ケネス・ナバロという男
淑女寮に戻ったコゼットはすぐに同級生たちに取り囲まれた。
それも当然のことだった。ふいに現れた、帝都中央部の軍人たちに取り囲まれて連行されて行ったのだ。それは気になりもするだろう。
「コゼット! 貴女、大丈夫だったの?」
「良かった~、生きてたぁ~」
仲が良かった友人たちは大喜びでコゼットを歓迎した。
大勢に取り囲まれ、頭をぐしゃぐしゃに撫でられる。幾人かは涙目になっていて、本気で心配してくれていた事が窺えた。
「本当にびっくりしたよ~。一体なにがあったの?」
「騎士寮で盗み食いでもした?」
「売れ残りのパンを持って帰って来ちゃったりとか?」
しかし心配の内容がおおむね食べ物なのはどうしてか。
確かに若干、身に覚えのある事だった。事実として売れ残りのパンを貰って帰った事はあるが、ちゃんと許可をとっている。
どうやら周囲からはよほど食い意地がはっていると思われているらしかった。
まぁ、身に覚えはあるのだが……。
「まぁ、流石に食い逃げで中央の方々が動くなんてありえないわ。だとしたらご実家が何かやらかしたのかしら? 貧乏が祟って納税を誤魔化した、だとか」
ふいに友人たちの輪の外から冷ややかな声が飛んできた。
戸惑ったような騒めきと、悪意のある好奇心で忍び笑いが聞こえてくる。
声の主はモラレス子爵家の令嬢で、なにかあるたびにコゼットにこうして絡んでくる相手だった。
普段ならばコゼットもいちいち相手をせずに軽く受け流していた。
だが、――実家の事となれば話は別だ。
「それはどういった意味でしょうか?」
友人たちの輪から抜け出し、コゼットはまっすぐに子爵令嬢の目の前まで歩いていく。
子爵令嬢とその取り巻きたちは常ならば、何も言わないコゼットが真っ向から問いを投げてきた事に僅かばかりの戸惑いを見せた。
同級生の中でも小柄なコゼットは、子爵令嬢たちの前に立てば頭一つ違うほど小さかった。
自然とコゼットは胸を張り、彼女たちを見あげる形となる。
光景だけ見れば、どこをとっても圧倒的に不利だった。
しかしコゼットの瞳は微塵も恐れていなかった。
そうしてコゼットがもう一歩前に踏み出すと、取り巻きの一人が気圧されたように一歩下がる。
「確かに我が家は貧乏です。火の車です。主食はジャガイモだし、お肉は滅多に食べられません。それは紛れもない事実です」
ジャガイモと言うコゼットの言葉に、周囲は同情よりもドン引きという顔になる。
当然である。この時代、ジャガイモは見た目の悪さや聖書に載ってない事から“悪魔の食べ物”と言われており、その用途はおもに家畜の餌だった。人間が食べれば病になるとすら言われていた。故にジャガイモを食べる者は神を恐れぬ所業であり、命知らずの愚か者ともみなされる。
子爵令嬢でさえ思わず扇で顔を隠したほどだった。
だが、そこでコゼットは尚ももう一歩踏み出した。
「……ですが、脱税はしていません。我が家の納税記録は毎年、フェリシアーノ公爵家の監査を通過しております。もし我が家が脱税をしたと仰るならば、それはフェリシアーノ公爵家の監査に過ちがあったと仰るのと同意語になりますが、どのようなおつもりでおっしゃったのですか?」
「なッ!」
ふいの反撃に顔を真っ赤に染めた令嬢は、しかし余計なことを言っては不味いと判断出来る分別はあったようだ。
扇で口元を隠したまま怒りに震える令嬢と、それを見あげるコゼットとの間には一触即発の空気が立ち込める。
沈黙を破ったのは、遠慮がちな咳払いだった。
「あ~、……お取込み中のところ失礼致します。並びに、騎士の身でありながら淑女寮へ立ち入った事を深くお詫び申し上げます」
ドアを背に気配もなく立っていたのは一人の騎士だった。
その瞬間、談話室にいた生徒たちは息を飲む。
中央部の軍人ではない。だが、誰もが彼らを知っている。黒衣に臙脂色のユサールマントをまとったその姿は、ジェイド・アルフレート辺境伯の私兵として名を馳せる“コンキスタドール”の証である。
コンキスタドール――征服者の名を冠するその部隊は少数ながら、一人一人が百の兵に勝るとも言われている精鋭だ。
当然、実物に出会えることなど滅多にない。
騎士はもう一度咳払いをすると、人好きのする柔和な笑みを浮かべた。
「マイヤー男爵令嬢、お時間がかかっているようなのでお迎えにあがりました」
その一言で、談話室中の視線が一斉にコゼットへと向けられる。子爵令嬢に至っては、信じられないものを見る目で絶句していた。
「ああ、……あの、ええと、……」
騎士の名はケネス・ナバロ。栗毛色の髪を刈り上げた短髪と、涼やかな碧眼をもった青年だ。
ケネスはジェイドによってコゼットの護衛騎士として任命された人物である。
口ごもるコゼットに、友人たちは声には出さず、口をパクパクとさせながら「どういう事!?」と必死に問いかけてくる。
コゼットは返答に窮した。
何をどこまで話していいのか分からない。
探るような視線を投げれば、ケネスはゆるく目を瞬かせ、状況を把握した様子で頷いた。
「マイヤー男爵令嬢は本日より、ジェイド・アルフレート辺境伯の別邸で過ごされる事になりました」
「だぁああああああッ!!!!」
コゼットは思わず絶叫した。
「ちょ、おおあ、そ、それは色々と端折りすぎでは!?!???」
「いえ、しかし」
「なにかと誤解を生むじゃないですか!」
「ですが、事実ですので」
そう、それはまごうことなき事実だった。
コゼットを暗号解読班のメンバーに引き抜いたジェイドは、「戦時とはいえ男爵家の一人娘を軍事徴用するのだ。特別扱いは当然である」と宣い、アルフレート家別邸の一室をコゼットのために提供すると言い出したのだ。
単純に学生寮から中央部へ通うには距離があり過ぎること、そして学生寮ではセキュリティ面で懸念点が多すぎるというのがその理由だった。
暗号解読班とは、国家機密に等しい組織である。
敵軍の暗号を解読するだけでなく、味方の使う暗号を作成するのも重要な仕事だ。
つまりそのメンバーになることは、コゼット自身が『歩く国家機密』になることを意味していた。
それゆえに警備が強固な場所への引っ越しが必要になった訳だったが、……
「だだだ、駄目ですよ! ジェイド閣下は未婚男性じゃないですか! 変な噂なんてたったらどうするんですか!」
「普通、心配するのはご自身の貞操だと思うんですが」
「ジャガイモ食べてる貧乏令嬢の心配なんて誰もしませんよ! 誰がどう考えたって評判が危険なのはジェイド閣下です!」
「大丈夫です。ジェイド閣下もジャガイモを食べる時はありますよ」
「え? あるんですか? いや、そうじゃなくってッ!」
「それに」
ケネスはふっと人当たりの良い笑みを深め、囁くように言った。
「明日からは、朝はふっかふかの白パンに、たっぷりの蜂蜜を塗って食べられますよ」
「ふ、……ふっか、ふかの、白パン」
思わず涎が出そうになった。
「そういう訳でマイヤー男爵令嬢。準備が出来ましたら別邸に向かいましょう」
コクリ、とコゼットは頷いた。
決して白パンに騙されたわけではなかったが、暫くは頭の中がふわふわの白パンでいっぱいだった。
幸いにも貧乏貴族であるコゼットの私物など鞄一つで足るほどで、引っ越しの支度は驚くほどすぐに完了する。
未だ状況を飲み込めず、子爵令嬢共々呆然としている友人たちだったが、コゼットが元気そうである事に安心し、困惑しながらも送り出してくれた。
――誤解を解くのをすっかり忘れていたと気付いたのは、大分後になってからの事だった。
「……やってしまった、……」
アルフレート家の別邸にて、コゼットはがっくりと項垂れていた。
別邸はジェイドが帝都を訪れる際の宿舎として使われていることもあり、軍中央部からほど近い場所に位置している。
別邸とはいえ、その大きさはコゼットの実家であるマイヤー邸のおよそ五倍はありそうだった。
庭の広さも含めれば何とか勝てるかもしれないが、なにせマイヤー家は田舎貴族である。土地ばかりが無駄に余っている田舎の家と、帝都中心部の一等地にある邸宅とでは、比べものにもならなかった。
内装は、常に戦の最前線に立つアルフレート家らしく、華美さよりも実用性を重んじていた。だがそれでも、飾ってある壺一つ取ってもマイヤー家の総資産を上回る気がしてならない。
コゼットの居室は中庭に面した陽当たりの良い部屋を割り当てられており、ソファもベッドも驚くほどにふかふかだ。
パンはふわふわ、ベッドはふかふか、これは夢かと疑いたくなるほどの高待遇である。
しかし今のコゼットは、学園で一人歩きをしているであろう数々の恐ろしい噂話を想像し、唸りながら頭を抱えていた。
ちなみに、コゼットは、今後は学園の籍はそのままだが実態は休学扱いとなるそうだ。
期限は国家緊急事態における軍事要請が解除されるまでだそうだ。期間中は『国家奉仕』として単位を全認定、任務解除後にそのまま復学・卒業を保証される、……という条件をジェイドが学園側に強引に押し通したらしい。
「いやはや、それにしても驚きました。まさかあの子爵令嬢に噛みついていかれるとは思いませんでしたよ」
「だって、その、私自身の事ならば何を言われようと聞き流せますけど、あろう事か我が家を、……しかも脱税だなんて言われたもので、……」
呻き声をあげるコゼットの前で、ケネスは優雅にハーブティーを嗜んでいる。
「しかし、マイヤー男爵家といえば、一族の多くが商才に長けているとお伺いしておりましたが」
コゼットはゆっくりと顔をあげると、トレーの上に並べられた高級なお茶菓子にそっと手を伸ばした。
齧ってみれば驚くほど甘く、そして呆気なく口の中で溶けていく繊細さに衝撃を受ける。
あっという間に消え去ったお菓子に呆然としていると、ケネスがそっと二個目を差し出してくれた。
コゼットは無言でそれを受け取ると、今度は失われないよう慎重に端っこから齧っていく。
「ええと、確かにマイヤー男爵家は商売人の血筋で、叔父たちも商才に長けているんですが、……その、私の父だけは、どうも人が良すぎるんです」
「なるほど。……親族の皆さまは支援して下さらないのですか?」
「そこがまた商売人ならではと言いますか、……。足を引っ張るまではしなくても、良く言えば徹底的な放任主義で」
「一族の中に窮地に陥っている者がいても、あえて無償で救いの手は差し伸べない、と」
「中央の貴族だったらあり得ないことかもしれないですね。一族の窮状は一族の恥、と考える方のほうが多いでしょうから。ですがそこは商人の家系特有の厳しさと言いますか……。例え血縁でも金を貸すなら担保を取るのが鉄則なんです。かくいう我が家も、期日までに叔父へ返済できないと屋敷を追い出される有様で」
「ジェイド様にご相談なされば、ひと声で都合をつけて下さると思いますよ」
「いえ」
コゼットははっきりと首を振った。
「暗号解読班のメンバーに雇って下さっただけでも十分です。いえ、全然そんな危険な部署に入るつもりはなかったですけど! もっと安全で堅実な仕事先を見つけるつもりでしたけど! でも、お給料が最高なのは確かなので!」
「んん、ちょっと本音が漏れすぎかな?」
「あ!」
慌てて口を押さえるコゼットに、ケネスは小さく吹き出した。
国家機密の塊である『暗号解読班』の危険さよりも、提示された高給と住環境に釣られているコゼットの肝の据わり方は、ある意味で恐ろしい。
コゼットは真顔でゴホンと咳払いをすると、大事なお菓子の残りに齧りつく。
前途はまだまだ多難だったが、それでも希望は見えてきた。なによりも、ここには美味しいご飯とふかふかのベッドが待っているのだ。
あとはコゼットが暗号解読班のメンバーとして、どれだけ成果を出していけるかだ。
「――よし、……明日から頑張ろう」
力強く拳を握りしめるコゼットを、ケネスは目を細めてどこか温かな眼差しで見つめていた。




