六、楚王に連座し封国没収
6.
子廣嗣。三十年,徙封石城侯。永平十四年,坐與楚事相連,國除。
(訳)
子の王広が嗣いだ。
三十年(54)、石城侯に徙封された。
永平十四年(71)、
楚の事件(楚王の劉英の反乱)と
相連なっていた(加担していた)事に連座して、
国を除かれてしまった。
(註釈)
あーーーーあ。
光武帝の死後、太子劉荘が後を継ぎます。
これが明帝です。
雲台28将は、光武帝ではなく
明帝が選出したものなので、
彼の時代まで生きてた人たちが
上位になっている傾向にある気がします。
光武帝がチョイスすると
どーゆー順番になるんだろ?
70年に明帝の異母兄の劉英が
謀反を画策して露見、封国没収。
加担していたとして王常ジュニアも失脚。
失う時はアッサリだぜっ。
最後に、ワシの個人的な王常評です。
戦闘 ★★★★★★★★ 8
〜王常の戦績〜
●荊州(VS荘尤)
○上唐(VS荊州牧)
○沘水西部(VS甄阜・梁丘賜)
○昆陽(VS王尋・王邑)
○南陽(VS 鄧奉・董訢)※劉秀が親征するまで抜けてない
○河間
○漁陽(VS彭寵?)
○諸所の屯聚を平定、勝利数+3
○湖陵
○桃城(VS 蘇茂・龐萌)
○下邳
○沛郡(VS※苗虛)※東観漢記
●隴西(VS隗囂)※李通は王覇らと組んで延岑に勝利
○朝那(VS高峻)
○烏氏(VS隗囂)
○※羌族らを降伏させる、勝利数+3
△(VS盧芳)※「拒」なので勝ってるかどうかわからぬ
21戦18勝2敗1分
桃城っていうと、テニプリの
ダンクスマッシュ使い思い出すなぁ。
ふつうに強いっ!!
昆陽の戦いの大勝利は、
王常の奮闘なくして有り得ませんでした。
初期の対荘尤での敗戦に関しては、
劉秀たちだって小長安でやられてるので
マイナスに捉えないでおきます。
席次がぶっちぎりだったようなので
光武帝の評価もめちゃんこ高かった模様。
・戦略 ★★★★★★ 6
盗賊団にあって舂陵の劉兄弟の将来性を
いち早く見抜いた先見性がすごい。
下江軍の仲間だった成丹や、
王匡は更始帝について死んでるし。
張卬や王鳳も、その後特に出てこないということは……。
しかし、後漢書は戦闘描写が淡白すぎます。
本当はもっと計略とか使ってるんでしょうけど……。
そして、せっかく勝ち馬に乗れたのに
子孫が封国除かれたのが本当に残念。
・内政 ★★★★★★ 6
常性恭儉,遵法度,南方稱之。
とあるので、盗賊出なのに法を遵守スタイル。
イメージに反して統治能力もあります。
・人格 ★★★★★★ 6
冒頭で弟の仇討ちをしたとあるので
身内のために命張れる人だと思います。
性格は恭しく倹しい。
もうちょっと描写が欲しかったーっ!
やはり劉秀の配下は万能型が多いです。
これにて王常伝を終わります。




