢しょくかんを征伐せんとしたが

川を挟んで谷(穀物)少なく、

水流が険しくて漕運は困難であった。


威虜いりょ将軍の馮駿ふうしゅん江州こうしゅう、都尉の田鴻でんこう夷陵いりょう

領軍の李玄りげん夷道いどうに布陣させると

自らは兵を引き連れて戻り、津郷しんきょうへ駐屯して

荊州の要衝で合流せんと考え、

諸蛮夷に対して、降伏してきた者は、

上奏してその地の長官に封じる、と諭告した。


当初、岑彭と

交阯こうし牧の鄧讓とうじょうは親善であり、

鄧讓に書状を与えて

国家の威徳を陳べる一方、

偏将軍の屈充くつじゅうをして

江南へ檄文を伝えさせ、

詔命を班行させた。


こうして、鄧譲と

江夏こうか太守の侯登こうとう武陵ぶりょう太守の王堂おうどう

長沙ちょうさの相韓福(かんふく)桂陽けいよう太守の張隆ちょうりゅう

零陵れいりょう太守の田翕でんきゅう蒼梧そうご太守の杜穆とぼく

交恥こうち太守の錫光しゃっこうらが互いに統率し合い、

使いを遣って貢献してきたため、

悉くが封じられて列侯となった。


子を遣わして兵を率いさせ

岑彭の征伐を助けようとする者もいた。


こうして、江南の珍物が

初めて流通するようになった。


9.

六年冬,征彭詣京師,數召宴見,厚加賞賜。復南還津鄉,有詔過家上冢,大長稱以朔望問太夫人起居。

(訳)

六年(30)征途の岑彭は京師を詣で

たびたび召されて朝見し

厚い賞賜を加えられた。


再び南のかた津郷へ戻ると

本家を通過した際に

墳墓の祭祀(墓参り)をし、

大長称(大長秋?)には

朔望(1日と15日)に

太夫人の起居を訪ねよとの

詔があった。


(註釈)

荊州南部や交州の長官、

蛮夷なんかを集めて、

のちの蜀攻めを有利に運ぼうとする岑彭。


岑彭は何気に水軍の指揮がうまい、

というか、本番までに抜かりなく鍛えたんだな。



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