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第十節「合宿」

研修2日目。翌朝燐が目を覚ました時には既に睦海は支度を済ませ制服に着替えた後だった。布団もきっちりたたんである。

「おはよう」

朝の挨拶を交わす。

「おはよう、寝癖ついてるわよ早く支度したら」

朝食を昨日と同じく社員食堂で摂り一同は研究棟にある研修室の一室へと向かった、食事食事を終えたタイミングでユーディットも合流していた。室内で午前研修が始まるのを待っていると扉から一人の男性が入ってきた。目のくぼみが特徴的な壮年の男性だった。

「おはよう諸君。気分はいかがかな」

つづいてユーディットが紹介を始める。

「みんな、彼が昨日話した今回の講義を受け持ってくれるエゴール・パザロフよ。知っている人もいるでしょうが彼は機械工学の専門家でAW開発の第一人者でもあるの。今では海外の大学や研究機関で客員も務めているわ。この数日、彼のもとできっちりAWのことを学んでね」

説明を終えるとユーディットは部屋を後にしてしまった。

「それでははじめようか、とはいえ畏まることはない。君たちに知りたいという欲求さえあれば決して難しい話ではないはずだ」

そしてエゴール氏のもとAWの特別講義は始まった。初日の今日はAWの歴史から始まることになる。その始まりは建設土木など重機を伴う現場での効率化のために開発されたことによる。そして高所での作業、水中水上での作業と活躍の場を増やして行き同時にAWも姿や装備を変え多くの派生型を生んでいった。AWが競技的な側面を持ち出したのは当然の様に兵器利用へと使用用途が移っていったことによる。AWを兵器化できれば現行の軍事兵器をいくつも凌ぐ成果を上げることが期待できた。それゆえさまざまなところでAWの存在を危険視する動きが高まった。その解決策としてAWの競技運用が現実化してきたのだ。奇しくも一部では既に兵器として利用されているAW。けれど世界規模での戦争に発展することを避けるためAWを用いた競技種目を設けることで各国間の緊張を保ち軍事バランスを調整することに相成った。これは功を奏しここしばらく長い年月において大規模な戦争に発展した例は希だ。国家軍が大々的に持ち出したという事例はない。それでもさまざまな国家では有事に備えてAWの特別部隊が編成されているのが現状だ。そしてこれからの課題は技術の進歩ととも発展していくAWをどのように人類に役立て尚且つ争いの種になるのを防ぐかにある。

「というのがAWの歴史にあたるんだが、わかったかね」

エゴール氏の講義内容はとても興味深く、概略に触れた後に個々の項目に細かく触れていく。一般的な見解に自身の見解を織り交ぜさらには時代における変化をも語ってみせた。まるで世界のAW事情全てを把握しているようなその言葉に燐も含め学生たちは関心と尊敬の念で瞳を輝かせる。終の見えない氏の弁はなおも続いていたが時計の針は既に正午を過ぎておりそして口惜しくも終わりを告げるようにアナウンスが流れた。声の主はユーディットであった。講義が終わってもしばらくは学生が群がって氏は帰る気配を見せなかったが学生たちも今後のスケジュールがあるためなくなく後日へ持ち越しとなった。

「すごかったね、皇さん」

燐も今回の講義に大変な刺激を受けた。始まるまでは座学よりも実技演習の内容に期待の比重を傾けていた彼だがそんな燐を虜にするほど氏の話はAWを携わる者には神の教えのように聞こえたようだ。

「すごいってのは彼らが?それとも」

「もちろんエゴール教授だよ!!いやほんと勉強なんてほどほどになんて思ってたのに、惜しいよなクラスのみんなにも聞かせてあげたいくらいに」

「やけに興奮してるわね、あなた」

「あはは、ごめんなんだか恥ずかしくなってきちゃった」

「けどそうでもないわ。正直私も興奮してしまったことを自分を自覚しているもの」

「えっ!?皇さんが?いやそうだよね、うんわかるよ。だってほんとすごかったんだから」

僅かに恥ずかしそうな顔を見せる睦海。彼女のこんな表情はなかなかお目にかかれない。燐も講義への興奮とは別のところで睦海の貴重な瞬間を目にして驚きを感じていた。けれどもそれを勝るエゴール氏の講義は意義あるものであった。


午前カリキュラムの後学生たちは皆お昼を取るために社員食堂へと流れた。研修中の食事は全てここでとることになる。大手企業というだけあって提供される食事の質も種類も実に幅広い。ここが日本支社のと同時に海外企業であるのも事実で、よって各国から出向している社員のためにいろんな国の料理が振舞われることになる。それでも燐はほかに目移りしながらも日替わり和食定食を注文する。昼からは体力を要する実技演習の時間である。高カロリーの食事で腹を満たしては満足に体を動かせないだろうし何より日替わりの鯖煮が彼の目には美味しそうに映ったからだ。質がいいということは素材もいいということ。調味料をふんだんに活かした料理よりも素材の味を楽しめる和食の方がこの社員食堂のすばらしさを体感することができる。今回の研修に参加している学生は相手校も含めて外国籍の者も多い。にもかかわらずやはり日本食は人気のようで皆の盆の上は似たような並びである。

 定食を受け取り空いている席で睦海が来るのを待っているとふいに声をかけられる。

「ねえ、一緒していい?」

声の方を見るとそこには華やかな笑みをたたえた褐色肌の女性が立っていた。燐とは異なる制服を着ていることから姉妹校の学生だと簡単に推察できる。燐が答えるより先に彼女は燐の隣に腰を下ろした。

「向かい空いてるけど」

八人がけのテーブルで自分の右隣に陣取る彼女に疑問を感じる。

「有名な話で対面よりも隣に座ったほうが親密になりやすいんだって」

「そうなんだ」

今なお活動している間は耳から通訳機を外すことはしない燐。学園に入学してからというもの日本語以外で話しかけられることが段違いに多くなったからだ。通訳機は片耳につけているため自然相手が話すそのままの言語も耳に入ってくる。なので彼女が英語を話していないことも感覚でわかる。ちなみに彼女も耳には通訳機らしきものを装着している様子。

「えっと、それスペイン語かな。あまり詳しくはないんだけど」

なんとか学園では一応言語学習の授業もある。いわゆる第二外国語と言われる授業の他に常用語としての頻度の高い英語とスペイン語、加えて日本校ゆえ日本語の授業がそれとは別枠で必修のように存在する。まだ一ヶ月も授業は受けていないがそれでも言語ごとの特徴というものは感覚で学びつつある燐であった。けれど少女は燐の問いかけに首を振る。

「似てるんだけど違う。私が話してるのはポルトガル語なの」

「そうなんだ?似てるんだねスペイン語と」

「まあね」

「ということはポルトガルかヨーロッパの人かな」

「残念、私はブラジルからドイツに留学中」

「ごめん。そういうことは無学で」

「気にしない気にしない」

そう言って少女は正面を向いて食事に手をつけ始める。彼女の食事も燐と同じ日替わりの鯖煮定食だ。けれどやはりというべきか箸を使わずスプーンとフォークで食している。

「うん、美味しい。日本はいい国ね。ご飯が美味しい国に悪い国はないわ」

「あはは、すごく美味しそうに食べるよね君」

燐の言葉の通り食事をしている彼女の顔は実に幸せそうであった。

「そう?」

気にする様子もなく彼女は次々に口へ食べ物を運んでいく。真横に座っているせいで顔を凝視することはないが度々見る横顔は同年代にしては大人びて見える。けれどそれは単に燐が日本人の感覚で彼女を見ているからに過ぎないのだろう。

「美味しそうに食べてるのにごめんね、せっかくだから名前教えてよ」

彼女のスプーンを持つ手が止まり食物を喉に流し込もうと口をもぐもぐさせる。燐は彼女が咀嚼している間黙って待っている。ごくんと小さく音を鳴らして彼女が口を開く。

「ペドラ・マリア・シルヴァよ。ペドラって呼んで欲しいな」

「ペドラか、よろしく。俺はリン・シドウ。リンでいいから」

互いにようやく挨拶を交わす二人。そこへようやく盆を持った睦海が登場した。

「ああ、皇さんこっちこっち」

こちらの呼びかけにも変わらずゆっくり歩いてくる睦海。彼女はペドラとは違い自然に燐の対面に腰掛ける。対面とはいっても左斜め対面だが。

「遅かったね」

「社員の人達と時間がかち合っちゃったようね」

「そうなんだ」

睦海の昼食は一見燐たちと同じ鯖煮定食のようだが雑穀米のご飯に副菜に菜食が多い健康志向の献立のようだ。睦海は燐の真隣に陣取るペドラの姿にさして気にかける様子もなく食事に箸を付ける。

「そういえばペドラはなんで俺に話しかけてきたんだ。普通は一緒の学園の子と食べないか」

「せっかくの機会だから知らない子とも仲良くしたいと思って。今だけじゃないのよ昨日も今朝もそうしてたし」

「社交的なんだなペドラは」

「だから、あなたの名前も教えて欲しいな」

優しい笑顔でペドラは睦海に話しかけた。そして互いに簡単な自己紹介を交わす。

「じゃああなたのことはムツミって呼ばせてもらっていいのかな」

「ええ結構よ」

こうして三人は共通の知人になる。

「へえ向こうでは英語で会話してるんだ」

「そう、ほとんどの生徒が留学生だからね。あっちの子はあんまりこれ使わないから」

そういって自身の耳を指差すペドラ。これとは通訳機のことを指している。

「すごいな、俺なんか英語もまだたどたどしいし」

「いいんじゃない、便利なものは使わなきゃ損よ。ね、ムツミ」

「そうね、言葉なんて所詮手段だもの。話せる話せないで人の価値を判断するのは良くないわ」

「そうだよねえ」

他愛ない話を重ね親しげに食事を続ける三人。直にペドラが一足先に食事を済ませると別れを告げ席を立つ。

「ごちそうさまでした。それじゃリン、ムツミ。お昼にまたね」

手を振って去っていくペドラ。その後ろ姿を眺めながら睦海が言葉をこぼす。

「すごいわね彼女」

啜りかけの汁物をおいて燐が問いかける。

「確かにすごいよな。社交的っていうか物怖じしない感じが」

けれどすぐさまその言葉を睦海は否定した。

「違うわ、あの臀部よ」

思わず吹き出しそうになるのをなんとかこらえる燐。

「臀部って、尻のことだよな」

そういって改めてペドラの尻を凝視する燐。風船のように膨らんだ臀部が制服の生地を押し広げている。

「意外だな。皇さんってそういうの関心あるんだ」

「そういうことって」

それこそ意外そうに睦海は聞き返す。

「いや、尻とか胸とかの大きさみたいな?女の子として」

微妙に視線を外し答える燐。こういった話題は女性の前で口にするのをはばかられる気がしてほかならないからだ。

「誤解しているようだけど私が言ってるのは個人差ではなく彼女の人種的特徴よ。よく聞くでしょ臀部の発達が著しいって」

「ああ、一般論ね」

「なにかしら、なぜか不愉快に感じるわね」

決して語調を荒げずに睦海はそう口にした。

「ごめんなさい」

視線を合わせずに燐は謝罪の言葉を呟いた。


食事も終わり迎えた午後からの実技演習。学生たちはフィッティングスーツを身にまとい演習場に集合した。かんとか学園のフィッティングスーツは傍からみてもわかるように燐たちのものとは色もデザインも異なっている。それでも基本形状は同じようだ。午前の講義とは違いこちらの演習ではまだ指導教官が知らされてはいない。今はとりあえず集合場所でユーディットが現れるのを待っている状況だ。するとしばらくしてユーディットが姿を見せた。彼女の背後には長身の男性がついてきている。

「お待たせみんな。まず先に紹介するわね。彼が実技演習の教官を務めてくれるジャイルズ・バクスターよ」

ユーディットの紹介に応じて一歩目に歩み出て挨拶をするジャイルズ教官。

「みんな教官のジャイルズ・バクスターだ。GIC社製品のテストパイロットがここでの主な仕事だ、よろしく」

「今はテストパイロットをしているけど彼は以前アメリカ空軍に所属していたの」

「空軍ですか」

誰かが疑問を口にする。

「そうね、元軍人だからAWの操縦が秀でているとは言わないけれど今回の研修では彼の凄さを実感できると思うわ」

「持ち上げないでくれミズ・エーベル。ハードルが上がっては俺もやりづらい」

「ごめんなさい、けれど口で説明するより先に見せてあげて頂戴。ちなみに今からやってもらうのはカリキュラムの一部に過ぎないわ。期間の半分でこれくらいはやってもらうからね」

ユーディットが話を続けている間にジャイルズ教官は屋外に運び出された教官用のAWを装着し始める。

「なんとか学園のみんなはあれが普通のとどこが違うのかわかる?」

なぜかなんとか学園の生徒に向けてだけユーディットはそんな質問を投げかけた。

「どこが違うってあれ、パーツが少ないというか装甲が」

「飛行特化型のの軽装甲仕様ね」

すぐさま睦海が正解を口にする。確かに教官が装着しているものは装甲が全体的に薄い。AWの特徴的な大型のレッグパーツがおよそ三分の一ほどの密度しかない上に。各関節を覆うパーツもない。反対に背面のバインダーが身の丈ほどに大きく燐が学内で使用したものと比べ断然重量感が劣っている。あれでは機体にかかる衝撃を吸収しきれないのではと燐は危惧する。

「AWはね換装次第でいくらでもその姿を変えるものなの。なんとか学園での基本ウェアは安全性を追求したモデルなんだけど彼が装着しているものはその逆。まあ見てなさい」

あれこれ言い合ってる間に完全にジャイルズの準備は整ったようだ。

「じゃあお願いミスター・バクスター」

手を挙げてユーディットはジャイルズに向け合図を送る。

「了解だ。ジャイルズ・バクスター、テイクオフ」

駆動音を響かせジャイルズの機体は運転を開始する。脚部と背面の噴射口から蒸気を噴出させながら機体が宙に浮く。その姿だけで燐は気づいた。燐もAWに搭乗したことのある身だひと目でわかった。燐が学園の機体に乗った時よりも実に軽やかに宙に浮き上がるのを。学園の機体が宙を浮き地から足を離すまで4、5秒かかるのに対しジャイルズのそれは僅か1秒ほどで風船が舞うような軽やかさで重力を無視するように浮きあがった。

「これからみんなにしてもらうのは飛行訓練よ。そしてこれが元空軍パイロットの操縦テクニックよ」

ユーディットの目配せを受けジャイルズは上昇を始める。まるで機体が空から引っ張られるように青空に吸い寄せられるジャイルズの機体。地上30メートルほどまで上昇するとゆらゆらと旋回を始めた。機体は文字通り泳ぐように空を駆ける。そして加速度的にその速度を上げていく。一瞬空気を割るような音が燐たちの耳にまで届く。そしてジャイルズの姿が消えた、ようにみえるほどその速度は速かった。数秒ほんとに消えたかと思ったジャイルズの姿が次第に視認できるようになる。燐の目にはジャイルズが点在的に瞬間移動しているように映った。点ばかりでしか彼を捉えることができず彼が駆け抜ける軌跡が線として目で追えない。続いてジャイルズは地上めがけ急降下を始めるそして地上2メートルほどまで高度を落とすとUの字に急上昇を始める。それを蛇の如く幾度となく繰り返す。その後も平面、垂直問わず上空で∞の軌道を描いて飛び続ける。

「あれ、ただ速いようにもみえるかもしれない。けどねミスターの体には想像以上の負荷がかかっているの。その上一瞬でも判断を誤れば事故につながる可能性は十分にありえるわ。それだけ高度な飛行技術だということよ」

ユーディットの言葉にただただ息を飲んでジャイルズを見つめる。

「すげえ」

誰に言うでもなくひとりでに言葉が口をついて出た。数分後、ジャイルズの機体は静かに地上に降り立った。

「ありがとう、ミスター」

「期待に添えたかな」

「ええ、充分よ。わたしもあそこまではとても無理ね」

「それはよかった」


その後燐たちはGIC社が用意したテスト機に順々に搭乗していく。準備の傍らドイツ組の方をみるとそちらは初日の合流時バスの後ろで待機していたトレーラーから別の機体を搬出している。どうやら彼らはこちらとは別に機体を用意していたようだ。外観が多少異なるものも基本構造は共通している点が多い。あれも飛行特化型のモデルのようだ。機体のフィッティングを済まし装着した感覚を確かめる。AWは関節フレームの作用で重量のあるパーツ、特に脚部などの重さはさほど感じないのだが装甲が削られているにもかかわらずこちらの機体は多少重みを感じる。けれどその反面総重量はノーマルモデルの比にならないくらいに軽くなっている。腕も胸の装甲も訓練機ほどの重量感を感じない。着ただけですでに違いを実感できることに燐は驚いていた。

「さあ、かんとかのみんなは高度10メートル以下での低速遊泳をはじめて」

その言葉に燐は驚く。

「向こうはもう飛べるのか!!」

なんとか学園ではこの時期まだ地上歩行、地上走行を主体で授業が行われている。とにかく地上での運用を重点的に学んでいる状態だ。それにくらべドイツ組はおなじ一年で既に飛行訓練が始まっているという。けれどそれはあちらがより高度な授業をしているというわけではない。あちらとことらでは単にカリキュラムの構成が違うのだ。その説明をユーディットから受けてようやく燐は安堵する。

「なんだ、そうだったのか」

安堵のため息を漏らす。

「ミスターはウチの子たちを見ていてちょうだい。わたしはこっちを」

ユーディットの指導のもと燐たちの飛行訓練が始まった。

「まずは地面から浮くことから初めてちょうだい。変に力まないで何かに引っ張られる感覚で。浮きすぎないでね、落ち着いてそう」

さすがに研修に参加しているメンバーだけあって皆飲み込みが早い。いわば彼らはなんとか学園の選抜組のようなものだ。学園を代表する身として醜態は晒せない。

「機体が違うとここまで違うのか。不思議な感じだ」

「よければ感想を聞かしてくれる」

睦海が問いかける。

「スメラギさんも授業で乗ってるだろ?」

「ええ、けど対抗戦でAWを乗りこなしていたあなたの意見が聞きたいの」

「乗りこなしてなんかいないさ。あれは機体を暴走させただけ、現にあとで先生から機体を酷使しすぎだって小言を言われたしな。けど」

言葉を続ける燐。

「やっぱり軽いって感想が真っ先に出てくるな。なんというか学園のはよっこいしょって感じだけどこっちはふわっとっていうか」

「実に端的ね。けどわかる気がするわ」

「みんなどうかしら空を飛ぶのって簡単でしょ。でもね・・・シドウ、姿勢制御の設定をマニュアルに変えてちょうだい」

「え?はい」

指先のコントローラで機体の設定タスクを起動させる。バイザー越しの液晶に次々と文字が表示されていく。そして姿勢制御の項目をマニュアル制御に切り替え適用を選択した瞬間。

「うわぁ!!」

ドスン

瞬く間に体の自由を失った機体は宙で振り子のように前後にユラユラ揺れると背中から地面に落下した。

「このように私たちはシステムの恩恵を最大限受けて飛行しているの。飛ぶっていうことはそれだけ大変なことをしているのよ」

「せんせえぇ~!!口で言えばいいのに人を実験台にしないでください」

あたりからドット笑いが起こる。幸い衝撃はあったものの痛みはほとんどない。けれど相当に驚いた。空中で自由を失うのはまんま恐怖につながる。自身の存在が消失するかのようなそんな危うさを燐は感じた。


 そのあとも訓練は続いた。

「そうよ地面から30センチくらい浮かして、水平に」

たった数十センチ足が地面から離れているとはいえそれでも宙に浮いていることに変わりはない。足が接地しているのとそうでないのとでは体のバランス重心の取り方は全く違ってしまう。皆その違いに戸惑いながらも懸命に訓練を続ける。基本的な姿勢制御はすべて機械が行ってくれている今まるで平均台の上を歩く感覚を味わっている状況だ。


「それでもやっぱり所々青くなっちゃったな」

その日の夜宿所で患部をさすりながら燐は今日の演習を振り返る。

「骨が折れてないだけマシかもなんだけど、ああ腹筋いたい」

畳座敷にゴロンと寝転がり今度は引きつった腹に手をやる。

「流れに逆らおうとして力むからじゃないかしら」

卓の上でなにやら筆を動かす睦海を離れた位置から見つめる燐。

「皇さんさっきから何書いてるの」

畳に手をつき四つん這いの格好で睦海へと這いよる。睦海の肩ごしに彼女の手元を覗き込む。

「それ、今日の講義の」

卓の上に置かれたA4大のレポート用紙には整った文字で均等にびっしりと今朝の講義の内容が書き込まれていた。隣にも台紙から切り取られた紙が何枚か積まれておりそちらにも目を向けると実技演習での実習内容から指導内容、個人の問題点やら課題、考察などが一枚一枚埋め尽くす容量で埋め尽くされている。

「恥ずかしいからあまり見ないでもらえる」

「けどすごいね。こんなに事細かに。これコピーさせてよ」

「ごめんなさいこれは私用だから」

「そんなこと言わずに頼めないかな。歴史の方も実習の方も皇さんはやっぱりすごいよ。今ってさ手書きで何か書くってみんなあまりしないのに」

「こちらのほうが自分にとって都合がいいからよ。覚えるのも理解するのもね。何より書きながら頭の中でいろいろと整理できるし。それならあなたもやってみたら」

「ダメダメ俺は字がきたないし」

顔の前で手をひらひらと降る。

「そう」



研修三日目、午後に実習でのこと。

「どうしたのシドウ。もっと体の力を抜いて期待に体をまかせるの。考えちゃダメ、フィーリングよフィーリング」

「フィーリング、フィーリング」

前日に引き続き何とか組は体を宙に浮かせた状態から水平飛行の訓練を繰り返していた。

「はあ、難しいなやっぱ」

度々休憩を挟みながら練習を続けるもいまいちコツをつかみきれずにいた。

「リン、調子はどう?」

そんな燐のところにふわふわと中を漂いながらペドラが近づいて来る。

「ペドラか、すごいな君は。どうすればそんなに」

「ん?ああ、リンは頑張りすぎなんだよ。泳ぎを習うとき脱力から始めるでしょ。それと同じ。水の上を漂うみたいに空気の層に体を預けるの」

「けど水みたいに抵抗があるわけじゃないし」

「ん~慣れかな。次第に分かると思うけど。ほらみてあっち」

ペドラが指差す方では睦海が飛行訓練を続けていた。まだ完璧ではないだろうが実に自然な感じ宙を舞う姿は実に美しい。

「ムツミはまだ好きに移動できないみたいだけど浮くことに関してはリンより上ね。ああやって思い通りに動くことより体を楽にすることを優先させてる。先生に言われるより先に自分で気づくあたり彼女は優秀なのねきっと」

ペドラの言葉と目に映る睦海の姿を重ね合わせながら燐は瞑想する。

「やってみるか」

改めて地から足を浮かし燐は飛行訓練に入る。完全に宙に浮かんだ状態でおもむろに燐は手の先から足の先まで体中の全ての力を抜いてみた。しかしこれは口で言うほど簡単ではない。恐怖が付きまとうからだ。例を挙げれば水に溺れる恐怖に似たそれ。なので燐は思い切って目をつむってみた。視界からの情報が自信を不安にさせると思ったからだ。視覚を断ち全身の感覚それだけを頼りに宙を漂う。崩れそうになる体を筋力で支えようとせず期待の制御機能にすべてまかせる。そうすると予想とは反対に反転することなく背中を上方に押し出される形で宙に浮きことができた。

「そういうことなんだ」

ゆっくりとまぶたを上げると入ってくるのは空の青、雲の白。澄み切った青空だけが司会を覆う。

「言ったそばからなんてリンってよくわかんないね」

「二人のアドバイスがよかったからだよ」

天を仰いだ姿勢のままで燐は礼を述べた。

「あらそう、私は何も言った覚えがないけど」

ビクッとして体に力が入るとりんの体はぐるりと反転してしまった。その姿勢のまま声のする方へ顔を向ける。

「いたんだ驚かせないでよ皇さん」

真っ逆さまのままで足の先から睦海をみあげる。

「ぷっ、面白いねリンって。ピエロみたい」

本当におかしかったのか腹を抱えて笑うペドラ。目元にはうっすらと涙が浮かんでいる。

「見世物のつもりはないんだが」

ため息一つ、笑われることに納得のいかない燐は不貞腐れる。

「けどなかなかみてて飽きないわよ。その格好」

「スメラギさんまでえ」

情けない声をあげる燐であった。


それから数日午前中は教授によるためになる講義を受け午後になるとAWの機動訓練がつづいた。

「慣れるときもちいいなこれ」

すっかり飛ぶことが板に付いた燐は今日もふわふわと距離を伸ばし8メートルほど上空をまるで泳ぐように待っていた。

「病みつきでしょ、一度空飛ぶこと覚えちゃうと」

「ほんとそうですね」

遊び実際にクロールの真似事をしてみても今の燐は不意を疲れない限りそうそう姿勢を崩されない。それはほかの生徒も同じらしく衝突しないよう間隔をとってあちらこちらでほかの生徒たちも空中遊泳を楽しんでいた。

「ん?あれなんですか先生」

空をとぶことに付随して自然と視野が広くなった燐は敷地全体を演習場に点在する独特な建物が気になった。燐が指差す方にユーディットも目を向ける。

「ああ、あれね。あれはセキュリティ用の電磁ネットよ。あなたたちは気づかなかったかもだけど夜間は防犯上敷地を上空から特殊なバリアで覆っているの」

「そんな大層なものが」

「大企業だからね。あらゆる非常事態を想定してのことらしいわ」

各所から天を目指し伸びる電波塔見えない壁が今日もGIC社を守っていた。


「本日はモニターテストも兼ねて弊社が開発したAW用兵器の運用訓練を行う」

そういったバクスター教官の背後には昨日まで使っっていた軽装タイプのAWとそれとは別のGIC社製重装AWが並び立っていた。

「そして今日に限り実技演習にはパザロフ教授にも解説員として立ち会っていただく」

紹介の後現れたパゾロフが挨拶もそこそこに解説を始めた。

「まず2種類のAWが用意されいるわけだがそれにはわけがあって一般的な兵装の系列としてAWにはハンマーやメイスなどの鈍器が用いられることが多い」

工場の奥から次々と運び出された武器の数々、それぞれ鈍器という共通点を除いて形が様々だ。しばらくしてAWを装着したバクスターとユーディットが武器の中からひとつずつ手にとってみせる。

「こういった武器は外観通りの重量から生身の人間が振るうことはまず不可能だ。けれど補助関節機能の備わったAWでは筋力を補助して容易に持ち上げることができる。バクスターは持ち上がたハンマーを傍から見る限りピコピコハンマーでも持つように軽々と振るう。けれど反してその周りで空気の層がなぎ払われ重重とした質感が傍目でもわかる。空気が振動しているさまだ。

「バクスターくんが用いているのは簡素なハンマーだがただのハンマーを開発しているわけでは決してない。エーベル女史が持つ方には推進装置が備わっておりそれによって従来の衝撃を何倍にも増幅することもでき、このタイプは軽装型でも地上において用いることが可能だ。しかしいかんせんその重量から空中に持ち上げるのは難しく飛行を得意と知る軽装型の利点を殺すことになってします。では実際に諸君にもお使っていただこうか」

彼らの目は好奇心でいっぱいだ。何分武器を扱うのがこれが初めてとなるのだから。みな少しばかり緊張した面持ちで武器を手に取る。

「剣とか槍とかそういうのかと思ったけど」

「そういうのもあるらしいわ」

「でも切ることが目的の剣より叩く方がAWには向いてるんだって」

「そうなのか」

「剣を開発する会社も剣を扱う操縦士もいるにはいるそうだけれど。精密な挙動が苦手なのがAWの欠点でもあるから」

弾みで誰かに当てないように周りとは距離をとって燐はAW用メイスをブンブンと振り回してみた。重みこそ感じれど実際の質量はその手からは感じない。

「GIC社では軽装用の装備も開発されていてね、これがそう」

ユーディットが手にとったのは長い棒状の兵器。

「スタンスティックよ、電流を流している棒なんだけどこれならそこまで関節が丈夫じゃない軽装型にも楽に扱えるし空にも携行できるわ」



「そもそも軍事利用が問題視されてるのに軍需産業が盛んってのも変な話だよな」

白米の上に盛られソースのかかったカツをひと切れフォークで串刺し燐はそんなことを言う。

「いくら声高に戦争批判しようがそれで潤う人たちがいるのだから仕様がないわ」

対する睦海は膳のなかの漬物に箸を伸ばしぱくりと口に放り込むと音を鳴らし食感を楽しみながら咀嚼する。

「薬物もギャンブルもよくないのはみんなわかってるのになくならないもんね。ん、これ美味しい」

南蛮酢の染み込んだ鶏肉はあたりに甘酸っぱい香りを漂わせる。毎度のことのように食事をしているペドラの顔は幸せに満ちている。

「AWの場合は競技種目という建前もあるからそういった企業の参入はさほど後ろ指をさされないのが現状よ」

「軍事系の企業っていまはどんな具合なんだろう、知ってる皇さん」

福神漬けを口の中でジャリジャリ音を立て噛み砕きながら燐は問いかけた。

「今私たちがお世話になってるここGIC者はほかの企業と首位を争ってる状況ね。GICは軍事メインではないのにこの成績だから嫉妬している企業も多いと聞くわ」

「嫉妬ってそんな情報どこから」

「AW関連の記事はネット、紙面問わず幅広くチェックしているの」

「勉強熱心だねムツミは」

「そこまでのAWファンだとは知らなかったよ」

「オタクっていうんでしょそういうの」

「専門校の学生としては当然の習慣だと思っていたのだけど」



人々が寝静まった丑三つ時、すっかり明かりを落としたGIC社の一角で尚も夜を徹して作業をしている場所があった。そこへ乾いた靴のを音を鳴らし暗闇から現れるひとつの影。

「おや、どうしたんですこんな時間に」

作業員は真夜中の来訪者に声をかけた。

「遅くまでご苦労様、この子の様子を見に来てね」

青年は自分よりも年上の作業員に親しげに労いの言葉をかけた。

「セレモニーが近いですからね。なんとか間に合わせようと皆頑張ってますよ」

照明を浴びて装甲を煌めかせる一台のAWに歩み寄りその冷たい肌を優しくなでる青年。

「せっかくの晴れ舞台だからさ。念入りに頼むよ」

彼のAWに向ける表情は家族に向けるそれのようにとても穏やかだ。

「それはそうとあっちには顔出さないんですか」

そう言われて青年は青黒く染まって外の世界に目を向ける。

「僕は呼ばれてないからね、別の機会かな」

水平だった視線をそのまま終の見えない真っ暗な空へと移す。

「嵐が来そうだね厄介だな」

「みたいですね。どうにも明日明後日にも降るみたいで」

作業員は手を休めることなくそう返した。

「実に厄介だ」

そのあとも黒から白に空が移り行くまで明かりが灯り続けた。


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