第七十一話
翌日、三時間だけ仮眠を取った竜也は、重い身体にムチ打って何とか起き出した。
なにか、とんでもない夢を見ていたような気がするのだが、内容を思い出せないでいた。まぁ、夢の内容などは、どうでも良いと頭の片隅へ追いやる。
簡単な木の骨組みに、バナナの葉を葺いた簡易テントから抜け出すと、辺りを見回す。
昨晩は、真っ暗闇の中の軍行で景色を見る事が出来なかったのだが、今朝は良く晴れ渡っていて尾根からの景色が良く見渡せた。
その景色を見やった竜也は、度肝を抜かされてしまう。稜線を隔てた南東側に、アルガラン共和国軍が間近に駐屯していたからだ。
竜也は、近くにエレーナが居るのを見つけて、駆け寄っていった。
「エレーナ! アルガラン共和国軍が、あんなに近くに居るけど大丈夫なの?」
竜也の慌てぶりに、周りの者は緊張の糸を張り巡らせる。しかし竜也がアルガラン共和国軍の事を気にして騒いでいると知ると、溜め息を吐いて肩を竦めてみせた。
こんな事で騒いでいて、よく軍師が務まると馬鹿にしたような態度を取る者も、少なからず垣間見える。
エレーナは、ドリーヌとセシルと共に尾根を哨戒している所だった。竜也の慌てぶりに、ヤレヤレというように肩を竦めてみせる。
「アルガラン共和国軍は、攻めて来ないわよ」
「どうして、そう言い切れるの?」
エレーナの確信的な物言いに、竜也は眉根を寄せる。
「アルガラン共和国は、レアメタル等の地下資源が取れる坑口の死守が目的なのよ。攻めて来る気があるなら、アクィラ騎士団が魔界の入口に着く前に、尾根を占拠しているわ」
「そうですよ……。そこに陣を張る方が圧倒的に有利だった筈です。でも、そうなると此方が決死の覚悟で決戦に挑んで来る事が分かっているので、尾根から少し離れた場所に陣取ったのでしょう。被害を出したくないという心境が見え見ですね」
エレーナの解説に、ドリーヌが捕捉説明を付け足す。
それを聞いて、竜也はひとまず納得する。尾根には、弓を持った歩哨が何百人もアルガラン共和国軍の動きを警戒していて、敵が少しでも此方に近付こうものなら、すぐに対応できる準備が整っていた。
アルガラン共和国軍が、弓や魔法が撃てる射程距離に入って来ようとすると、かなりの痛手を食らう事は確かな様だった。
「そろそろ食糧調達班が、朝食のキング・キャタピラーを連れてくる頃合いだから、戦闘訓練だと思ってタツヤも討伐を手伝いなさい」
エレーナの指示に、竜也は渋い顔をしてみせる。
「また『芋』なの?」
竜也は、討伐を嫌がっている訳では無かった。あの甘ったるい食事が嫌だったのだ。
「ゴズの森まで行けばタンパク質の獲物も獲れるけど、ここからでは遠すぎるのよ。今は作戦行動中なので我慢なさい」
エレーナにピシャリと言われて、渋々納得する。
「『K芋』は『芋』より一.五倍ほどの大きさがあるわ。素早さも若干上かしら。その他の注意事項は『芋』と変わりないから、間合いだけ気を付けて戦ってね」
竜也は辺りを見回す。何処に平地があるというのだ。ぎりぎり戦えそうな場所は見付けられたが、足元は岩だらけで足さばきが非常に難しそうだった。さすがに顔が引き攣ってくる。
そうこうしている内に、フィジケラス魔法学校の生徒達が釣って来た『K芋』の大軍が、数十匹も押し寄せて来た。
竜也は、最後尾にいる一匹の横腹に剣を突き立てると、すかさず先程見繕っていたポイントへ移動する。
「敵の攻撃を予測して、動く方向の足元にも注意を向けるようにね」
エレーナが、アドバイスを投げかける。
足場は大きな岩がゴロゴロと転がっていて、実際にやろうと思うと至難の業だった。
すり足では移動できないので、少し足をあげる事になるのだが、そうすると反応が一瞬遅れてしまうのだ。とてもではないが攻撃に転じる余裕は無かった。
とりあえずは間合いに注意して、足さばきだけに意識を集中させる。他の皆は、どのような戦い方をするのかと周りの様子に眼を向けると、なんと【拘束】の魔法で足止めをして魔法の集中砲火を浴びせていた。
食糧調達が目的なので、無難な選択だとは思うのだが、お手本にはならない。間合いと足場に気を付けながら、必死に側面へ回り込む。
「腰が高いです。反応が一瞬遅れていますよ!」
ドリーヌの指摘を受けて、腰を落とす。足場の悪い場所での戦闘に、悪戦苦闘しながら少しずつ攻撃を加えていく。
慣れて来ると、逆に障害物を利用した戦いが出来るようになって来た。大岩を盾にすると、よじ登ろうとするので、歩脚部が狙いやすくなる。
逆に地面のちょっとした凹みは、迂回しようとするという普通に考えたら逆のような習性を発見した。その習性を利用して回避に余裕を作る。
時間はかかったが、思っていた以上に簡単に倒す事が出来た。危うい所は全くと言って良いほど無かった。自分が、かなり成長しているのだという充足感が沸いて来る。
「足場の悪い場所での戦闘を練習してもらおうと思ったのに、要領で倒しちゃったわね」
そんな竜也をエレーナは、呆れ顔で迎える。
「まぁ、タツヤ様の特性を生かした良い戦術でしたよ。間合い、足さばき、剣の扱い共々初心者としては上出来です」
—— これでも初心者扱いなの……?
ドリーヌの物言いに竜也は唖然とする。充足感が、急激にしぼんでいく。
—— そう落胆しなくても、本当に上出来よ。戦闘恐怖症のような症状も出なかったし、まだまだこれからよ。
エレーナにそう言われて、イップスのような症状だった事を思い出す。今回は、そういう事を考える間もなく戦闘が終わってしまった。完治しているのならそれで良いが、何となくそう容易く治ったとは思えなかった。
ともあれ朝食にする。交代で食事休憩に来ていた兵士達が、一斉に『芋』に群がっていく。そうがっついてまで食べたいという代物でもなかったので、遠巻きに兵士達の食事風景を眺める。
「はい、『K芋』の一番おいしい部分をもらってきました」
エレーナが透明なガラスの器に、例の角切りゼリーを山盛り持ってきた。
現在は背嚢を担いでいない。何処にガラスの容器を持っていたのか、そしてあの群がる兵達の中から、どうやってもらって来たのかが謎である。
女性はバーゲンセールでは、男にも負けない力を発揮するのだという事を思い出していた。揉みクチャにされようとも、お目当ての物は必ずゲットする不屈の精神力を持っているのだそうだ。
あの群がる兵士達の間に分け入って、標的部位を力ずくで強引に奪取して来る姿を想像して少したじろぐ。
「何か、ものすごく失礼な想像しているみたいだけど、私はそんな事していないわよ。此方の世界の男性は、お願いしたら誰でもちゃんと取って来てくれるのよ」
「そうなんだ……」
竜也は、ひとまず安堵に胸を撫で下ろす。出来る事なら、もう少し清楚に振舞ってほしい所なのだ。
しかし此方の世界の男性の振舞いとやらは、騎士道精神が旺盛のようだ。紳士的な振る舞いや、レディーファーストというものと全く無縁に生きてきた竜也には、あまりピンとこない類いの作法だった。
ともあれ礼を言い、ガラスの器と銀のスプーンを受け取る。朝食を取りながら辺りの様子を窺う。
歩哨に立っている兵士以外は第二戦闘配備という事で、各小隊が所定の場所で待機していた。
陣形の概要は、一万五千の兵で魔界への入口を中心とした外周を固め、残りの五千が中央部に残って土木作業員や学生兵を守っている。もし敵が攻めてきて一万五千の兵の第一陣が抜かれそうになったら、残り五千の兵を補充していく戦術だ。
現在は、ローレンスの使い魔である鷹のハヤトが上空から視覚で、ナターシャの使い魔であるウサギのアキラが音で、パメラの使い魔である犬のダイスケが臭覚で敵索を行っている。
「掘削作業の具合はどうなの?」
竜也は、『K芋』の角切りゼリーを食べながら進捗状況を確認する。
「思わしくないわね。ジェレミーさんの使い魔のユウスケちゃんの能力をもってしても、掘り進むのにかなり手間取っているみたい。何か特殊な硬い鉱石が散らばっていて難航しているらしいわ」
エレーナの答えに、竜也は渋い顔をしてみせる。
「その掘削現場に連れてってくれる?」
「すぐそこよ」
エレーナの案内の元、掘削現場に向かう。
作戦司令部のテントから、西へ坂を少し下る。ほんの一分で到着する。魔界の入口とやらは、巨大な岩壁に直径五メートルはありそうな横穴が穿たれていた。
竜也は、その穴を覗き込む。横穴は、徐々に斜めに掘られている様だった。燭台が穴の各所に置かれていて、その光の加減でどの様に掘られているのかを見て取る事が出来た。
「こんなに大きく掘り進まなくても、人が一人通れるくらいで良いんじゃないの?」
その巨大な横穴を見やり、竜也は絶句する。これでは労力の無駄遣いだ。
「もちろん掘削先端部は、一メートル程だ」
竜也の苦言に言葉を返したのは、ロベリアだった。彼女は、掘削状況の視察に来ていて、穴の奥より丁度出てきた所だった。
「全員で一斉に掘り進むわけにも行かないので、後方の者は穴の径を広げる作業をしているのだ」
「掘削状況はどうなの?」
竜也の質問に、ロベリアは眉根を寄せて頭を振る。
「今日が何日の何曜日か、分かっているか?」
竜也は腰に下げている小さなポーチから、ジュリアに貰ったストラップ式の水晶時計を取り出す。
「えーと、五月四日の……黄色だから土曜日?」
ロベリアは小さく頷く。
「今日は土の精霊力が強く、掘削作業がいつもの曜日の二十五パーセント減になっているのだ」
それを聞いて竜也は、がっくりと肩を落とす。間の悪い事この上なしだ。
「それでも作業員は奮闘してくれている。何処まで埋まっているのか見当が付かないので明確な事は言えぬが、それでも後一日もあれば開通できると踏んでいる」
それを聞いて竜也は少々安心する。掘削作業は、最長で明日までという事になる。三日間徹夜と聞いていただけに救われた気持ちになった。
—— 貴方は、ほんのチョットでも睡眠を取ったでしょう。
エレーナが、思念で茶々を入れてくる。
—— 自分の心配じゃなくて、掘削作業員や兵士達の心配をしてるんだよ。エレーナも昨日から寝てないんでしょう? 本当に大丈夫なの?
からかう積もりだったのだが、竜也が本当に心配そうに聞いて来るので、エレーナは不覚にも照れてしまった。
—— わっ、私は大丈夫よ。野外演習では三日間もの間、不眠不休での訓練が当たり前なのよ。これ位の事は、何でもないんだからねっ!
ロベリアは、思念で会話しだす二人に胡乱な視線を向ける。エレーナが、何故か顔を赤らめている。思念でどんな会話をしているのかが凄く気になった。
今朝方、少し時間が空いた時に、昨日の非常呼集前の二人の様子を水晶球でこっそり確認したのだ。
突然の物々しいサイレンの音と放送に、二人は一線を越える直前に慌ただしくベッドから飛び起きて事なきを得ていたが、ボーダーライン越えは間近に思えた。アルガラン共和国軍の境界損壊罪も許しがたき事だが、それと同等にこの一線越えは許しがたい。
二人だけの時間を作らせない為の策を、あれこれと考える。ロベリアの胸中は、その胸の大きさに反比例して狭かった。




