表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
淡々後漢書  作者: ンバ
第十七、岑彭伝
PR
45/102

十・十一、隴を得て蜀を望む/江水の攻防

10.

八年,彭引兵從車駕破天水,與吳漢圍隗囂於西域。時,公孫述將李育將兵救囂,守上邽,帝留蓋延、聯弇圍之,而車駕東歸。敕彭書曰:『兩城若下,便可將兵南擊蜀虜。人若不知足,既平隴,復望蜀。每一發兵,頭須為白。』彭遂壅谷水灌西城,城未沒丈餘,囂將行巡、周宗將蜀救兵到,囂得出還冀。漢軍食盡,燒輜重,引兵下隴,延、弇亦相隨而退。囂出兵尾擊諸營,彭殿為後拒,故諸將能全師東歸。彭還津鄉。


(訳)

八年(32)、岑彭は兵を引き連れて

車駕の天水てんすい撃破に従軍し、

呉漢ごかんとともに西域にて隗囂かいごうを囲んだ。


この時、公孫述の部将である李育りいく

兵を率いて隗囂を救援し、上邽じょうけいを守っていた。

光武帝は蓋延がいえん耿弇こうえんを留めてこれを囲み

車駕は東へと帰還した。


岑彭に書状して勅語するには、


「両城がもし下れば、

すぐに兵を率いて南方を撃ち

蜀を虜とすべきだ。


人とはかくも飽き足らぬものか、

既に隴を平らげながら

復た蜀を望もうとするとは。


一度兵を進発させるたび

頭須が白くなる」


岑彭はかくて谷水を遮って

西城へと注ぎ込んだが、

城が一丈余も水没せぬうちに

隗囂の将、行巡ぎょうじゅん周宗しゅうそう

蜀の救援兵を率いて到り、

隗囂は脱出して城へ帰る事が出来た。


食糧が尽きてしまった漢軍は

輜重を焼き、兵を引き連れて隴を下った。

蓋延・耿弇もまた相(したが)って退却した。


隗囂は兵を出撃させて

後尾から諸屯営を攻撃してきたが、

岑彭が殿軍として後方を拒いだために

諸将は師団を保全して

東へと帰還する事がかなった。


岑彭は津郷しんきょうへと帰還した。


(註釈)

隴西の隗囂かいごうを攻める劉秀たち。


ここで名言炸裂、


ろうを得てしょくを望む」


隴西をすでに平定しようとしながら

更に蜀まで得ようとしている。

人間の欲には取り止めがないという意味です。

岑彭伝が出典だったのか。


そのあと、軍隊動かすたび

白髪がどんどん増えちまうわ、と

自嘲気味に語ってるのが劉秀っぽいなぁ。


11.

九年,公孫述遣其將任滿、田戎、程汎,將數萬人乘枋箄下江關,擊破馮駿及田鴻、李玄等。遂拔夷道、夷陵,據荊門、虎牙。橫江水起浮橋、鬥樓,立欑柱絕水道,結營山上,以拒漢兵。彭數攻之,不利,於是裝直進樓船、冒突露橈數千艘。

(訳)

九年(33)、

公孫述はその部将である

任満じんまん田戎でんじゅう程汎ていはんに数万人を率いさせ

枋箄(木で作った筏)に乗って江関を下り、

馮駿ふうしゅん及び田鴻でんこう李玄りげんらを撃破した。


かくて夷道いどう夷陵いりょうを抜くと

荊門・虎牙に據った。


江水に横たわる浮橋・鬥樓を築き

欑柱を立てて水路を絶ち、

山上に幕営を結んで漢兵を拒んだ。


岑彭はたびたびこれを攻めたが

勝利を得られず、そこで

直進する楼船・冒突・露橈

数千艘を整備した。


(註釈)

馬援から「井の中の蛙」と称された

公孫述ですが、決して無能ではありません。

恐らくは劉秀が隗囂とやり合ってる間に

荊南方面を接収し、

水路のガードをガチガチに固めてしまいます。


さしもの岑彭も正攻法では落とせず、

長期戦になるものとみて

船団の整備にかかりました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ