第八十四話
「ただいまー」
ブッキスが帰って来たのは、それから一日半が経ってからの事だった。メールを送ってどうしたのかと問い質していたのだが、返信はなかった。ただパーティーの位置情報で、セポールという港町に行っている事が分かっていた。拠点のノーザンベルクの町から此方に向かうのとは、真逆に南東に向かった先にある港町だ。何故そのような街に向かったのかは謎だった。
「おそーい!」
「なぜ拠点に帰っちゃったのよ!」
女性陣から非難の声が上がる。
「いやー、拠点に帰っちゃったのは単なる事故なんだよ。拠点に帰りますか? っていうメッセージが目前に出てきたら、当然その文字を見てしまうでしょ? そうしたら視線連動のポインターもそこをポイントしてしまう訳で、その瞬間に瞬きしてしまって一瞬で拠点に帰っちゃったと言う……」
ブッキスは、ばつの悪そうにクッキーとグラナダを交互に見やりながら言い訳を放つ。
「これはシステムの不具合としてGMに報告しといたよ」
「そうだな……。せめて『本当に帰りますか?』的な確認コマンド追加か、ダブルウインクにでもして欲しいところだよな……」
ディアスは、思案顔で解決案を提言する。
「それはそうと、なぜ拠点に帰った後に、すぐ此方に向かわないでセポールの町へ行っていたのよ」
「それが……。知覚遮断の護符を切らかしてしまって、買い足しに……」
ブッキスは、バツが悪そうに頭を掻く。
知覚遮断の護符とは、視覚、聴覚、嗅覚感知のアクティブモンスターから身を隠す為に首から下げて携帯する護符で、戦闘を避けて移動する際には必需品となるアイテムだった。
ただ護符の効果時間はランダムで、運が悪ければ一日に一ダースを使い切ってしまう場合もあった。
護符と言え重量は結構あり重いし嵩張るので、今回のように余程長距離を移動しない限り、皆一ダースしか持ち歩く事はしなかった。
ブッキスも再度長距離移動の為に、現状では凄く高価な知覚遮断の護符を幾何かでも安く手に入れる事が出来るセポールの町へ買い足しに行ったのだろう。
【蘇生】の魔法を意図的に使わずに拠点に送還させてしまった負い目のあるグラナダは、これ以上責める事が出来ずにバツが悪そうに黙ってしまった。
「それより凄く削りのスピードが増してるね。もうレクス・エールーカを倒しそうじゃん」
ブッキスは、レクス・エールーカと戦闘を繰り広げている男を見やる。グラナダに気まずい思いをさせないための気配りでもあった。
レクス・エールーカのHPゲージは既に赤色の線すら見えていない。数値もあと百少々だ。
対する男は相変わらずミリ単位の攻防を繰り広げている。眼からは光が失われているが、動きに緩慢さは見受けられない。半ば意識を失いながらも機械的に対応しているのだろう。
何度も攻撃を掠らせている皮の服は、破れて胸元がはだけている。剣も丸一日ものあいだ硬皮に撃ち付けている為、完全になまくらと化していた。それでも一撃の攻撃力は、最初の頃に比べて増しているのだ。驚異的な攻撃力だった。
男のHPは1ポイントも削られてはいない。最初の7626のままだ。恐ろしい程の体力と精神力だ。意志の強さは、プロのスポーツ選手どころの騒ぎでは無い。絶対に負けられないという不退転の決意とでもいう物は、なにか途方もない凄烈な覚悟を感じさせた。
とうとうレクス・エールーカのHPが二桁にまで落ち込んだ。ディアス達は、固唾を飲んでレクス・エールーカが倒される瞬間を見守っていた。
レクス・エールーカが一撃を受けた瞬間に、一切の動きを停止させた。そう思った一瞬後には、凄まじいばかりの光を放ちながら一気に爆散した。バトルフィールド内全域に降り注ぐ光の粒子を見上げていた男は、その最後の一片が降り注いで消滅すると、フラフラとサラスナポスの町へ向って歩き出した。
「あ、おい! 宝箱を忘れているぞ!」
バトルフィールドは、既に解除されていた。レクス・エールーカの居た場所には大きな金色の宝箱が鎮座しているのだが、男はそれに見向きもしなかった。
敵を倒すと、時々金、銀、銅色の宝箱を落とす事があるのだが、今まで戦闘をした事が無いレベル1の男は、それを知らないのかもしれなかった。
現在は、強敵のノトーリアス・モンスターを一人で倒して大量の経験値を得てレベルが上がっていた。レベルが上がった時には、経験値の余剰分が切り捨てられる事になっているので、レベルは2で止まってしまっているのが実に勿体ない。
男はディアスの言葉を無視して歩み続ける。フラフラとした足取りと様子は非常に危うげだ。よくこんな状態でノトーリアス・モンスターに勝てたものだ。
もしかして意識が朦朧としていて声が聞こえていないのでは? と思ったディアスは、男に駆け寄ると男の肩に手を掛ける。べつに強く引っ張った訳では無いのだが、それだけで男はバランスを崩して倒れかけた。
男は既の所でバランスを保つと、ふらりとディアスに視線を向けて来た。
「おい、大丈夫か?」
案の定、焦点は定まっていない。よくこの状態で立っていられるものだと感心しながらディアスは言葉を掛ける。
意識がほとんど無い状態の男は、虚ろな眼でディアスをほんの少しのあいだ見ていた。その視線がディアスの背後に立っているコイチに向けられる。
その眼に微かに光が宿る。コイチの強さを推し量っているかの如くスッと眼が細められる。しかしそれも一瞬の事で、すぐに興味を失ったかのようにフラリと背を向けて町中へ向かって歩き出した。
「おい! 宝箱を忘れているぞ!」
「いらない……。あげるよ……」
ディアスの言葉に、男は振り向きもせずにボソリと呟くように言うと、そのまま立ち去ってしまった。
あげると言われても、他人が出現させた宝箱を、他の者は開けられないのだ。金の宝箱、しかも特大サイズという激レアのお宝を前に、ディアス達はどうする事も出来なかった。
「ブッキス! 貴方盗賊でしょ。この宝箱を開けられないの?」
「いくらなんでも、システム定義に反する事は出来ないよ」
グラナダの無茶振りに、ブッキスは肩を竦めてみせる。しかし無理と分かっていても宝箱を何とかしようと色々と周囲を調べて回る。
横一メートル少々。奥行き約六十センチメートル。高さ約五十センチメートル。その上の蓋はアーチ状になっている木製の箱で、縁を金の板と鋲で補強してあり、一見してすぐに宝箱と分かる外見をしていた。
まずは木で出来ている部分に短剣を突き立ててみる。傷一つ付かない。次に蓋と箱の隙間に、コイチから借りた大剣を差し込んで抉ってみる。やはりびくともしない。最後に鍵穴と思しき正面の穴に、シーフツールの中から針金を取り出して適当に鍵の形に成形する。
シーフツールとは盗賊専用のアイテムで、地下迷宮などにある罠を解除したり宝箱を開けたりする道具の総称だ。
針金を鍵穴に差し込んで適当に抉る。造りは単純なウォード錠だが、さすがにリアルな開錠方ではない。ただ単に針金を差し込んで捻るだけで、成功か失敗かが開錠レベルによって判定されるのだ。
しかし他人が出現させた宝箱は、いくら開錠レベルが高くても開けられない事になっている。ブッキスは失敗する前提で、適当に針金で出来た鍵を回す。
カチリと音がして、鍵は素直に回って開いてしまった。
「えっ?」
いちばん吃驚しているのはブッキスだった。有り得ない現象に『何故?』という疑問符と、何かとんでもない事をやらかしてしまった、とでも言うような引き攣った笑顔を張り付かせて皆を見回す。
ブッキスをけしかけたグラナダ自身も、本当に開けられるとは思っていなかったので、驚愕の表情で固まってしまった。
「なんか宝箱の権利放棄をした場合、その宝箱はフリーになるらしいぞ」
ルシアが、冷静に状況を説明する。通常、宝箱の権利を放棄する事なんてありえないので、皆はその事を知らなかったのだ。
説明書どころかチュートリアルさえすっ飛ばしているグラナダは、攻略本さえすべて丸暗記しているルシアに奇異の視線を向ける。
「とにかく開けてみましょうよ」
箱の中身が気になるクッキーは、早くも宝箱に飛び付いている。慎重に蓋を開けて中を覗き込む。
みんな箱の周りに集まって、特大の金色の宝箱の中身を興味津々の様子で見やる。
インゴットが一ダース。鋼鉄製の板金鎧と盾、籠手、脛当て、方形の盾、片手剣の一式。その他はポーションや安物の素材だった。
「ねぇ、このインゴット。かなり黒いわね? 新種のインゴットじゃない?」
クッキーの指摘に皆は、金属の塊である鋳塊を眺める。確かに銅や鉄や鋼では無い。少し黒すぎる。
サブ職で鍛冶を上げているコイチが、そっとインゴットを宝箱の中から取り出し、目前まで持って行く。そのままインゴットをクリックすると、ポップアップメニューが出現し、そこに名称やカテゴリー等が表示される。
名称はダークインゴット。たしかに今まで流通していない素材だった。採掘で黒鉄鋼は稀に掘れる事があるのだが、現在はやっとスチールインゴットを生成できる様になったばかりなのだ。まだ誰も、この素材を使って武具を作る技術は持っていなかった。
しかし職人からすれば、喉から手が出るほど欲しい素材だろう。破格の値が付く事は明らかだった。
「こんな高価な物を貰って良いのかしら?」
「良いんじゃない? 彼は宝箱とか名声とか、そんな物の為に此処に来たんじゃないと思うの。なにかもっと崇高な使命のような物の為に、道を切り開いて突き進んでいるんだと思うわ。彼にとってレクス・エールーカも立ち塞がる試練の一つのような物よ。打破した残滓に興味は無いみたいだったでしょう?」
気が引けているクラナダに、クッキーはもっともらしい事を言って懐柔しようとする。
クラナダは、男が消えていった町のメイン通りを見やる。満身創痍の状態で、それでも何かを目指すように前だけを見据えていた男の態度は、確かに使命や責務といった物の為に突き進んでいるように見えた。
「今は、奴に何を言っても聞く耳を持たないだろう。今度会った時まで預かっておくという形を取るとしよう」
ディアスの言葉にグラナダは頷いた。皆も同じ気持ちだった。クッキーだけが少し不満そうに口をヘの字に曲げていた。




