第六十三話
突然、セント・エバスティール魔法学院の校舎中に、けたたましいサイレンの音が鳴り響きだした。
四時限目の授業が終わり、帰宅の準備をしていた生徒達は、固唾を飲んでそのサイレンの音に耳を傾ける。
『非常呼集! 非常呼集! 学院の全生徒は聖堂に集合して下さい』
各階に配置された水晶球の拡声装置からアナウンスが流れ出す。
竜也は、突然の騒々しいサイレンと放送に跳び起きた。
「な、なに? このサイレン?」
同じく飛び起きたエレーナも、真剣な表情でアナウンスを聞いている。
「分からないわ。非常呼集だなんて初めての事よ。これから戦争でも始まるのかしら?」
「まさか……」
あながち間違っていない予想だったが、竜也は引き攣った笑いを浮かべる事しか出来なかった。
エレーナは、素早くベッドから降りると身支度を始める。
「あ、あの……。まだ途中なんですが……」
竜也はベッドの上から、そんなエレーナを涙目で見やる。
「今は、そんな事してる場合では無いわ。貴方も早く用意しなさい!」
エレーナに責っ付かれて、渋々用意を始める。その間もサイレンの音と放送は、繰り返されていた。
身支度を整え、廊下に出る。普段は淑やかに歩いている生徒達は、制服姿にも拘らず駆け足で聖堂に向かっていた。
初めての非常呼集に、皆の表情は硬い。緊迫した空気に飲まれながらも、竜也はエレーナの後に続いて聖堂へ向った。
学院の校舎を出ると、すぐ左手に聖堂がある。皆に遅れないように一緒に駆け足で聖堂に入る。中等部の者達までも集まって来ていて、もう既に大半の生徒達が参集していた。
壇上中央には、スベントレナ学院長が佇んでいる。その端に見える五基の柩が痛々しい。
皆は、固唾を飲んで学院長と五基の柩を見上げていた。
粗方の生徒が聖堂に集まった頃合いを見計らって、スベントレナは徐に言葉を発した。
「もう皆さんご承知の事と思いますが、昨日に引き続き今日もまた尊い命が失われました。高等部二年生のバネッサさん。同じく三年生のロレインさん、メリンダさん、ネジェドリーさん、シャルロットさんです」
スベントレナは、聖堂内に居る一同を見回す。悲しみに打ち震えている者は少ない。非常呼集が掛かった理由を、緊張した面持ちで聞き逃すまいと傾聴している者がほとんどだった。
「この非常事態を引き起こしている原因に魔の者が介入しているという情報が、国の諜報機関より開示されました。そして今朝方、二万の兵がアルガラン共和国との国境沿いにある魔界の入口へ進攻いたしました。
しかしながら魔族軍の策略に嵌り、現在は退路を断たれた状態となっています。我が学院の皆さんは、学院特殊規定二十七項と、部隊行動基準C項の交戦規程Σに則り軍隊として魔界の入口へ進軍してもらいます」
微かにざわめきが起こる。学院特殊規定を知らない者は居なかったが、初めて発令される命令に、動揺の色は隠せない様だった。
「静粛に!」
壇上に上がって声を上げたのはロベリアだった。
「交戦規程Σに則り、現時刻1630をもって、学院生全員が兵站支援部隊へ編成されます。第一小隊、隊長はメリンダ様。高等部三年生を指揮して頂きます。第二小隊、隊長はリリメイア様。高等部二年生を指揮して頂きます。第三小隊、隊長はジェレミーさん。高等部一年生を指揮して頂きます。第四小隊、隊長はジュディスさん。中等部三年生を指揮して頂きます。第五小隊、隊長はエイドリアンさん。中等部二年生を指揮して頂きます。第六小隊、隊長はサンドラさん。中等部一年生を指揮して頂きます。
僭越ながら私が中隊長を務めさせて頂きます。それでは、1700迄に第一、第二、第三小隊は、第一戦闘装備で。第四、第五、第六小隊は、第二戦闘装備で学院の正門前に集合して下さい」
微かに悲鳴が上がる。まさか軍隊として出兵する事にるとは予想だにしなかったのだろう。悲壮感が顔に滲んでいる生徒も少なからず居る。
そこまで悲観していなくても、今から出陣となると今晩は徹夜? と眉根を寄せている者もいる。まだまだ多くの生徒達が学生気分のままだった。
ゾロゾロと戦闘装備に着替えに、地下の更衣室へ向かう。竜也は、宿直室に装備一式を置いていたので宿直室へ向かった。
茶色の皮の服の上にライトブルーに輝く板金の胸鎧を着込んでいく。全装備を装着すると盾を背中に背負った。青銅の片手剣を腰に佩くと、姿見鏡の前で装備をチェックする。
ミスリル銀の鈍い輝きが、まさにいぶし銀の輝きとなっていて、惚れ惚れする程の美しさを醸し出している。もちろん中身の男も良い男だ。
「なに一人で馬鹿な事考えてるのよ?」
急に声を掛けられ、竜也は吃驚して背後を振り返る。そこにはエレーナが佇んでいた。
板金の胸鎧に佩楯という竜也と同じような装備だ。武器だけが違っていて、腰には細剣を吊るしていた。
エレーナは、心配気に竜也を見やる。身なりは一人前だが、中身は素人の域を超えない初心者なのだ。魔界進攻などという本格的な戦闘に、果たして彼を連れて行って良いものか思い悩む。
「大丈夫だよ。僕はこの為に、此方の世界に呼ばれてきたんだからね」
竜也はエレーナをそっと抱きしめて、安心させるように言い放つ。
「貴方に本当に活躍してもらうのは、来年なんだからね。それまでは、私が命に代えても守ってみせるわ」
エレーナの発言に、竜也は苦笑いを浮かべる。
「女性に守ってもらう勇者って、ちょっと恥ずかしいよ。僕も命に代えてもエレーナを守ってみせるよ」
二人は、どちらからともなくキスをする。
竜也はチラリとヘッドボードに置いてある水晶時計に視線を向けた。
「集合まで後十五分……。ちょっと時間足りない?」
「鎧をまた着る時間を考えたら、五分を切るのよ。この遠征が終わるまでは、お・あ・ず・け」
清楚で可憐な美少女の、誰も知らない扇情的な表情に、竜也は思わす強くエレーナを抱きしめた。
—— これから一体どんな状況に陥っていくのかは分からないが、絶対にエレーナは守ってみせる!
そう強く心に刻み込む。
しばらく二人は抱き合った状態のまま、身じろぎ一つしないでいたが、やがて名残惜しそうに抱擁を解くと宿直室を後にした。




