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捕虜奪還作戦、開始!

「これより、我がエスカラーダ帝国軍は、大規模な捕虜奪還作戦を敢行する。貴官ら暗号解読班には、本総作戦の『中枢』として機能してもらう」


 コゼットが暗号解読班に加わってからおおよそ三ヶ月。

 その日、暗号解読室に姿を現したジェイドによって告げられた言葉に、一同は大きく息を飲んだ。

 ぴんと空気が張り詰める緊張感。

 皆の視線が、まるで突き刺すかのようにジェイドに集中する。


「斥候の報告によると、敵捕虜収容所が存在するバスクダ砦へ、リヴォルタ連合の筆頭公爵・ルシュフォード卿が視察に赴くとの確報(かくほう)を得た。

 好機である。この機に乗じ、敵の通信網へ偽謀(ぎぼう)暗号を注入する。『公爵の奉迎(ほうげい)のために砦の主力を割け』と偽の軍令を回し、収容所周辺の防衛線を一時的に無力化させる」

「おお、……ついに、……」


 思わず言葉を漏らしたのは、暗号解読班の主任であるマルシオだった。

 本来、このような決断の場面において部下が口を差し挟むのは無礼にあたる。

 しかしマルシオの家族がリヴォルタ連合の捕虜として捕えられている事は周知の事実であり、皆がマルシオがいかにその事に心を砕いてきたかを知っていた。

 ジェイドは咎める代わりに、ただ一度だけ静かに視線を向ける。

 その瞳には、部下の無念と希望を背負う覚悟が宿っていた。


「作戦実行は7日後……マイヤー男爵令嬢には偽の軍事指令の作成を依頼する。解読班各位は令嬢の補佐を最優先とせよ」

「かしこまりました」


 各員が深く頷き、ジェイドが踵を返す。

 その途中でふと動きを止め、振り返った。


「マイヤー男爵令嬢、こたびの作戦は貴殿の協力があってこそ初めて実現したものだ。心より感謝申し上げる」

「い、いえ、そんな……」


 恐縮するコゼットに、ジェイドは僅かに笑みを浮かべ、再び踵を返して立ち去っていった。

 その姿が見えなくなると、マルシオはどこか放心したように椅子に腰をおろした。


「ようやく……ようやく、か」


 マルシオは表情豊かで親しみやすい男だが、こと個人の感情に関してはあまり表に出すことはなかった。だが、今の彼の声は抑えきれない様々な感情の波によって震えている。


「今まで、救出作戦が実行された事はなかったのですか?」


 コゼットが小声でケネスに尋ねると、ケネスは困った様子で眉尻を下げた。


「捕虜の多くが一般人であった事が、作戦の決行をより困難にしていたのです。兵士ならば移動において多少の無茶も利きますが、老若男女が含まれるとなればそうもいきません。

 軍部も再三にわたり奪還作戦を立案したものの、潜入・退路の確保における兵站的リスクが過大であると判断され、決行には至りませんでした」

「一般人の捕虜……?」


 それはコゼットにとって初耳だった。思わず問い返すと、ケネスは悔恨の深さに押されるように目を伏せる。


「……先の海戦において我がエスカラーダ帝国は、アゾール独立代将が率いる艦隊の奇襲が成功しました。これによってリヴォルタ連合の海軍は壊滅状態に陥ったのです。

 たった一度の戦闘でリヴォルタ連合は艦隊の7割を失ったとも言われています。当然、この敗退によって連合側は撤退を余儀なくされました」


 コゼットは大きく頷いた。

 この話は帝国内でもっとも新しい英雄譚として広く知られている。


「ええ、そこまでは聞き及んでおります」


 押され気味であったエスカラーダ帝国は、海戦での大逆転によって一気に旗色がよくなった。

 リヴォルタ連合は大打撃を被った上に、船の多くが沈められたことで撤退する事になったのだ。

 その立役者として知られているのがディエゴ・アゾール、……現在は提督の地位についている人物である。

 海軍のディエゴ・アゾールと言えば、ジェイド・アルフレートとともにエスカラーダ帝国の“鋼鉄の二翼”とも称される人物である。

 『海の鷹・ディエゴ』と『陸の死神・ジェイド』。

 この二将あってこそ、帝国は数で勝るリヴォルタ連合と拮抗を保っているのだとも言われるほどだ。


「その後、敗戦処理のためにカパルディ元帥が提示した講和勧告を一度は受諾したのです」


 そこでケネスは表情を曇らせた。感情の読みにくい瞳に混ざるのは悔恨と、そして怒りだろうか。


「しかし、リヴォルタ連合は正式な調印式を前に突如それを反故にしました。そして宣戦布告もなく国境線へと侵入。非武装の街を強襲し、物資や領民の略奪を敢行したのです」

「……そんな、ことが?」

「海戦での大勝により、帝国軍全体がすでに戦いが終結したと思い込んでいた最中の出来事でした。大小さまざまな祝賀会が催され、国中が沸いていた最中の出来事です。

 まさに冷や水を浴びせかけられた形となった中央軍部は初動の立ち回りに出遅れる事となりました。結果として、この突如の蛮行において帝国側の対応はことごとく後手に回ることとなったのです。

 国境全域の街から数多の領民が『捕虜』として連行されました。帝国は幾度となく公式な返還要求を行ってきましたが、連合軍側は一切の外交交渉を黙殺し続けています」


 コゼットは大きく息を飲んだ。

 中央軍部において最も発言力があるのはカパルディ元帥である。

 ――ビクトリアをスケープゴートに、ジェイドの評判を落とそうと画策していた犯人である可能性が最も高い人物でもある。

 そのカパルディ元帥がいるにもかかわらず、半年ほど前に辺境伯であるジェイド・アルフレートが中央に召喚され、指揮権の多くが譲渡された。

 公の理由としては「リヴォルタ連合との戦いにおいて泥沼化を防ぐため」とされていたが、それだけではないだろうと囁かれていたのだ。

 恐らく、このリヴォルタ連合の略奪行為に対して後手に回ったことこそが、真の理由であったのだろう。


「まさか、そんな恐ろしい事になっていたなんて……。行方不明者の話は時折耳にしていました。でもそれらは森に潜む恐ろしい獣の仕業だとか、そんな話ばかりで。市場の商人たちの誇張された噂話かとばかり思っていました」

「民の混乱を防ぐため、帝国は公式発表を控え、情報統制を敷いていましたからね。国境沿いの悲劇は『怪聞』として処理されていたのです。カパルディ元帥は情報統制はお上手ですからね」


 ケネスの最後のひと言は刺すような鋭さがあった。お祭りムードでろくに軍を動かせなかった人物が失態隠しだけは上手くやったとなれば、嫌味の一つも言いたくなるのだろう。


「宣戦布告もなしに襲ってくるなんて……」

「連合軍側としては“そもそも停戦条約を結んでいない”と言う事なのでしょう」

「理屈として成り立っても筋が通ってるとは思えません」


 マイヤー家も田舎貴族であるものの、国境からはまだ遠い。

 だが、一歩間違えば自分たちの領地が襲撃を受けていた可能性は十分に存在しただろう。

 そして、その襲撃から逃れられなかった者たちがいる。それがマルシオの家族である。

 捕虜として捕えられていると知りながら、ただ待ち続けるだけの日々はいかに苦痛に満ちていただろうか。それは、想像だけでは足りないほどに、彼とその家族を苛み続けてきたのだろう。


「ですが今回、マイヤー男爵令嬢が連合軍の暗号解読に成功したため、奪還作戦が実行可能となったのです」


 いつの間にかケネスの話に聞き入っていた暗号解読班のメンバーが、その言葉に力強く頷いた。

 マルシオは無骨な拳を握りしめ、その瞳には微かに光るものが滲んでいる。


「……事情はよく分かりました。任せて下さい。必ずや解読班の皆さんと一緒に、完璧な暗号文を仕上げてみせます」


 コゼットが固く拳を握りしめると、解読班の面々も力強く頷き返したのだった。




 偽の暗号文作りは、慎重に慎重を重ねて進められた。

 まず軍人であるマルシオとルーディが軍部の規則に則った文書を作り上げ、言語学者であるコランがリヴォルタ連合の言語文化に基づいて検証する。

 そこで出来上がった文書をコゼットが暗号化し、メンバー全員で何度か復元を繰り返してチェックする。


【Be it known that on the XIIth of September, the Duke of Rochford cometh to inspect Fort Bascuda. Leave but a skeleton guard at the prisoner compound, and mobilize the whole garrison to accord him welcome.】


 意味は「9月12日、ルシュフォード公爵がバスクダ砦を視察に訪れる。捕虜収容所には最小限の警備隊のみを残し、全守備隊を動員して公爵を歓迎せよ」である。

 これを現在のキーである【GLORY】を使って暗号化、句読点を省いて5文字綴りに変更する。

 ちなみに5文字綴りは暗号の絶対的な規定ではなく、使用する側が独自に定めている運用ルールである。今回の場合はリヴォルタ連合側が常に5文字綴りを使用しているため、コゼットたちもその仕様に倣っていた。

 そうして出来上がった暗号が以下である。


【HPWKI TZKER NLHFL ZSSOG OEVFD YPDKC SMSIR NPRLI KZTIM ISTFP JNCDC

 ZSHFG TDDVA ZQCIR HLGTS JLZVY BPPLR GDYVJ KECEE ALFUY ZEVVN XTGFL

 KCQFK VZIEB GYRDM HTZZX KEVVU NZZVE GCFZQ UYHFY INCIB NTANC RNCDC】


 幾度かの暗号化と復元を繰り返し、万が一にも間違いがないかを確認する。

 出来上がった暗号は軍の諜報部に届けられ、あとは作戦決行の直前に、この偽暗号を敵の通信網へ紛れ込ませるだけだった。

 救出部隊は商隊を装い、あるいは夜間にのみ移動し、すでにバスクダ砦付近への潜伏を終えている。

 作戦決行まであと僅か。

 暗号解読班のメンバーはその誰もが、期待と不安を胸に抱いていた。


「た、大変ですッ!」


 軍部の連絡員が顔を真っ青にして部屋に駆け込んできたのは、偽の暗号文を提出した2日後、作戦決行をあと2日に控えた日のことだった。

 

「どうした! まさか暗号文に不備があったのか!?」


 マルシオの怒号に近い問いに、連絡員の男は首を振る。

 それもそのはずだ。コゼットが暗号文を作りあげ、それを暗号解読班の全員で再三にわたりチェックしたのだ。間違っているはずがない。

 連絡員は一度、苦しげに歯噛みすると、重い口を開いた。


「……鍵が、変わったのです」

「鍵が……?」

「はい、こちらは昨日『バスクダ砦』に届けられた連合軍側の最新指令書です。ご覧ください」


 【XRSRI RXIQR PWSEL THUNI SIMRM GIIUE RXIXI LETEL RERGJ JPLA】


 コゼットは慌てて筆記帳を広げると、手早く暗号文を書き写していく。

 解読班の面々も一斉にペンを動かしたが、やがて一人、また一人と頭を抱えて項垂れた。


「……解けない。鍵が【GLORY】じゃなくなった……?」


 指先からすうっと血が引いていくような絶望感。

 鍵が変化したならば、敵を欺くための偽暗号文も、新しい鍵に沿って作り直さなければならなくなる。

 直せなければ、奪還作戦そのものを中止せざるを得ないだろう。


「指令書は……新しい鍵を使った指令書は、他にないんですか!?」


 コゼットはすがるような思いで連絡員に問いかける。しかし連絡員は肩を落として首を振った。


「唯一入手できたものが、これだけなのです……」

「そんな……」


 足りない。

 これだけの情報量で新しい暗号鍵を割り出すのは、不可能に等しい試練だ。


「……修正までの猶予はどれくらいありますか?」

「総司令部からは……明朝まで、と」


 間に合わない。目の前が真っ暗になっていく。

 文字数はわずか49文字。頻出する文字のパターンすら表面に浮かび上がってこない。


「こうなったら、総当たりで試してみるしか……!」


 絞り出すようなマルシオの声に、コゼットは力なく首を振る。


「仮に鍵の長さが5文字だとしても、組み合わせは1100万通り以上です。手作業の総当たりで明朝までに終わるはずがありません。それに……その5文字という前提すら、正しいかどうか分からないのです」

「それじゃあ……この作戦そのものを、諦めるしかないというのか……」

「……少し、考えさせてください」


 コゼットはよろよろと立ち上がった。

 視界が暗転していく感覚は、深刻な貧血で倒れる直前のそれに酷似していた。

 これが絶望というものなのだと、コゼットは強く唇を噛みしめた。

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― 新着の感想 ―
そりゃあ約束を守らないのは侵略者側なら普通。 そして自分の失態を隠蔽するなら、敵国と内通していることも考えないとね。
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