一、荊州のアウトローたち
李通伝に続き、後漢書列伝第五から
盗賊集団「下江軍」を率いて
劉秀に帰順した王常伝。
劉秀の配下「雲台二十八将」には
身内は含まれていないのですが、
この巻に入っている四人含めて
「雲台三十二将」と称する場合もあります。
1.
王常字顏卿,潁川舞陽人也。王莽未,為弟報仇,亡命江夏。久之,與王鳳、王匡等起兵雲杜綠林中,聚眾數萬人,以常為偏裨,攻傍縣。後與成丹、張卬別入南郡藍口,號下江兵。王莽遣嚴尤、陳茂擊破之。常與丹、卬收散卒入蔞谿,劫略鐘、龍間,眾復振。引軍與刑州牧戰於上唐,大破之,遂北至宜秋。
(訳)
王常は字を顔卿、潁川郡舞陽県の人である。
王莽の末年、
弟の仇に報い、江夏に亡命した。
久しくして、王鳳、王匡らとともに
雲杜・緑林(地名)中にて挙兵し
数万人の手勢を集めた。
(緑林軍は)
王常を以て偏裨(副将)とし、
周辺の県を攻めた。
その後、成丹・張卬とともに別れて
南郡の藍口へと入り、「下江兵」と号した。
王莽は厳尤、陳茂を派遣してこれを撃破した。
王常は成丹、張卬とともに
離散した兵卒を纏めて蔞谿へ入りて
鐘、龍の間で略奪を働き、
その勢力は再び振るった。
軍を引いて荊州牧と上唐で戦い、
これを大破すると、
かくて北のかた宜秋へと至った。
(註釈)
14年の呂母の乱に端を欲し、
18年に本格始動した
山東方面の赤眉軍の反乱は
凄い勢いで拡大しており、
22年に派遣された朝廷の討伐軍も
返り討ちにしてしまいました。
新王朝の求心力はいよいよ低迷し、
各地で反乱が続出。
かくて、荊州の緑林から出た
反政府グループ「緑林軍」
が、「下江軍」に分派。
メインメンバーがだいたい王姓なので
覚えやすいと思います、王常、王鳳、王匡。
弟の仇討ちで逃げてたってのが
任侠っぽいですね。




