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九、当郷県改め征羌国
9.
帝聞大驚,省書攬涕,乃賜策曰:『中郎將來歙,攻戰連年,平定羌、隴,憂國忘家,忠孝彰著。遭命遇害,嗚呼哀哉!』使太中大夫贈歙中郎將、征羌侯印綬,謚曰節侯,謁者護喪事。喪還洛陽,乘輿縞素臨吊送葬。以歙有平羌、隴之功,故改汝南之當鄉縣為征羌國焉。
(訳)
光武帝は(来歙の死を)聞いて大いに驚き、
来歙の上書を見て涙を拭い去ると
そこで策命を賜った。
「中郎将の来歙は連年攻戦し、
西羌・隴右を平定して
国の事を憂えて家の事を忘れ、
その忠孝は顕著なものであった。
※遭命にして害に遇うとは
(善事に倣いながらも凶事に遭遇する、
因果の一致しないこと)、
ああ、哀しいかな」
太中大夫を遣わして
来歙に中郎将・征羌侯の印綬を贈り、
節侯と諡し、謁者に喪事を護らせた。
遺体が洛陽へ送還されると
乗輿(天子の車=光武帝)は
縞素(白の喪服)で
吊祭(葬儀)に臨み、送葬した。
来歙の西羌・隴右平定の功を以て
もと汝南郡当郷県を改めて征羌国とした。
(註釈)
哀しきかな君叔、
痛ましきかな君叔、
惜しきかな君叔。