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淡々後漢書  作者: ンバ
第十八、蓋延伝
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37/102

東観漢記、蓋延伝

1.

蓋延,字巨卿,漁陽要陽人,身長八尺,彎弓三百斤,以氣勢聞。

2.

延為幽州從事。

3.

圍劉永於睢陽,永驚懼,引兵走出魚門,延追擊,大破之。斬其魯郡太守梁丘壽。又破永沛郡太守陳脩,斬之。

4.

時蓋延因齋戒祠高祖廟。

5.

董憲將賁休舉蘭陵城降,憲聞之,自郯圍休。時延及龐萌在楚,請往救之。帝敕曰:「可直往擊郯,則蘭陵必自解。」

6.

延上疏辭曰:「臣幸得受天戈,誅逆虜,奉職未稱,久留天誅,常恐汙辱名號,不及等倫。天下平定已後,曾無尺寸可數,不得預竹帛之編。明詔深閔,儆戒備具,每事奉循詔命,必不敢為國之憂也。」

7.

龐萌還攻蓋延,延與戰,破之。詔書勞延曰:「龐萌一夜反叛,相去不遠,營壁不堅,殆令人齒相擊,而將軍聞之,夜告臨淮、楚國,有不可動之節,吾甚美之。夜聞急少能若是。」

8.

永初七年,鄧太后紹封延曾孫恢為廬亭侯。



(訳)

蓋延がいえんは字を巨卿きょけい漁陽ぎょよう郡要陽県の人である。

身長は八尺、彎弓は三百斤、

気勢を以って聞こえ、幽州の従事となった。


劉永りゅうえい睢陽すいように包囲すると

驚き懼れた劉永は

兵を引き連れて魚門から脱出、

蓋延は追撃してこれを大破した。


劉永の魯郡太守の梁丘寿りょうきゅうじゅを斬った。


一方で劉永の沛郡太守の陳修ちんしゅうをも破り、

これを斬った。


この時、蓋延は齋戒さいかい(身を清め)して

高祖廟の祭祀を行った。


董憲とうけんの部将の賁休ほんきゅう蘭陵らんりょう城を挙げて降伏、

これを聞いた董憲は郯から賁休を囲んだ。


この時、蓋延及び龐萌ほうぼうは楚におり

賁休の救援に向かう事を要請した。


光武帝は詔勅を下して述べた。

「直接向かって郯をつべきだ、

さすれば蘭陵の囲みは間違いなく解かれる」


蓋延は上疏して述べた。


「臣は幸いにも天戈(陛下の軍)を受け

逆虜を誅し、職務を奉じて称えられず

常に名号を汚辱し、等倫(呉漢たち)に

及ばぬのではないかと恐れております。


天下の平定は既に成り、

曾て尺寸も無かったものを

数えられるようになり、

竹帛が編纂(歴史に載る)されるとは

思いもよりませんでした。


聖なる御詔勅に心よりつとめ、

誡めて備えを設け、

事あるごとに詔命を遵奉し

絶対に国の憂患となるような

行為は致しませぬ」


龐萌は反転して蓋延を攻めたが、

蓋延は交戦してこれを破った。


光武帝は詔書を下して蓋延を労った。


「龐萌は一夜にして叛いたが

彼我の距離は遠からず、営壁は堅固ではなく、

殆ど互いの歯を撃ち合うようなものだ。

しかるに将軍はこれを聞いて

夜に臨淮・楚国に告げるという

不動の節義を有しており、

吾はこれを甚だ立派だと考える。


夜に危急を聞いたが、

このような真似は続くまい」


永初七年(113)、鄧太后の介紹により

蓋延の曽孫の蓋恢がいかい廬亭ろてい侯となった。


(註釈)

こちらでは劉永側の太守の名前が書かれている。


ところどころ抜けてるんでしょうが、

東観漢記の蓋延の方が礼儀正しい感じしますね。


劉邦の廟を修復するくだりでは

身を清めて当たっていることや

劉秀への上奏文の恭しい態度といい。


これにて蓋延伝を終わります。

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