第四十一話
四月三十日、氷曜日の十六時五十分。竜也達一同は、期限ぎりぎりで学院に帰って来た。レクス・エールーカを倒すのに三日を要してしまった為、卵集めは思うように捗らなかったのだ。
スベントレナ学院長に帰還の報告をした後も、まだまだ作業は続いていた。
収穫してきたジャイアント・キャタピラーの卵を、学院の地下迷宮のドーム広場へ布置し、そこにまたしても居座っていたジャイアント・スパイダーを倒し、『芋』が居なくなった為に、急激に伸びた雑草を処理していたら、あっという間に寮の門限時間が迫って来ていた。
エレーナ達寮生組は、急いで学院を後にする。
竜也はやっと解放されて、宿直室の自分のベッドに転がった。一週間の野営で、精神力は極限まで削られていた。
寝ている間も『R芋』の大暴れが引き起こす地響きのせいで頻繁に起こされ続けて、おちおち寝ていられなかったのだ。
『R芋』を倒した後も、卵がまったく集まっていないという理由から、寝る時間も削って戦闘に明け暮れた。
握りにくい剣の持ち方と、足がつりそうな状況で(実際何度か足がつった)よく生き延びれたと不思議に思う。
もちろんエレーナや他の皆のサポートがあったからではあるのだが、それでも生き残った事が奇跡としか思えない程の危機の連続だったのだ。
絶体絶命の死地に開花する能力、ゾーン現象は少しだけだが理解してきた。しかし、その現象は絶対的な物では無かった。
学院で暗殺者に心臓を刺されかけた事があったが、あの時は眼を見開く事しか出来なかったのが、今なら回避しようとする事が出来る、という程度だ。
今後の修業次第で回避できるようになれるのかは、努力次第といった所だろう。
特訓は明日からだ。今まで以上に過酷な訓練が待ち構えている。死に至る寸前まで追い込んで魔法で体力を回復させ、また死に至る寸前まで訓練を続けるという拷問のようなトレーニング方法だ。
どんな物になるのか考えるだけで背筋が寒くなる。
—— 明日の為にも早く寝よう……。
そう思って眼を瞑った時には、竜也は既に寝息を立てていた。
◇
翌朝。眼を覚ました時、竜也は目の前の光景に驚愕していた。目前にはエレーナが居るのだ。しかも一つの毛布に包まって一緒に寝ているのだ。
いったい、この状況は何なのかと必死で考えてみる。昨日はゴズの森から学院に帰って来て、宿直室にある自分のベッドで寝た筈である。
辺りをそっと見回してみる。見覚えの無い知らない部屋模様で、宿直室では無かった。
いったい、ここは何処なのかと必死で考えてみるが思い浮かばない。もう一度、昨日の自分の行動を思い返して見るが、現状につながる手掛かりは何ひとつ思い出せなかった。
—— これは夢なのか……?
エレーナの胸に、そっと手の平を当ててみる。ほとんど起伏のない胸は、間違いなくエレーナの胸だ。こんな小さなモノでは、夢かどうかを量る事は出来なかった。
突如、エレーナが眼を覚ました。竜也との顔の距離は二十センチにも満たない。そのまま優に十秒以上も固まっていた。彼女自身も現状の把握が出来ずにいるのだろう。
「おはようエレーナ」
「おはよう……じゃないでしょう!」
エレーナは、自分の胸に添えられている竜也の手を取ると、関節を決めつつベッドから蹴落とした。
「何故タツヤが私の部屋にいるの? どうやって入って来たの? 私が寝ている間に何をしたの?」
「ベッドがら蹴落とすなんて酷いなぁ。僕がここにいる理由なんて一つしか無いじゃない」
エレーナは竜也の心を読み、その理由以外の可能性を必死に考える。学生寮の防犯システムは強固なものだ。竜也が侵入できるような代物では無い。ではなぜ竜也はここに居るのか……。
竜也のニヤニヤ笑いを見つめながら、必死にそんな事は無いと自分に言い聞かせる。しかし、竜也がここにいる理由を、それ以外で証明する事は出来なかった。
寝ている間に、無意識に竜也を呼び寄せてしまったのだ。なぜそんな事をしてしまったのかという言い訳を必死で考える。
「ゴズの森から帰って来て、一緒に寝られなくなって寂しかったんだよね?」
「ちがいます!」
エレーナは、顔を真っ赤に染めて首を左右に振る。
「またまた、照れちゃって……」
竜也は、再び毛布に潜り込む。毛布の中でしばし格闘が続く。
「あんまり大きな音たてたら、隣に知られちゃうわ」
「じゃあ、声を押し殺してね」
—— ぁんっ!
竜也に抱き寄せられて、エレーナは思わず声を押し殺す。主人は自分なのに、言いなりになっている事に愕然とする。
「腕時計のセンサーに、変な記録が残っちゃうでしょう」
無理やり竜也をベッドから蹴落とす。ヘッドボードに置いてある水晶時計を見て時間を確認する。
昨日は寮の門限ギリギリまで学院で作業をしていて、寮に帰ってからも一週間の学習の遅れを取り戻すために復習や、その他雑務をやっていたので寝坊気味だ。
すぐにでも学院に行かなければいけない時間なのだが、寮に設置してある防犯水晶カメラに竜也の姿を写さないように脱出させる為には、どのようにすれば良いか思い悩む。
「エレーナは普通に登校して宿直室まで行って、そこで僕に帰還指示を出せば良いんじゃないの?」
どうしようか思い悩んでいると、竜也が解決策を提案してくる。確かに妙案だ。しかしエレーナには一つ気がかりな事があった。この部屋に竜也一人を残していくと、彼がどのような行動を取るかは、火を見るより明らかだ。
「良いですか? 絶対にこのクローゼットの引き出しを開けてはいけませんよ!」
エレーナは何度も念を押しながら、そそくさと登校の準備を済ませると、断腸の思いで学生寮を出て行く。
竜也は、一人でエレーナの部屋に取り残された。
開けて欲しい物を、絶対開けるなと何度も念を押すのは漫才の鉄則だ。きっとエレーナも、このクローゼットを開けて欲しかったに決まっている。そう解釈してクローゼットの引き出しを開けてみる。
中身は、小さく丸められた布切れが詰め込まれていた。試しに一つ取り出して広げてみる。逆三角形の形をしたそれは、予想通りの物だった。
お約束で匂いを嗅いでみる。洗濯済みなので興奮もしない。
だいいちエレーナは、登校しながら此方の様子を気にかけて窺っているのに、何のリアクションも返してこないのが不可解だ。芸人失格である。
竜也はパンツを頭に被り、エレーナがクローゼットを開けてはいけないと、何度も繰り返した意図を考える。
精神制御の鍛錬は、お互い更に磨きがかかっていて、簡単には相手の心理は読み取りにくくなっていた。
クローゼットを開けさせたのは、エレーナが何か隠し事をしていて、注意をこのクローゼットに向けさせるためではないかと推測する。
—— やめなさいよ……。
エレーナの不安気な思念が伝わってくる。確定だ。なにを隠しているのか、エレーナが学院の宿直室に着くまでの三十分が勝負だ。
竜也は、まずは定番のベッドの下から物色を始める。
エレーナは、歩くスピードを更に上げた。
淑女の嗜みとして純白の長衣を着ている時には、優雅に振舞わなくてはいけない。走れないのだ。優雅に見える限界速度で歩いて行く。
「ごきげんようエレーナ様」
「ごきげんようエレーナ様」
次々と挨拶を交わしに来る者達に挨拶を返す。とてもではないが、優雅に振舞ってはいられなかった。
エレーナの部屋は、綺麗に整頓されていた。リビングとダイニングキッチン合わせて八畳くらいの広さの部屋は、ホワイトオーク無垢材のフローリングと家具で統一されていて、非常に清楚な印象を与えている。
整頓され過ぎていて、ベッドの下とクローゼット、キャビネット、ディスプレイラック、学習机を調べると、もう調べる場所が無くなってしまった。
バスとトイレも見て回るが、おかしな所は何も無い。エレーナの焦りの心を見て取る限り、何かありそうなのだが、なにも見つける事は出来なかった。
「ごきげんようエレーナさん」
エレーナが学院に向かって急いでいる最中、ロベリアが声を掛けて来た。
「ごきげんようロベリアさん」
エレーナは引き攣った顔を誤魔化すように笑顔で対応する。今一番会いたくない相手に出くわしてしまった。
いったいどこまで自分達のやり取りを、あの腕時計のセンサーで感知しているのか不明なので、竜也が今どこに居るのかすら把握されているのでは無いかと不安になる。
「そんなに慌ててどうしたのです?」
「いえ、その……。何でもありません」
適当な言い訳が見つからず、お茶を濁す。
「エレーナさん。重要なお話があるのですが、今日一日付き合って頂けませんか?」
「授業を休んでですか?」
エレーナは、訝しげに眉根を寄せる。重要な話とやらは、まず間違いなく竜也が絡んでいるに違いない。
今日から勇者育成計画は本番を迎えるのだ。ロベリアの様子からは、嫌な予感しか感じ取る事は出来なかった。
それに出席ポイントも気になる所であった。四月は竜也を召喚したその日から、真面に丸一日ちゃんと授業に出席したのは、たったの一日しかないのだ。シェリルだけでは無く、ローレンスやミルドレッドにまで序列は抜かされているだろう。
「私はこれだけ休んでいても、卒業出来そうなのです。心配しなくても大丈夫です」
ロベリアは安心させるように言ってくれるが、心配するポイントがずれていた。エレーナは学年一に返り咲けるのかを心配しているのであって、卒業は当たり前の話なのだ。
それでも竜也に関すると思われる重要な話と、学年首席の座を天秤にかけると、大切な方は竜也に関する事柄だった。
「分かりました。お話を伺いましょう」
その様子を竜也は、エレーナの思念から感じ取っていた。いま余計な事をすると、エレーナの学院生活に再起不能のダメージを与える事になる。仕方が無いので、ベッドに腰掛けて大人しく様子を窺う事にする。
手持ち無沙汰に部屋の様子を眺めている時だった。何気なしに膨らんだ毛布を訝しみ、めくってみると抱き枕が出て来た。その抱き枕を眼にして竜也は微妙な苦笑いを漏らす。
抱き枕には、自分の名前が漢字で書かれていたのだ。
竜也のタツという字が、此方の世界で言う旧世界語で竜と書くと教えたのはゴズの森での事だ。その日から毎晩、寝る時にエレーナに自分の名前の書き方を教えていたのだ。
ゴズの森から帰って来たのは昨日なので、エレーナがこれを書いたのは昨日の晩だと推測できる。
この抱き枕を抱いて寝ている内に、本物の自分を召喚してしまったのだろう。
—— これは知られたくはないよな……。
竜也はエレーナの様子をそっと窺う。エレーナは、ロベリアの方に気が向いているようで、抱き枕を発見された事に気付いてはいなかった。
竜也は、そっと毛布を元に戻して抱き枕を隠してやった。




