表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
淡々後漢書  作者: ンバ
第十五、来歙伝
25/102

五、道なき処に道を作る

5.

八年春,歙與征虜將軍祭遵襲略陽,遵道病還,分遣精兵隨歙,合二千餘人,伐山開道,從番須、回中徑至略陽,斬囂守將金梁,因保其城。囂大驚曰:『何其神也!』乃悉兵數萬人圍略陽,斬山築堤,激水灌城。歙與將士固死堅守,矢盡,乃發屋斷木以為兵。囂盡銳攻之,自春至秋,其士卒疲弊,帝乃大發關東兵,自將上隴,囂眾潰走,圍解。於是置酒高會,勞賜歙,班坐絕席,在諸將之右,賜歙妻縑千匹。詔使留屯長安,悉監護諸將。


(訳)

八年(32)春、来歙は

征虜将軍の祭遵さいじゅんとともに略陽りゃくようを襲撃したが、

祭遵が道中で病に罹り、帰還した。


精兵を分割させて来歙に隨わせ、

合計二千人余りで山をって道を開き、

番須ばんしゅ回中かいちゅうの道に従って略陽へ至った。

隗囂の守将の金梁きんりょうを斬り、その城を保つと、

隗囂は大いに驚いて言った。


「なんたる神業だ!」


かくて兵数万人、悉くが略陽を囲んだ。

山(木)を斬ってつつみを築き、

激水(激流)を城にそそぎ込んだ

(水攻めを受けた)。


来歙と将士はもとより死ぬ覚悟で堅守し、

矢が尽きると屋舎を発って木を切断、

兵(武器。偽兵?)と為した。


隗囂は精鋭の盡くでこれを攻撃したが、

春から秋へ至るうちに

その士卒は疲弊してしまった。


光武帝がそこで関東の兵を大挙させて

自ら隴西へ上ろうとすると、

隗囂の軍勢は潰走し、囲みは解かれた。


こうして酒盛りが行われる運びとなり、

高官が会同した。

来歙への慰労と賞賜があり、

席次は隔絶し、わかたれた位置に坐して

諸将の右に在った。

来歙の妻にも縑千匹が下賜された。


詔が下されて長安に駐屯し、諸将の悉くを監督した。


(註釈)

祭遵さいじゅんは雲台28将の第9位。

光武帝から容姿を気に入れられて

取り立てられた公平無私なる将。


……が、病欠したので

来歙のみで隗囂に当たることになった。

(祭遵はこの翌年に陣没している)


ついこないだまで

まじめに使者やってたのに

隗囂に光り物で襲いかかるわ

新ルート開通して奇襲してくるわで

一転してトリッキーな攻勢を見せます。


若い頃ちょくちょく長安行ってたり

漢中王劉嘉のもとで過ごしてたり

隗囂のところへ使者に行ったりで

地理には詳しいとみて間違いなさそう。


すぐに隗囂の数万の軍勢に包囲され

水攻めまで受けてしまいますが、

なんとか踏ん張った来歙。


「發屋斷木以為兵」を


屋舎を発って木を切り、武器を作った。

と訳しましたが、

屋舎を壊して木を切って、武器にした。

という感じかもしれません。


略陽攻撃に前後して、隗囂陣営の

王遵の引き抜きを成功させており、

(前のページで来歙擁護してた人)

その王遵の手引きで、隗囂側の

人員兵士が多数光武帝に寝返っています。


光武帝の配下ってほんとみんな万能型ね。


組織としてはゼネラリストが欲しいけど

物語的にはスペシャリストのが

書きやすいもんだから

メディア化に恵まれないんでしょうな。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ