第八十七話
それからは、非常にややこしい事後処理が待ち構えていた。一ヶ月半ぶりに帰って来た竜也に対して世間から色々と洗礼を受けたのだ。
両親からもこっぴどく叱られた。普通、行方不明の息子が帰って来たのなら、抱きしめてよく帰って来たと涙するものなのだろうが、「勇者として異世界に行っていた」と言ってしまった事が不味かったらしい。
その件を踏まえて両親とも色々と相談をして、世間へは本当の事は公表しない事にした。中二病を患った痛い輩と見られるのも嫌だったし、絶対に信じてもらえない事柄だったので、このような対応を取る事となったのだ。
今までテレビで、このような報道が無かった事からベータテスト中に異世界に飛ばされたと思われる者達も、此方の世界に帰って来ても真実は発表していないのだと思われた。
ふと、クラスごと召喚された場合は、絶対にニュースになるような気がしてならないのだが、どうなっているのだろうという疑問が湧く。
いくら考えても答えは出て来ない。まぁララエルか、将又その他の神々が上手くやっているのだろうという事にしておく。
警察や学校では、まるで犯罪者への尋問の如く長々と拘束されて審問を受けた。マスコミや報道陣が沈静化するまでは、本当にうんざりするような日々が続いた。
本当は、すぐにでもニルヴァーナ・オンラインにダイブして、異世界に居るエレーナに何としても連絡を取りたかったのだが、運営よりこんなメールが届いていた。
『日頃はニルヴァーナ・オンラインをご利用いただき、誠に有り難う御座います。
さて、この度ニルヴァーナ・オンラインの『会員利用規約 第八章 二十六条、ハラスメント行為C項』に照らして、お客様のアカウントを停止処分とさせて頂きました。
これによりタツヤ様におかれましては、本日より三日間のあいだニルヴァーナ・オンラインのサービスが受けられなくなっております。まことに残念ではありますが、なにとぞご了承くださいますようお願い申し上げます』
というメールの内容だ。どちらにしても、忙しすぎて三日間はログイン出来なかっただろう。
厄介事から解放され、やっとの事で時間が作れたのは、ちょうど二週間後の事だった。
竜也はパソコンを立ち上げて、いそいそとログイン準備を始める。ゲームをローディングして一連のスタート操作をおこなう。
一瞬の酩酊感の後、竜也はゲームの世界に降り立っていた。
そこはサラスナポスの町では無く、ゲーム世界に降り立った時に最初に出現する平原だった。あの長距離を、また移動しないといけないのかと思うとウンザリとさせられる。
とりあえず右手人差し指を軽く振ってみる。シャラランと軽快な音を立ててメニュー画面が目前に現れた。ゲームの世界で間違いは無さそうだった。
突然、そのメニュー画面が暗転したかと思うと『CONVOCATION』という文字が現れた。黒と黄色の警戒色で描かれた文字が、警報音に合わせて明滅している。
—— 召集?
竜也は、画面を見つめながら微かな期待に胸を高鳴らせる。ひょっとして異世界に召喚されるのかと思ったのだ。
一瞬の酩酊感が身体を襲い、その感覚に眼を瞑る。そして眼を開けると、そこは辺り一面が乳白色に塗り込められた空間だった。
『神々の間』を思わせる空間に警戒の色を滲ませる。ララエルには会いたくなかった。あれで神とは世も末だ。チート能力は欲しいとは思うものの、リスクが大きすぎるのが難点だった。
実は、『ヒロイン交代』のカード以外にも色々なカードの効力を見ていたのだ。博打の嫌いな竜也は、もう二度とあんなカードは引きたく無いと思っていた。
しかし乳白色の空間に現れたのは、ララエルでは無かった。天使を思わせる清廉な容姿は、これぞ神に相応しいといえる形貌だった。
視線を合わせた瞬間にカーソルが現れ、視界の右下に名前等が表示される。ゲーム内の人間という事なのだろう。
名前の前に書かれている称号がGMとなっいる。名前はラサエル。
しかし何故このような所に呼び出されたのか、まったく見当が付かなかった。
「初めまして。私はGMのラサエルと申します。今回の召集は、アカウント停止処分を受けられた方の講習が目的となっております。この講習は、会員利用規約の第十二章 三十二条に掲げる講習であり、利用者がアカウント停止処分を受けた事に対する戒告です。この講習を拒否されますと強制脱退の処分が下されますので十分留意して下さい」
竜也は、ただ唖然と頷くだけだった。チュートリアルすらスキップしている竜也が、会員利用規約なる長ったらしい文章を読んでいる筈が無い。そんな制約があった事すら知らなかった。
「今回タツヤ様は、NPCエレーナ・エルスミスト嬢の胸を触るという違反行為を行なったという事ですが、この記実に間違いはありませんか?」
ラサエルが読み上げる記実文に、竜也は素直に頷く。
「このゲーム世界のNPC達は、みんな普通の人間と同じような感情というものを持っています。プレイヤーに対して良い印象を持ったり、逆に悪い印象を持ったりします。その感情パラメーターによってクエストが発注されたりもします」
竜也は、御座なりに相槌を打つ。そんな事はどうでも良かった。早くエレーナに会いに行きたかった。
そんな竜也の心境には、お構いなくラサエルの説諭は続く。
「当然NPC達にも人権侵害行為や各種ハラスメント行為はNGです。NPCと言えど一個人として接するように心掛けて下さい」
竜也は面倒臭そうに頷く。視界の左下に表示されている時計を確認して、無駄な時間がこれからどれだけ続くのかと内心ため息を吐く。
竜也の心ここに有らずという態度に、ラサエルは眉根を寄せる。
「ところで何故このような行為に及んだのか、本当の事を話して頂けませんか?」
ラサエルは一呼吸おいてから、何気ない風を装って核心部分を問い掛けた。
「エレーナからも事情は聞いているのでしょう? あの話は本当の事ですよ」
竜也は小さく肩を竦めてみせる。なんとなく此処に呼ばれた本当の理由が分かってきた。
「タツヤ様は、このゲームに似た異世界に転移して、そこでエレーナ・エルスミスト嬢とは知り合いだったと仰りたいのですか?」
竜也が大真面目に頷くのを見て、ラサエルは困惑気味に眉根を寄せる。
「僕が召喚されたのは神聖魔法暦二二七二年、四月十一日の風曜日……。ところで、このゲーム世界の曜日は、火、水、雷、土、風、氷の六曜制ですよね?」
ラサエルは、肯定の意を持って頷く。
竜也は、現在の暦は何年になるのだろうと、視界の左下に表示されている時計に眼を向ける。リアルの時刻と、ゲーム内での時間と曜日以外の表示は無い。
「現在は、神聖魔法暦の何年になるのですか?」
「神聖魔法暦二二七六年、三月三十一日の雷曜日になります。ちなみにメニュー画面を出してもらって、右端に並んでいる項目一覧の下から三番目に、暦というボタンがあります。そこを押してもらえれば、暦を表示する事が出来ます」
竜也は右手人差し指を軽く振る。シャラランという軽快な効果音と共にメニュー画面が現れた。その右端に並んでいる項目を、下段に向かってフリックして行く。
下の方に暦というボタンを発見する。試しにタップしてみるとメニュー画面いっぱいに暦が表示された。
二二七六年とは、コスタクルタ王国が魔物の軍団に攻め滅ぼされてから随分と時間が経ってしまっている。
「ちなみに魔物の軍団がコスタクルタ王国に進攻して来たのは二二七三年の何月何日になるのですか?」
「それは……」
ラサエルは小首を傾げる。
「私も知りません。公式にも載っていないでしょう。ゲーム開始が二二七四年、四月一日の風曜日となっていますので、それ以前なのは確かです。ですがNPC達に襲撃された日付を聞けば答えてくれるのではないかと思われます」
竜也は成る程と考え込む。これだけ自由に受け応えしてくれるNPC達が襲撃された日付を知らないという筈が無い。サラスナポスの町の誰かに聞けば、必ず答えてくれる質問だと思えた。
ラサエルは、何やら思案に耽る竜也の様子を注意深く観察していた。
ゲームに似た世界に転移したという人物に会うのは、これが二人目だった。一人目は、ベータテスト中に異世界に召喚されたと言い張る人物だった。召喚された先は中世の世界に似た戦乱の世で、僅か三日後に死亡したらしいのだが、現実世界では一ヶ月も時間が経っていたと言い張るのだ。
確かにログでは十八人ものプレイヤーが、同時刻に回線切断をしてしまっている。正式サービス当日にも、ゲームにログインした直後に行方不明になっている者が数名いるのだ。
竜也の場合も、ゲームにログインした形跡はあるのに、ゲーム内にアバターは出現しておらず、異世界転移の可能性がある要注意人物として以前からチェックが付いていたのだった。
一ヶ月半ぶりにログインして来た竜也のゲームログをトレースしてみると、有り得ない程の身体能力を有している事が判明していた。
探偵に身辺を調査してもらったのだが、失踪する前までは可もなく不可も無い何処にでもいる高校生で、特別身体能力に優れていたという事は無いそうだった。
それなのにレベル1で剣技も使わずに、しかも初見でノトーリアス・モンスターであるレクス・エールーカを運営側が予想もしていなかった攻略法で倒してみせたのだ。しかも彼はノーダメージだった。はっきり言って有り得ない事だった。
「タツヤ様は、このゲームに似た世界に転移したと仰いますが、そこでどのような事をなされておられたのですか?」
竜也は物思いから帰って来ると、肩を竦めてみせる。
「エレーナの使い魔として召喚されて、勇者と成るべく毎日拷問に近い特訓に明け暮れていました」
竜也の様子からは、嫌々特訓とやらをやっていた様には見えない。彼の物腰には絶対的な自信が窺えた。
「しかし、道半ばにして死んでしまい現実世界に帰って来てしまいました。現在もエレーナは、僕が死んでしまったと思い込んで嘆き悲しんでいるかも知れません。
このゲームの世界のエレーナに触れた瞬間に、異世界に居るエレーナと一瞬だけですが心が通じ合ったのです。どうかこのゲームの世界のエレーナに協力してもらって、向こうの世界に居るエレーナに僕が生きている事を伝えたいのです。なにとぞ御協力願えませんか?」
竜也は、ラサエルに向かって頭を下げる。
その様子をラサエルは当惑したような顔で見やる。心情的には協力してやりたいと思うのだが、GMとしての権限を大きく逸脱してしまう。手助けは出来そうに無かった。
「残念ですが、それは出来ません」
「そうですか……」
竜也は、意外とあっさり引き下がった。始めからこの願いは叶えられないと読んでいた様だった。
「ところで僕意外にも異世界に転移した人間は数十人居ますよね? 運営側は、それを把握しているのですか?」
唐突の竜也の質問に、ラサエルは僅かに視線を泳がせた。先程から何やら考え事をしていた様だったが、いったい何を言い出すのかと身構えながら、慎重に言葉を選びながら答える。
「このゲームをプレイ中に異世界に転移するというような噂があることは事実ですが、現在調査中で、その件に付いてはお答え出来ません」
まったくの嘘を言っても通用はしないだろうと、ある程度の真実は公表する事にする。
「サトシ・コスタクルタという人物の仲間数人が、此方の世界に帰って来ていますよね? 時間軸が大幅にずれて過去の世界に帰って来た者が、このゲームの作成に携わっているという可能性は無いのですか?」
「そのような件にも、お答えする事は出来ません」
ラサエルは、緊張した面持ちで竜也の様子を探る。この問答で竜也が一体なにを言いたいのかを推し量る。
竜也は、ラサエルのそのような切迫した様子とは裏腹に破廉恥な事を考えていた。
顎に手を掛けて、いかにも何やら思案している様子を見せつつラサエルのおっぱいを見つめる。清廉な淑女然とした控えめな彼女だが、フェミニンドレスのような天使服の胸元は、大きくせり出していて強烈に自己主張をしていた。
さすがにロベリアやドリーヌ程の大きさは無いが、ジェレミーやシェリル程はある。このような場所に呼ばれて説教を食らっている最中に何なのだが、無茶苦茶気になっていた。
そのおっぱいに顔を近付けるようにして凝視する。竜也も核心に迫ろうとしていた。
「キャラ作成時に女性の胸の大きさは、自由に設定できますよね? 大きさの最大値ってこれ位なのです?」
竜也は、ラサエルの胸を指差す。
ラサエルは、咄嗟に自分の胸を両手でかき抱いた。予想をはるかに超える竜也の質問に唖然とするものの、いったい何を言い出すのかと沸々と怒りが込み上げてくる。
「タツヤ様は、このような所に呼ばれている意味を理解しておられないのですか?」
ラサエルの激昂を竜也は涼しい顔で受け流す。おっぱい鑑定2級の技能は伊達では無かった。
「今の発言もハラスメントの定義に抵触するのですか?」
「いえ……」
ラサエルは、頬が引き攣りかけるのを必死で押さえ込む。
「しかし、いくらこの身体が作り物だからといって面と向かって、そのような事を聞かれれば恥ずかしいです。ハラスメントの定義ギリギリのラインですよ」
「だったら答えてくれないの?」
ラサエルは仏頂面で溜め息を吐く。自分個人の身体の事を聞かれているのではなく、システムの事を聞かれているのだと、感情を無理やり納得させる。
「この大きさが上限となっています」
竜也は、内心落胆の溜め息を吐く。至高のおっぱいと呼ぶには微妙に物足りない。
「ベータテスト時に、もっと大きく出来ないのか? という要望は無かったの?」
「確かにそのような要望はありましたが、このゲームはアクションゲームでもあるのです。これ以上大きくしてしまうと動きに制限が掛かってしまうので、この大きさが最大値となっているのです」
竜也は小さく頭を振りながら、再度落胆の溜め息を吐いた。ペナルティーを受けてでも、もう少し胸を大きくしたいと思う者が必ずいる筈だと思うのだが、いまさら言っても栓無い事だと諦める。
それよりもクレームとして、どうしても言っておきたい事が一つだけあった。
「キャラ作成時に、女性の胸のサイズは自由に変更できたのに、男性のアレのサイズを変える設定が無いのは何故なのですか?」
この質問にラサエルは絶句する。思わず竜也の股間に視線を向けてしまった。
現在竜也の服装は、茶色の皮の服に皮のズボンという初期装備だ。皮で出来たカーゴパンツといった風合いのズボンは、ある程度ゆったりとしているので、どんなサイズだろうと目立たない筈である。
「そのような設定が必要あるのですか?」
「それを言ったら、胸の大きさを自由に変更できる設定も必要あるのか? という事になります。これは見栄です。男の沽券に係わる問題なのです」
—— 男の沽券……。
ラサエルは、しばしその意味を考える。そして再び竜也の股間に視線を向けた。
—— 男のコケン……。男の……コカン……。
そこでハッと我に返り、咳払いをして誤魔化す。竜也の顔に視線を戻すと、呆れたようなジト目で見られていた。
「とにかく、そのような設定は必要ありません。見た目に変化はありませんし、このゲームは倫理規定によって、そのような行為は出来ないように作られています」
「そのような行為って?」
ラサエルの眼がつり上がる。この男は自分をからかっているのかと訝しむ。こういう輩は、再度アカウント停止処分にして、己の至らない点を自覚させてやった方が良いのかも知れない。
「僕は大真面目に聞いてるんだよ……」
竜也は、ラサエルの表情を見て慌てて言い繕う。
「これだけリアルに近い感覚があるのなら、何でも出来そうな気がするんだけど、18禁に抵触する行為は出来ないの?」
「当然です。もうご存知とは思いますが、このゲームでは剣で斬られても血は吹き出しません。斬られた場所に光りの筋が入るだけです。このように倫理規定に反する行為は、このゲーム全般で禁止となっております」
竜也は、がっかりしたように肩を落とす。
「それでは、これにてアカウント停止処分を受けた方に対する講習会を終わります」
「えっ? あっ! ちょっと待って!」
竜也が慌てて呼び止めるものの、視界が一瞬ぐにゃりとひん曲がったかと思うと元居た草原に戻されていた。
まだまだ聞きたい事は、いっぱいあったのたが逃げられてしまった。あまり破廉恥な質問は受け付けては貰えないようだった。
仕方なく竜也は、遥か彼方まで続く空と大地の合わさりを見やった。そして地平線の彼方にあるサラスナポスの町に向かって走り出した。




