第九十一話
竜也は聖堂の目前で足を止めて、神聖な空間を醸し出している聖堂を見上げた。
ビザンティン様式の聖堂は多少崩れている所もあるが、奇跡的に荒らされた様子は無い。有形文化財に指定されていそうな厳かな様式の建物なので、魔族軍といえど遠慮したのかも知れなかった。校舎の方の破壊度も町中の家々程の酷さは無い。
朝早くに奇襲を受けたらしいので、学院の生徒達は全員サラスナポスの町に居て学院は無人だったので、それほど壊されずに済んだというのが真相かも知れなかった。
聖堂の中に入る。中の様子も取り分け変わった所は無い。教壇の前に描かれた五芒星の魔法陣も無事だった。
竜也は五芒星の魔法陣の真ん中に立ち、辺りを見回して見る。エレーナに召喚された時の事が、昨日の事のように思い出された。
人間の男を召喚してしまったエレーナの顔と、学院の皆の反応は傑作だった。あの時は、まだゲームの世界での出来事だと信じて疑わなかった。
その後のやり取りを走馬灯のように思い返してみて、縁起でもないと苦笑いを漏らす。
魔物の軍団がコスタクルタ王国に襲来する日付だけでも、エレーナに伝えなければならない。その為にはゲーム世界のエレーナの助力が不可欠なのだ。学院のガーディアンを倒した事で、好感度がアップしている事を願うしか無かった。
とりあえず魔法陣が無事と分かり安堵する。一通り全体を見て回ろうと、聖堂を後にして校舎に入って行く。
右手に職員室、学院長室、応接室。左手に図書室、保健室、宿直室と続く。どうでも良い事だが、魔法で簡単に治療できるのに保健室が必要なのかは疑問である。
まずは異世界で四週間過ごした宿直室へ向かってみる事にする。中の様子も記憶にある通りの物だった。感慨深いものはあるが、めぼしい物は何もない。
次は保健室に向かう。異世界でも入った事は無かったので、始めて入る部屋だった。中の様子は普通の保健室といった感じだ。薬品が並ぶ棚がスチールでは無く、中世らしく木製の棚というのが現代の保健室との違いだった。
試しに棚に並んでいる薬品を一つ手に取って見る。注視するとポップアップメニューが開き、名称やカテゴリー等が表示される。
回復ポーションだった。よくゲームでは、勇者は人の家にズカズカと上がり込んで棚や樽を調べまくり、色々な物を失敬していくのが当たり前のようだが、VRのゲームでは思いっきり躊躇われた。
—— これは窃盗に当てはまらないのか……?
説明書や攻略本を読んでいない竜也には分かりかねた。またアカウント停止にでもなったら不味いので棚に返しておく。
次は図書室へ向かう。ずらりと並ぶ本棚にある本の背表紙は、すべてフラクトゥールのような文字で書かれていた。
試しに一冊の本を取り出す。中身もすべてフラクトゥールのような文字で書かれていた。
図書室の奥にブラッドウッド材の扉がある筈なので、そちらへ向かう。青銅製のドアノブは磨かれたように光り輝いている。誰かが今でも常時ここに入っているのだろか? という疑問が湧く。開けられないかドアノブに手を掛けてみるが、やはり鍵が掛かっていた。
鍵はスベントレナ学院長が持っていた筈だ。たしか学院長室の事務机の引き出しに青銅の鍵があった事を思い出し、学院長室に行ってみる事にした。
学院長室も、記憶通りの有り様だった。毛足の長いモダン柄の絨毯。マホガニー無垢材のキャビネット。重厚感あるガラス製のセンターテーブル。豪華な革張りのローカウチソファー等の応接セット。その奥にある事務机に眼をやる。その引き出しに鍵が入っている筈だ。
竜也は、そっと事務机の引き出しを開けてみる。中には何もない。別の引き出しも開けてみるが、何も見つからなかった。他のめぼしい場所も探してみるが、やはり見つける事は出来なかった。
図書室のブラッドウッド材の扉の奥は、諦めるしか無かった。
仕方なしに次の場所の探索に移る。隣の職員室の扉を無造作に開けて、竜也はそのまま固まってしまった。
職員室の中には、サバティー・マヨーリが居たのだ。自席に座り、なにやら書き物をしている最中だった。
サバティーは、いきな職員室に入って来た竜也を見やり、驚きの表情を見せている。
「サバティー先生……」
竜也は、なかば茫然と呟いた。
「私の名前をご存知なのですか?」
サバティーの疑問調の問いに竜也は頷く。それから職員室を見回し、他の先生方が居ないか探してみる。しかし、職員室の中にはサバティー以外は誰も居なかった。
「もしや、この学院に人が訪れて来るという事は、ガーディアンを倒されたのですか?」
竜也は再び頷く。
「有り難う御座います。これで数年ぶりに自由になる事が出来ました。ところでコスタクルタ王国は、現在どのようになっています?」
竜也は、しばし言葉に詰まる。サバティーは学院に二年半近くも閉じ込められていて、コスタクルタ王国が滅亡してしまっている事を知らない様だった。
竜也の表情から何かしら読み取ったサバティーは、顔を曇らせてしばし考え込む。
「学院の生徒達はどうされています? 奇襲を受けた時は早朝で、まだサラスナポスの町の学生寮に全員いたと思われますが……」
「エレーナには会いました」
竜也は、それだけを言った。しかしサバティーは、これも竜也の表情から何やら察した様だった。
「ともあれガーディアンを倒して下さった事は感謝いたします。これは、せめてものお礼です。受け取って下さい」
サバティーが机の引き出しから取り出した物は、一枚の巻物だった。
手に取りクリックすと、ポップアップメニューが開いて名称やカテゴリー等が表示される。魔法の巻物かと思ったのだが、そうではなく魔法戦士にクラスチェンジ出来る巻物だった。
現在は、まだレアなアイテムだ。討伐は自分も入れて二十名でおこなったのに、自分だけ別途報酬を貰うなんて気が引ける。
「心配しなくても、ガーディアン討伐に参加された皆様全員に、各自別途報酬はあります」
サバティーの言葉に、遠慮なく巻物を貰う事にする。
クラスチェンジの方法は簡単そうだ。巻物を広げた時に出て来る『魔法戦士にクラスチェンジしますか?』という問いと共に浮かび上がる Yes ボタンをクリックするだけだ。
試しにクラスチェンジしてみようと思うのだが、いちおう魔法戦士というものについて書かれている説明を読んでみる。
剣と魔法両方使える万能ジョブ。ただし極めるには、かなりの時間を要するようだ。
剣は短剣、片手剣、片手棍のみしか装備できず、鎧の類も戦士や騎士のような重装備は出来ない。そして魔法は、各専門職より一ランク落ちる魔法しか覚えられない様だった。
異世界のエレーナ達は、魔法戦士でありながら重装備の鎧も着こなしていたし、全ての武器への精通を基本としていた筈だ。
異世界よりは弱い設定となっているようだ。まぁ、敵も異世界よりも弱いので、これでも構わない。
竜也は Yes ボタンをクリックした。途端に巻物は青白い炎に包まれて、一瞬の内に消えてしまった。しかしそれ以外は、特になんの変化も現れなかった。
不審に思い、右手人差し指を振ってメニュー画面を出す。ステータスという項目をタップして詳細を表示させる。
職業の欄が『魔法戦士 レベル1』になっていた。それらしい効果音くらいは欲しい所である。
ともあれ魔法戦士にクラスチェンジする事が出来た事に、安堵の溜め息を吐く。しかし魔法は、巻物を店で買うなどして覚えてからでないと使う事は出来ない。
さっそくサラスナポスの町に戻って、めぼしい魔法でも見て来ようと思ったのだが、時間の都合の為、学院の宿直室でログアウトする事にした。




