第三十話
手っ取り早く着替えを済ませ、地下迷宮に潜る。竜也は、昨日同様、防御重視の出で立ちだ。エレーナとセシルは灰色の長衣姿だ。昨日の初期装備との変更点はエレーナも始めから棒杖を持っているという点だった。
ジェレミーも昨日同様板金の胸鎧姿だ。武器も盾も同じものだった。
ロベリアとドリーヌは板金鎧姿だ。ドリーヌの武器は昨日と変更点は無い。一方のロベリアは手ぶらだった。たぶん中空から緑色に淡く輝く大剣を取り出すのだろう。
戦闘系には関係ない事なのだが、この二人の鎧姿は凄まじく目を引く。何が? と聞かなくても分かるだろうが、おっぱいがだ。この世界にある胸をやたらと強調した鎧は、精密におっぱいの形を再現しているのだ。
その為、昨日のエレーナの軽鎧姿は非常に残念な物だった。残念という言葉は、エレーナの胸の為にある言葉だと再認識させられた瞬間でもあった。
不意に脇腹に肘鉄を食らう。エレーナに思考を読まれていたようだ。物凄い眼で睨まれる。
「タツヤ殿がエッチな事を考えると、アレが締まって激痛を与えるとかいう呪いのアイテムでも作りましょうか?」
ロベリアが、とんでもない事を言い出した。孫悟空が頭に付けられたという緊箍児よりも相当タチが悪い。淑女の考え出す類いのアイテムでは無い。ロベリアにまで心を読まれているような気になって竜也は慌てふためいた。
それから程なくして、皆はドーム広場に到着した。昨日同様ジャイアント・キャタピラーの死骸が、この広範囲の広場に無数に転がっている。
すぐさまジェレミーが使い魔のユウスケを呼び出し『芋』の処理にあたる。ユウスケは『芋』の死骸を見回し、これ全部埋めるの? と言わんばかりの嫌そうな視線を投げかけていたが、ジェレミーの無言の圧力に渋々といった感じで作業に取り掛かりだした。
敵索はセシルの担当だ。使い魔のヒロシを呼び出すと上空に放った。
「使い魔って呼ばれるまでは、いったい何処に居るの?」
竜也が、今更ながらの疑問を口にする。
「呼ばれるまでは、自由にどこかに行っています」
「ですが、勇者に自由はありません」
ジェレミーの言葉を引き継いで、すかさずロベリアが言葉を継ぎ足す。
竜也は、まだ何も言ってないのに……と、恨めし気にロベリアを見やる。
「敵発見。十一時の方向、ジャイアント・スパイダー、数二、距離八十!」
セシルの声に、皆の緊張が高まる。
「一匹ずつ釣れそう?」
「固まっているわ」
「では、しばらく様子を見ましょう。他に敵がいないか、敵探知お願い」
ジェレミーの指示に、全員その場で待機する。
「ジャイアント・スパイダー、通称『クモ』です。動きは『芋』よりは素早いですが、それ程脅威ではありません。やはり牙は鋭いですが鎧を噛み砕く程ではありません。ただ尻から出す糸は強力で、動きを完全に封じられてしまいます。初心者が糸に絡め取られると、死ぬまで抜け出せない恐れがあるので気を付けて下さい。
因って戦術は真正面からの戦闘が有利です。盾を噛ませておいて、その隙に側面からの攻撃で倒すのが一番無難です。盾役頑張って下さい」
ジェレミーの説明に、竜也は眼を剥く。
「僕も戦闘に参加するの?」
当然というように全員に頷かれてしまった。
「盾を持っている人って、ジェレミーさんもドリーヌさんも持ってるよね? なぜ僕なの?」
「ジャイアント・スパイダーはリンクします。万が一戦闘中に他の『クモ』がリンクしてきた時に、ちゃんと対応できる者が居ないと危険なのです。万が一の時には、私とドリーヌさんで対処するために、最初はタツヤ殿が適任なのです」
「一匹、離れていくわよ」
セシルの敵索報告に、皆の視線が『クモ』の居る方角へ向き直る。ここからでは距離もあるし『芋』の死骸の障害物に邪魔をされて視認は出来ない。
その方角の『芋』の死骸の埋葬をユウスケが行っているが、数が多すぎて間に合っていないのだ。
「釣ってくるわ。一匹目はタツヤ……。お願いよ」
竜也が、たくましくも覚悟を決めたというように頷くのを見て、エレーナは『芋』の死骸の合間を縫って『クモ』に近付いていく。
竜也は、程なくして見えなくなったエレーナが、『クモ』を連れて帰って来るのを心配気に待つ。
やがて、ドドドという地響きとともに目前の『芋』の死骸が蹴散らかされた。唖然と見つめる竜也の目前に現れたのは、足の長さも含めると全長四メートル程もある巨大な蜘蛛だった。足は太く毛むくじゃらで鋭い鉤爪を生やしいる。容姿はタランチュラに似た外見をしていた。
エレーナが竜也の横を駆け抜ける。竜也は『クモ』の容姿にかなり怖気付いていたが、根性を見せて『クモ』の前に立ちはだかると、左手に持っていた盾を叩き付けた。
硬革に金属の補強が付いているだけの盾に『クモ』が噛み付く。『芋』との戦闘の時に、鋼鉄製の盾がひしゃげるのを見てしまっているだけに恐怖心は尋常では無い。半泣きになりながら切迫感に耐える。
横合いからロベリアとドリーヌが、それぞれの獲物を持って突撃する。『クモ』は八本の足を出鱈目に踏み鳴らすように暴れだした。ドリーヌが跳ね飛ばされる。
すかさずジェレミーがドリーヌの穴を埋めるために『クモ』に突っ込んでいく。エレーナはドリーヌを助けに走っていった。
「もう一匹に気付かれたわ! まだ倒せない?」
セシルの声に、皆は戦慄する。
「あと少し掛かるわ!」
「もう一匹目は私が盾になるわ!」
ドリーヌが、エレーナの手を借りて立ち上がりながら言う。どうやらダメージはほとんど無さそうだった。
もう一匹の『クモ』が地響きを立てながら突っ込んでくる。目前の『芋』の死骸が運悪くドリーヌめがけて跳ね飛ばされた。彼女は『芋』の死骸を避ける事が出来ずに直撃を受けてしまい、一緒に吹っ飛ばされて動かなくなった。
慌ててセシルが土の精霊獣を呼び出した。土人形だ。地面の土が盛り上がり人の形を作る。土は岩のように固まり屈強のゴーレムとなる。
二匹目の『クモ』も竜也めがけて突っ込んできた。
一匹目の『クモ』に盾を噛み付かれ、良いように振り回されている竜也は、二匹目の『クモ』の特攻に吹っ飛ばされた。
『クモ』は仰向けに倒れている竜也に、伸し掛かるようにして牙を剥いている。
竜也は必死に盾を翳して耐える。地面に倒れたままの体制では『クモ』の力を上手く逃がせない為、盾や鎧が嫌な悲鳴を上げている。このままでは『クモ』の圧力に防具が粉砕されるのではないかという恐怖感に必死で耐える。
エレーナが、なにやら魔法語を唱えた。エレーナの目前に無数に現れた光の玉は、放物線を描きながら『クモ』目掛けて僅かな時間差を伴って降り注ぐ。『クモ』がたまらず逃げ出そうとするが、光の玉は『クモ』を追撃していく。ホーミング式の光の玉は、次から次へとエレーナの目前に現れては『クモ』を追尾するように飛んでいった。
土人形が、その『クモ』の前に立ちはだかる。『クモ』の突進をなんなく受け止めると、握り締められた巨大な拳を振り下ろす。頭部が完全に地面にめり込むと『クモ』は動かなくなった。
ロベリアとジェレミーが対応していた一匹目の『クモ』も程なく動きを停止する。
竜也は何とか上半身を起こした。脇腹に激痛が走るので見てみると、硬革の鎧がさけて血が滲み出していた。『クモ』の鉤爪に何時の間にかやられたのだろう。牙に気を取られて必死になっていた所為で、いつ爪を食らったのか全然覚えていなかった。
ドリーヌが、エレーナに助け起こされて起き上がる。ドリーヌも大した怪我をしているようには見えなかった。
「みんな無事ね?」
ジェレミーの呼び掛けに、皆は頷き返す。竜也だけが元気よく手を挙げた。
「いつの間にか脇腹を負傷したみたいで、凄く血が出てるんだけど……。これ大丈夫かな?」
ジェレミーは竜也の脇腹をチラリと見やる。負傷した方の手をあれだけ元気よく挙げられたのだ。全く問題はない。
「それくらい大丈夫です」
ジェレミーの言葉に竜也は、ある程度予想していたのか素直に引き下がった。元の世界の病院に行けば確実に十針は縫われそうな傷だが、内臓に達していないし動けないという程でもない。この世界では、これが掠り傷だと自分に言い聞かせる。いちばん不安なのが毒や変な病気を持っていないかという事だった。
その点は大丈夫なのか不安になり、エレーナに視線を送る。エレーナが大丈夫と頷くのを見て、ひとまず安心する。
「他に敵はいない?」
ジェレミーの問いに、セシルが瞑目して使い魔のヒロシと交信する。
「大丈夫みたい。オールクリアよ」
そこで、ようやく皆は臨戦態勢を解いた。
エレーナは魔法の薬のようなものを取り出して、竜也の傷口に塗りだした。途端に竜也は悲鳴を上げる。塗った瞬間に痛みが引いて傷が治るようなものを想像していただけに、この激痛は想定外だった。
いったい何を塗ったのか聞いてみるとアルコール消毒液のようなものらしかった。
消毒が終わると、針と糸を取り出した。鍼治療と称して腕のツボに突き刺した針だ。そして、この針と糸で傷口を縫おうとしている事は明白であった。
そう悟った瞬間、両手両足を皆に掴まれる。
「ちょっ……。ちょっと……」
竜也は鎧を脱がされていく。恐怖で手足を必死で縮こませようとしながら問い掛ける。
「傷口を縫おうとしてるって事は分かるんだけど、麻酔ってこの世界には無いの?」
「マスイ?」
必死に針に糸を通そうとしながら、エレーナが小首を傾げる。この世界には麻酔が無いのか? と恐怖に戦きながらエレーナの苦戦ぶりを見やる。
「あるけど使いません」
「な……何故?」
「値段が高いのです。それに副作用が怖いのでお勧めできません」
「魔法の副作用が無いタツヤ様なら、マンドレイクの副作用さえ無効化できるのでは無いかしら?」
ドリーヌの提案に、しかし他の皆は賛成できないというように首を振る。
「危険すぎます」
「マンドレイク代は私が出すわ。これで実験してみては如何かしら?」
ひとを実験動物のように言わないでほしい。竜也は、すがるような視線をエレーナに向ける。
「やはりお金の問題ではありません。安全性の問題です」
「副作用って……?」
竜也は、恐る恐る尋ねてみる。
「毒性が強く、幻覚、幻聴、嘔吐、瞳孔拡大を伴い、場合によっては死に至る事もあります」
竜也は、このまま麻酔なしで縫合されるという恐怖と、そのマンドレイクという物の副作用の恐怖を天秤にかけてみる。
「もし魔法が使えない状況で、竜也が重傷を負ったのならマンドレイクを使うかもしれませんが、これくらいの傷で死に至るような副作用がある実験をするのは危険すぎます」
「それだ!」
竜也は、閃いたと言わんばかりに声を上げる。
「魔法を使えば良いのでは?」
「この一週間は、余程のことが無い限り治癒魔法は使いません」
エレーナが、いまだ針と糸と格闘しながら言い募る。
「それは良いのですが、エレーナさん……。細剣なら針の穴を通す程の事を造作もなくやってのける貴女が、先程から何をやっているのです?」
ジェレミーが、焦れたようにエレーナを責っ付く。
「裁縫は、やったことが無くて難しいのです。剣でなら針の穴をも通す自信があるのですが、糸は先が広がっていて通しにくいのです」
よく見ると糸先は、針の穴より太く毛羽立っている。それをそのまま針の穴に突っ込もうとしているのだ。通る訳が無い。もし通ったとしても裁縫初心者のエレーナが、ちゃんと縫えない事は火を見るより明らかだった。この針は裁縫針であって医療用縫合針では無いのだ。
「糸の先を斜めに切って鋭角にすれば、針の穴に通し易くなるのでは?」
ロベリアの提案にエレーナは、なる程と相槌を打つ。聡明な彼女がこんな事も分かってなかったのかと戦慄さえ覚える。
「では、糸を此方に翳して下さい」
エレーナが、糸をロベリアの方へ翳すと彼女は緑色に淡く輝く大剣を振り被った。
竜也が唖然と見守る中、ロベリアは糸の先を刃渡り二メートルもある大剣で斬り付けたのだ。
剣圧は、四肢を固定されて逃げられない竜也の所まで届いた。その行為は、確実に竜也の魂をも削っていった。
竜也は、ぐったりと項垂れる。漫画の世界なら、魂が口から出かけている状態だ。
「これで通し易くなったでしょう」
なんとか針に糸を通し終える。ぐったりしていた竜也が、ふたたび逃げ出そうとするかのようにもがき出す。
「タツヤ、動かないでね……」
エレーナが傷口のすぐ横を裁縫針で突き刺す。傷口の反対側に針を出さないといけないのだが、出鱈目な所から針先が顔を出す。裁縫レベルは小学生低学年並みだ。
「エレーナ……。針を貸して……。自分で……やるよ……」
竜也は痛みに耐えながら、言葉を絞り出す。
その真剣な目付きにエレーナは、竜也を押さえ付けている皆に目配せをする。皆が、竜也を開放する。
竜也は、無言でエレーナに向かって右手をさし出した。エレーナから裁縫針を受け取ると目前に掲げ、まじまじと見つめる。
呼吸は既にそうとう荒いが、何とか落ち着かせるために深呼吸を繰り返す。医療用の縫合針さえあれば、今なら簡単に自分の身体を縫う事が可能のように思えてくる。極限に追い込まれている証拠たった。しかし、もっと極限に追い込まれたら……? この針があるだけマシな状況が現れたら……?
呼吸が落ち着いてくる。やるしかないのだ。先程エレーナに刺された時の痛みを思い出す。あの痛みは大した事は無かった。痛みに耐えられなかったのではない。あの小学生低学年レベルの縫合が怖かったのだ。自分なら出来る。絶対できる。絶対やれる。
そう自分に言い聞かせながら、竜也は傷口を併せ持つと針を自分の脇腹に突き刺した。
歯を食いしばって痛みと恐怖に耐える。荒くなる呼吸を必死で落ち着かせる。眼に涙が滲んできたが視界確保の為に泣いても居られなかった。
ちゃんと狙い通りの所から針先が顔を出した。少しだけ、いける! という希望が沸いて来る。
竜也は、可もなく不可もなく卒なく何でもこなす。今回も医療用縫合針が無いにせよ卒なく無難に傷口を縫合してみせた。皆が、その技術に驚きの色を見せている。
「タツヤ殿は、細かい作業が得意なようですね。お見事です」
二メートルもある大剣で、裁縫用の糸を切った大雑把なロベリアに言われても、ちっとも嬉しくない。
竜也は、ぐったりしながら自分で縫合した傷口をぼんやりと眺める。昔の映画で、自分の傷を自分で縫っているシーンがあった事を思い出す。自分もあのような屈強な戦士にならなければいけないのだ。しかもその過程は命を懸けた訓練でなのだ。
神様がポンと出てきてチート能力をもらって、ドカーンと敵の軍隊を吹き飛ばすような展開は、もう望んではいなかった。とにかく今は、生き延びるために強くなろう。そう心に決めて眼を瞑った。
エレーナが、必死に何やら叫んでいた。しかしその声は遠く、竜也の耳には何を言っているのか聞き取る事は出来なかった。




