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淡々後漢書  作者: ンバ
第十五、来歙伝
24/102

四、刺客来歙

4.

建武三年,歙始使隗囂。五年,復持節送馬援,因奉璽書於囂。既還,復往說囂。囂遂遣子恂隨歙入質,拜歙為中郎將。時山東略定,帝謀西收囂兵,與俱伐蜀,復使歙喻旨囂將王元說囂,多設疑,故久豫不決。歙素剛毅,遂發憤質責囂曰:『國家以君知臧否,曉廢興,故以手書暢意。足下推忠誠,遣伯春委質,是臣主之交信也。今反欲用佞惑之言,為族滅之計,叛主負子,違背忠信乎?吉凶之決,在於今日。』欲前刺囂,囂起入,部勒兵,將殺歙,歙徐杖節就車而去。囂愈怒,王元勸囂殺歙,使牛邯將兵圍守之。囂將王遵諫曰:『愚聞為國者慎器與名,為家者畏怨重禍。俱慎名器,則下服其命;輕用怨禍,則家受其殃。今將軍遣子質漢,內懷它誌,名器逆矣;外人有議欲謀漢使,輕怨禍矣。古者列國兵交,使在其間,所以重兵貴和而不任戰也,何況承王命籍重質而犯之哉?君叔雖單車遠使,而陛下之外兄也。害之無損於漢,而隨以族滅。昔宋執楚使,遂有析骸易子之禍。小國猶不可辱,況於萬乘之主,重以伯春之命哉!』歙為人有信義,言行不違,及往來遊說,皆可案復,西州士大夫皆信重之,多為其言,故得免而東歸。


(訳)

建武三年(27)、

来歙は初めて隗囂かいごうに使いした。


五年(29)、

再び節を持って馬援ばえんを送り、

隗囂に璽書を奉じさせた。


帰還した後、

再び往きて隗囂に説いた。


隗囂はかくて子の隗恂かいじゅん

来歙に隨わせて人質に遣り、

来歙は拝されて中郎将ちゅうろうしょうとなった。


当時、山東さんとうが攻略・平定され

光武帝は西の隗囂の兵を集めて

倶に蜀を攻伐せんと謀った。


再び来歙が使者に遣わされ、

隗囂の部将の王元おうげん

その旨を隗囂に説くように諭したが、

多くの疑念が敷設されたために

(隗囂は)久しく猶予いざよい、結論が出なかった。


来歙はもとより剛毅であり

とうとう憤りを発して

隗囂を責め質した。


「国家は君の臧否と

興廃の明らかなる事(善悪の見極めが正確)

を知った故に、手ずから書状を以て

そちらの意思を延べようとしたのだ。


足下は忠誠を推して

伯春(隗恂?)を人質に遣った。

これは主に臣従して

信義を交えたという事であろうに、

今、反対に佞臣の惑わしの言葉を用いて

一族を滅亡させる計を為そうというのか!


主にそむけば子もそむいたことになり

忠信にそむき、違える事になるのだぞ?


吉凶の決定は、今日にある!」


来歙は進み出て隗囂を刺そうとした。


隗囂が起ち入り、おさめる兵をべて

来歙を殺そうとすると、

来歙は徐に節をついて

車に乗って逃げ去った。


隗囂はいよいよ怒り、

王元は隗囂に来歙を殺す事を勧め、

牛邯ぎゅうかんに兵を率いさせて

これを包囲、監守した。


隗囂の部将の王遵おうじゅんが諌めて言うよう、


愚生わたしは、

国を為す者は器量と名分を慎み、

家を為す者は禍が重なる事を

畏怖すると聞き及んでおります。


名と器を倶に慎めば則ち

下々がその命に服し、

怨禍を軽々しく用いれば則ち

家々がそのわざわいを受けるのです。


今、将軍は御子を漢に人質に遣られながら

内には二心を抱いて名と器の道理に背かれ、

外には人に漢に仕えるための謀を

合議させんとして、怨禍を軽んじております。


古の者は国を列べて兵を交えておりましたが、

使者がその間に在りて

兵を出す事を憚り、融和を貴しとする事で

戦を許さなかったのです。


況してや、王命を承けて

重要な人質をきながら

これを犯されるのですか?


君叔(来歙)はひとり車に乗って

遠方から遣わされた

陛下(光武帝)の外兄であります。

彼を害してしまえば漢を損ねる事となり

随って族滅されてしまいますぞ。


かつて宋は楚の使者を捕えて

ついには孩児が屍に変わるほどの

禍に見舞われました。


小国すらなお辱められませぬのに

況してや万乗の主ならば尚更でしょう。

伯春はくしゅん様の御命を重んじくださいませ」


来歙の人となりは、

信義があり、言行を違えず、

往来に及んで遊説し、考えや言動は全て善く

西州の士大夫は皆彼を信頼・尊重しており、

多くが王遵の言葉に賛同したために

免れて東に帰ることができた。



(註釈)

訳かなり不安…………。


来歙と、

光武帝への帰順を決めた馬援の働きかけで

人質送ることを承諾させて

隗囂へのアドバンテージを築きました。


文脈的に「伯春」は、息子の隗恂の字かな?



来歙

「公孫術攻めるんで、兵出してもらえません?」


隗囂

「すみません。ちょっと、無理っすわ」


来歙

「あ? 陛下はあんたを信じて

書簡を送ったんだぞ。

すでに人質を出しておきながら

佞臣の言葉を用いて滅びの道を辿るのか。


なら、この場で俺が殺ってやる」


かくて

刃物で襲い掛かってくる来歙。

これ、刺客列伝だったっけ?



西州で人望があったために

どうにか切り抜けられたようです。


南陽の人なのに、

西の方で人望があるのは地味にすごいな。

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