第六十四話
セント・エバスティール魔法学院の正門前には、戦闘装備を整えた生徒達が粛々と集まっていた。皆の表情は硬い。さすがにもう悲壮感を漂わせている生徒は居なかった。着替えの三十分の間に、心の切り替えをおこなって来たのだろう。ぞろぞろと、各小隊の隊長の後ろに準備の整った者から整列を始めている。
竜也とエレーナは、正門の手前で精神集中をおこなっていた。向かい合い、互いの両手を組むように繋ぎ、眼を瞑って精神統一の為の祈りを捧げる。二人とも精神制御はお手の物だった。
ゾロゾロと正門前に集まって行く者達は、胡乱な表情でそんな二人を見やりながら通り過ぎていく。あからさまに眉根を寄せる者もいるが、イチャついている訳では無く、真剣に祈りを捧げている様子が察せられたので、そのまま放置しているのだった。
やがて、どちらからともなく眼を開ける。想う心は一つ。お互いが、お互いを絶対に守り抜く。
落ち着いて澄み切った心には、一点の曇りもない。そのまま列に合流する。
バトルスフィアは既に形成されていて、皆の闘志が一気に流れ込んできた。凄まじい高揚感に包まれる。
高等部三年生の列だけが少ない。十二名の生徒が【全快】の魔法を受けて、現在も動けない状況にあるからだった。
竜也は、第一戦闘装備と第二戦闘装備の違いは何なのかと見比べてみる。高等部の皆が着用している装備は、軽鎧系の装備だった。これがコスタクルタ流剣闘術の戦闘正装なのだろうと予測する。
例外はロベリア、ドリーヌ、プリューマと、名も知らぬ上級生数名で、重厚な板金鎧を着込んでいた。
特にロベリアは、背中に背負っている大剣に負けずとも劣らない程の豪奢な鎧を着込んでいた。微かに金色に発光している鎧は、特殊な金属で出来ている様だった。
その他には、ジェレミーが竜也と同じ光沢を持つ板金の胸鎧を着込んでいた。その他のほぼ全員が鋼鉄製なので、ミスリル銀の希少性が垣間見えた。
中等部の皆が着用している第二戦闘装備とは、戦闘訓練用の長衣のようだった。少数だが板金鎧や、軽鎧系の装備の者もいるので、厳密にはどのような区分になっているのかは計り兼ねた。
そして皆の左腕には、黄色い布が巻き付けられていた。なんの目印だろうと不審に思っていると、エレーナが黄色い布切れを手渡してきた。
「敵味方の識別コードです。これを左腕に巻き付けて下さい」
竜也は、エレーナから受け取った黄色い布切れを、言われた通り左腕に巻き付ける。
「これは、コスタクルタ王国の国家象徴色です。ウリシュラ帝国は赤。アルガラン共和国は青。オセリア連邦は緑を国家象徴色としています。ちなみにコスタクルタ軍の紋章はオオワシ。ウリシュラ帝国は獅子。アルガラン共和国は一角獣。オセリア連邦は妖精をモチーフにしたものになっています」
竜也はロベリアの胸に輝く黄金のエンブレムを見やる。オオワシが翼を広げている姿が模されたものが描かれていた。ロベリア以外にも少数だが、同型のエンブレムを付けている者もいる。
エンブレムを付けている者と、付けていない者の違いは、やはり見当もつかなかった。
その他に通常装備と明らかに違うところと言えば、マントを羽織っている事と、背嚢を背負っている事だった。
マントは毛皮が裏打ちされた防寒用具だ。野営で毛布の代わりにもなる。竜也もエレーナの予備を借りて羽織っていた。
背嚢には非常食や水、野営道具、予備の武器や魔法の触媒など様々なものが入っている。前回の遠征の時には魔法袋を学院から借りていて、荷物は全てその中に入れて持ち歩いていたので嵩張らずに済んだのだが、今回は自分の荷物は各自で持たなければならなかった。
しかし竜也は背嚢を持っていない。エレーナにその旨を伝えると、持たなくていいと言われた。エレーナが二人分を持っている様だった。女性に荷物を持たせるなど男として恥ずかしい行為だ。強く自分の荷物は自分で持つと言ったのだが、頑として受け入れられなかった。
やがて全生徒が揃う。ロベリアは全員を見回し一人一人の表情を確認していく。バトルスフィアによって高揚感を煽られた皆の顔は、精悍ですらある。その面構えを見やり、満足気に頷く。
「1730、サラスナポスの町に到着。1800、コルネホ山登山開始。2300、魔界の入口到着を予定しています。それでは出発!」
ロベリアの号令の元、第一小隊から順に学院が建つ小さな丘を降り始める。
竜也にとっては三日ぶりの外出だった。もっともピクニックに行く訳ではないので、浮かれても居られなかった。
それでも遠くまで連なる山々と、その下に広がる小ぢんまりとした町並みの様子に、竜也は感嘆の溜め息を漏らしていた。
この穏やかな景色と、人々の営みを壊させてたまるものか、という気概を胸に進軍していく。
小さな丘を下り切ると、サラスナポスの町に入る。町の人々は、町外れにある学生寮を通り越して町中まで入って来た学院の生徒達に、不安気な眼差しを向けていた。
制服であるいつもの純白の長衣姿ではない事もそうだが、軍隊のように左腕に黄色い国家象徴色を付けている事に動揺を見せていた。
赤茶色のレンガを積み上げて作られたレトロ感あふれる町並みを見渡しながら、中央通りを東へ向かう。
町外れに出ると、そこはもうコルネホ山の麓だった。中腹辺りから先は、断崖と言っても過言ではない山道を登り始める。総勢百十九名という軍隊としては小部隊だが、隊列が伸びてしまう。
その遅れを助長させているのは竜也だった。やはりクライミングに近い坂道は、慣れない者からすると恐怖以外の何物でもない。一歩一歩、足場を確認しながら進んでいるので遅々として進まないのだ。
やがて第三小隊の者だけでなく、中等部の小隊にまで置き去りにされてしまう。竜也と行動を共にしている者は、エレーナだけになってしまった。
「大丈夫? 少し休憩する?」
エレーナは、竜也の様子を気遣って声を掛ける。背嚢から水筒を取り出して竜也に手渡す。
竜也はその場に座り込み、水筒を呷った。その様子から、かなりの疲労が見て取れる。
エレーナも竜也の横に座り込み、水筒を受け取ると口を湿らす程度に水を飲む。
ロベリアは何を急いでいるのか、かなりの強行軍を強いて軍行していた。竜也が付いて行けないのは当然と思えた。
暗くなれば、更に進軍速度は落ちる事は目に見えているので、陽のある内に少しでも先へ進みたい所であったが、急かして谷底へ転落という事になっては本末転倒だ。慎重に竜也の体力と相談しながら進むしかなかった。
ふと何者かが近付いてきた気配を察知して、エレーナは用心深く身構える。どうやら山裾の方角から、大多数の集団が此方に向かって山を登ってきている様だった。
エレーナの警戒の様子を見て、竜也も用心深く近付いて来る何者かに注意を向ける。
程なくして二人の目前に現れたのは、エレーナと同じような板金の胸鎧を着込んだ集団だった。
厳密に言うと……いや厳密に言わなくても、胸を模っている板金の膨らみは天と地ほどの違いがあったが……。
竜也が何を見比べているのかを察知したエレーナは、秘密裏に竜也の脇腹に肘鉄を入れる。
「あら、これはセント・エバスティール魔法学院のエレーナさんではありませんか。このような場所で何をなさっているのです?」
先頭に立っている女性がエレーナに話しかけて来た。年のころは同じくらい。クルクルと、どぎつく螺旋形に巻かれた銀に近い金髪と勝気な眼が印象的だった。
—— 知り合い?
エレーナは、竜也の思念に複雑な表情で頷く。知り合いと思われる事が嫌そうだった。
「これはクリスティナさん。まさか通俗的なフィジケラス魔法学校に通う皆様まで、このような場所に派遣されているとは思いもしませんでした」
その思いっきり馬鹿にしたような言い方に、クリスティナの背後にいる者達が色めき立つ。
今にもエレーナに詰め寄ろうとしている皆を、クリスティナは押しとどめると不敵に笑って見せた。
「伝統で守られているだけのお嬢様には、まだ実力が逆転している事に気付いて居らっしゃらないのかしら? 伯爵令嬢である貴女が首席だなんて、セント・エバスティール魔法学院も地に落ちたものですわね」
そう言って高らかに哄笑する。
口元に手の甲をあてがって胸を反らせ、天に向かって哄笑しているのだ。さすがに竜也も眉根を寄せる。現実に、そのような笑い方をしている者に初めて出会った。
「そうそう。私は使い魔召喚の儀式で、稀に見る使い魔である有翼猫を召喚してみせたのですよ」
ひとしきり哄笑した後、今度は左手を腰に当て、右手をエレーナにビシリと突き付けて勝ち誇ったように宣言する。
その、いちいちオーバーなリアクションと得意げな顔に、エレーナは疎まし気に溜め息を吐く。
「ミノル!」
クリスティナが使い魔の名を呼ぶと、足元にサッと有翼猫が現れた。黒猫だった。その黒猫の背中からは、カラスのような漆黒の翼が生えている。
「これは私が召喚した有翼猫のミノルです。貴女は、いったいどのような使い魔を召喚したのです?」
その勝ち誇ったような問い掛けに、エレーナは竜也の顔を一瞥する。
クリスティナは、そこで初めて竜也に気付いたように視線を向けた。
「私が召喚したのは……」
恥ずかしそうに外方を向いて、口を尖らせながら何やら小声で呟く。
その様子と竜也を交互に見やり、クリスティナは眼を真ん丸にして驚愕を露わにした。
「まさか人間の男を召喚したの?」
まさに開いた口が塞がらないといった様子で、口をパクパクと開閉させる。
「負けたわ……」
ガックリとその場に膝と両手を付き、項垂れながら愕然とした表情で呟く。
—— ええーっ!
てっきり『男を召喚するなんて……』という展開を予想していたエレーナと竜也は、唖然とした表情でクリスティナを見つめていた。




