表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
淡々後漢書  作者: ンバ
第十五、王常伝
16/102

東観漢記、王常伝

1.

其先鄠人,常父博,成、哀問轉客潁川舞陽,因家焉。


2.

以常行南陽太守事,誅不從命,封拜有功。


3.

上於大會中指王常謂群臣曰:「此家率下江諸將輔翼漢室,心如金石,真忠臣也。」是日遷常為漢忠將軍。


4.

率騎都尉王霸共平沛郡賊苗虛。


5.

王常為橫野大將軍,位次與諸將絕席。


6.

山桑侯王常孫廣坐楚事,國除。



(訳)

その祖先は県の人である。

王常の父の王博おうはくは、成帝・哀帝の時代に

潁川えいせん舞陽(ぶよう)県に客寓し、家とした。


(更始帝は)

王常に南陽太守の事業を兼任させた。

命に従わぬ者を誅殺し、

功績によって拝され(知命侯に)封じられた


光武帝は大会の最中に

王常を指して群臣へ述べた。


「彼の家は下江の諸将を率いて

漢室を輔翼し、心根は金石の如く。

真の忠臣である」


騎都尉きとい王覇おうはを率いて

ともに沛郡の賊の苗虛びょうきょを平定した。


山桑侯の王常の孫である王広は

楚の事件に連座して、国を除かれた。



(註釈)

短いので一気にやっちゃいました。

後漢書になかった情報は以下。


①父親の名前は王博おうはく

②祖先が県から客寓した

③更始帝の命に従わない者を殺した

④沛の賊の名前は苗虚びょうきょ

⑤王広は息子でなく孫


旅先に移り住むのは

甘寧の家と同じパターンですね。


甘寧のモデルはもしかすると王常?


・祖先が本籍地から客寓

・元はアウトロー

・暗君から名君に鞍替えしてる

・よく前線に派遣されてる

・子孫がやらかして左遷された



③がちょっと怖い。

思ってたより更始帝シンパだったのか。


散逸しちゃったんでしょうけど

もうちょっと情報欲しかったなぁ。


続いて鄧晨とうしん伝やります。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ