東観漢記、王常伝
1.
其先鄠人,常父博,成、哀問轉客潁川舞陽,因家焉。
2.
以常行南陽太守事,誅不從命,封拜有功。
3.
上於大會中指王常謂群臣曰:「此家率下江諸將輔翼漢室,心如金石,真忠臣也。」是日遷常為漢忠將軍。
4.
率騎都尉王霸共平沛郡賊苗虛。
5.
王常為橫野大將軍,位次與諸將絕席。
6.
山桑侯王常孫廣坐楚事,國除。
(訳)
その祖先は鄠県の人である。
王常の父の王博は、成帝・哀帝の時代に
潁川郡舞陽県に客寓し、家とした。
(更始帝は)
王常に南陽太守の事業を兼任させた。
命に従わぬ者を誅殺し、
功績によって拝され(知命侯に)封じられた
光武帝は大会の最中に
王常を指して群臣へ述べた。
「彼の家は下江の諸将を率いて
漢室を輔翼し、心根は金石の如く。
真の忠臣である」
騎都尉の王覇を率いて
ともに沛郡の賊の苗虛を平定した。
山桑侯の王常の孫である王広は
楚の事件に連座して、国を除かれた。
(註釈)
短いので一気にやっちゃいました。
後漢書になかった情報は以下。
①父親の名前は王博
②祖先が鄠県から客寓した
③更始帝の命に従わない者を殺した
④沛の賊の名前は苗虚
⑤王広は息子でなく孫
旅先に移り住むのは
甘寧の家と同じパターンですね。
甘寧のモデルはもしかすると王常?
・祖先が本籍地から客寓
・元はアウトロー
・暗君から名君に鞍替えしてる
・よく前線に派遣されてる
・子孫がやらかして左遷された
③がちょっと怖い。
思ってたより更始帝シンパだったのか。
散逸しちゃったんでしょうけど
もうちょっと情報欲しかったなぁ。
続いて鄧晨伝やります。