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淡々後漢書  作者: ンバ
第十五、来歙伝
29/102

九、当郷県改め征羌国

9.

帝聞大驚,省書攬涕,乃賜策曰:『中郎將來歙,攻戰連年,平定羌、隴,憂國忘家,忠孝彰著。遭命遇害,嗚呼哀哉!』使太中大夫贈歙中郎將、征羌侯印綬,謚曰節侯,謁者護喪事。喪還洛陽,乘輿縞素臨吊送葬。以歙有平羌、隴之功,故改汝南之當鄉縣為征羌國焉。


(訳)

光武帝は(来歙の死を)聞いて大いに驚き、

来歙の上書を見て涙を拭い去ると

そこで策命を賜った。


「中郎将の来歙は連年攻戦し、

西羌・隴右を平定して

国の事を憂えて家の事を忘れ、

その忠孝は顕著なものであった。


※遭命にして害に遇うとは

(善事に倣いながらも凶事に遭遇する、

因果の一致しないこと)、

ああ、哀しいかな」


太中大夫を遣わして

来歙に中郎将・征羌せいきょう侯の印綬を贈り、

節侯と諡し、謁者に喪事を護らせた。


遺体が洛陽へ送還されると

乗輿(天子の車=光武帝)は

縞素(白の喪服)で

吊祭(葬儀)に臨み、送葬した。


来歙の西羌・隴右平定の功を以て

もと汝南じょなん当郷(とうきょう)県を改めて征羌せいきょう国とした。


(註釈)

哀しきかな君叔、

痛ましきかな君叔、

惜しきかな君叔。

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