三、十二字で流される昆陽の戦い
3.
及諸將議立宗室,唯常與南陽士大夫同意欲立伯升,而朱鮪、張卬等不聽。及更始立,以常為廷尉、大將軍,封知命侯。別徇汝南、沛郡,還入昆陽,與光武共擊破王尋、王邑。更始西都長安,以常行南陽太守事,令專命誅賞,封為鄧王,食八縣,賜姓劉氏。常性恭儉,遵法度,南方稱之。
(訳)
諸将が宗室を擁立する件を僉議するに及び
(盗賊がみんな劉玄を推すなか)、
王常だけは南陽の士大夫に同意して
劉縯を立てようとした。
しかし朱鮪や張卬らは聞き入れなかった。
更始帝が立つに及んで
王常は廷尉、大将軍となり
知命侯に封じられた。
別れて汝南・沛郡を徇り、
帰還して昆陽に入ると、
光武帝とともに王尋、王邑を撃破した。
更始帝は西のかた長安を都とし、
王常に南陽太守の事業を兼行させ
誅殺や賞与の命を専断出来るようにした。
封じられて鄧王となり、食邑は八県。
劉氏の姓を賜った。
王常の性格は恭倹で、
法度に遵ったので
南方の人々は彼を称えていた。
(註釈)
「徇」
范曄この言い回し好きねぇ。
たぶん「循行」に近いニュアンス。
苦戦はしたものの、最終的に
甄阜、梁丘賜、荘尤らに勝利を収めた
荊州の反乱軍は、戦勝の勢いに乗って
劉氏から皇帝を立てる流れになりました。
そこで、豪族のグループは
劉縯を皇帝に推し、
盗賊団グループは、王常以外が
劉玄を皇帝に推しました。
朱鮪や王鳳といった
盗賊らにしてみれば
豪族たちにより強い発言権与えたら
自分たちが淘汰されるのは自明なので、
同じ劉氏を擁立するなら、惰弱かつ
馴染みのある劉玄の方が
都合が良かったわけです。
もともと南陽豪族と盗賊団は
官軍に対抗する頭数が足りないから
共闘していただけであって、
全然一枚岩ではなかったのでした。
また、
昆陽の戦いが端折られてますが、
43万対8千の絶望的戦力差でした。
劉秀たちはわずか13騎で脱出、
周囲の郡県に協力の要請に向かい、
王常は留守番担当、昆陽に籠城しました。
官軍の主導は王尋、王邑、荘尤。
昆陽の城へは矢が雨霰と降り注ぎ、
背中に板を背負っていないと
水の調達も出来ないレベルの
猛攻が展開されたようです。
この時、劉縯や更始帝の主力部隊は
宛を攻略中であり、荘尤は、
「昆陽はほっといてあっち攻撃しようよ」
と提案しますが、
王邑は以前、反乱指導者の翟義を
生け捕りに出来なかったことで
王莽からキツイお叱りを受けていたため
昆陽を落とすことに固執してしまいます。
城に籠る王常たちも
よく頑張っていましたが、
さすがに多勢に無勢が過ぎ、
降伏しようとします…………が、
王邑と王尋は、勝利は目前だとして
これも突っぱねてしまいます。
こうなると、城の兵士たちは
退路はないものと見て、
死に物狂いで応戦してくることに
気が付かなかったのでしょうか。
こうして、劉秀たちに奇跡を起こさせる
僅かな余地が生まれてゆくのでした。




