↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
淡々後漢書  作者: ンバ
第十五、来歙伝
PR
23/102

三、隗囂と公孫述はワイにまかせぇ

3.

帝見歙,大歡,即解衣為衣之,拜為太中大夫。是時方以隴、蜀為憂,獨謂歙曰:『今西州未附,子陽稱帝,道里阻遠,諸將方務關東,思西州方略,未知所任,其謀若何?』歙因自請曰:『臣嘗與隗囂相遇長安。其入始起,以漢為名。今陛下聖德隆興,臣願得奉威命,開以丹青之信,囂必束手自歸,則述自亡之勢,不足圖也。』帝然之。


(訳)

光武帝は来歙に見えて大いに歓び、

即座に衣を脱いで彼の衣とした。

拝されて太中大夫《たいちゅうたいふ》となった。


当時はまさに隴右《ろうゆう》や巴蜀《はしょく》に憂患があり、

(光武帝は)獨り来歙に謂った。


「今、西州は開府しておらず、

子陽《しよう》(公孫述)が称帝しており、

道里は阻遠、諸将はまさに関東に務め、

西州の方略を思案しようにも

任用する所がわからない。

その謀について、若《なんじ》はどう思う?」


来歙は自ら請願して述べた。


「臣は嘗て隗囂《かいごう》と長安で遇い、

彼が(隴西に)入りた始起は

漢を以て名目と為しておりました。


今、陛下の聖なる御徳が

隆興しております。

どうか臣に威命を奉じさせ

※丹青《たんせい》の信を開かせてください。


(※赤と青の絵の具。転じて

一個人が数々の手柄を立てるという比喩)


隗囂は必ずや手を縛って自ら帰順し、

則ち、公孫述は自ずと敗亡の勢いとなり

囲むには足りませぬ」


光武帝は来歙の意見も尤もだと考えた。



(註釈)

孫権と魯粛の時もそうだったけど

二人だけの密談なのに史書には載っている。


河北を基盤として洛陽《らくよう》を攻伐、

呉漢《ごかん》や蓋延《がいえん》が梁王・劉永《りゅうえい》を平定。

大樹将軍・馮異《ふうい》が関中《かんちゅう》の赤眉を平定。

斉で抵抗を続ける張歩《ちょうほ》は

2代目国士無双、耿弇《こうえん》が撃破。

鄧奉《とうほう》や龐寵《ほうちょう》など、

味方から反逆者も出ましたが

関東や関中を平定してゆく劉秀陣営。


残るは関西側、

隴西の隗囂《かいごう》、蜀の公孫述《こうそんじゅつ》、

(あと匈奴に属する盧芳《ろほう》など)

が、光武帝の天下統一ロードを

最後まで遮ろうとしました。


隗囂は変転常なき姿勢ながら

光武帝の軍勢を二度退けており

かなり侮れない相手です。


隗囂を放置しておくと、

蜀を攻めるにしても

挟み撃ちにされちゃう懸念があるので、

光武帝としては一刻も早く

これを処理しておきたかったはず。


その調略を、

関中にゆかりのある来歙と

馬超《ばちょう》の祖先の馬援《ばえん》が担当します。


どちらも、外交官としても

武将としても優秀な万能型です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。