PROLOGUE 七色の夜
赤いマフラーのハムスターと、不思議な少女。
二人の物語は、夜の峠から始まります。
『HAM STORY』、どうぞお楽しみください。
【 PROLOGUE 七色の夜 】
夜の峠を、光が走っていた。
赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。 七色の残光が、漆黒の山肌を縫うように駆け抜けていく。
ヘッドライトではない。エンジン音は聞こえない。ましてや流れ星でもない。 その光は、路面すれすれを這うように右へ左へ蛇行し、次々とカーブを抜けていった。小さなタイヤの転がるロードノイズだけを響かせて。
山の静寂を切り裂く、小さな車輪の音。
シャアアアアア――ッ!
そして。
「ひゃっほおおおおおおおおお!」
甲高い歓声が、夜の山に響き渡った。
七色の光の正体は――。 一匹のハムスターだった。
白い毛並み。首には、風を受けて大きくなびく赤いマフラー。 足元には、身体の大きさに合わせて作られた小さなスケートボード。車輪の淵には小さな光源が仕込まれ、走るたびに虹色の光を散らしていた。 ハムスター――ROMは、夜の峠を爆走していた。
「普通の散歩って飽きたんだよな。最高だぜえええええ!」
前方、急カーブ。 ROMは姿勢を低くする。身体を倒す。 小さな前足でボードを押さえ――ドリフト。
キュキュキュキュッ!
車輪が悲鳴を上げた。 スケボーの通った背後に七色の軌跡が長く残る。
夜の森に月明かり。山の稜線。そして、自分だけの道。 ROMは、この時間が好きだった。 誰にも邪魔されない。誰にも指図されない。 風と、道と、自分だけ。 まるで世界中が自分のために用意されたステージのようだった。
「これだからやめられねぇ! 夜の散歩ってやつは――こっちの方がスリルがあるし……なんだか生きてるって気がする」
調子に乗り始めた瞬間。
びゅおっ!
横から強烈な風が吹いた。
「――うぉ?」
首元が軽くなる。 赤いマフラーが、ふわりと浮いた。
「…………」
一秒。 ROMの目が点になる。
「ちょちょちょちょちょ! それはダメー!!」
慌てて後ろを振り向き、飛んでいきかけたマフラーを両前足でつかむ。 当然、前が見えなくなる。
「よし捕まえ――あ」
視界を塞がれたROMの目前に、植え込みが迫る。
「ぎゃあああああああ!」
ガサガサガサガサッ!
七色の光が盛大に蛇行する。 右。左。右。 ガードレールすれすれ。 最後はボードを蹴り上げ、道路脇の小石を飛び越え――。
タンッ。
何事もなかったように着地した。 ROMは赤いマフラーを巻き直した。そして、誰も見ていないことを確認する。
「…………」
咳払い。
「……今のも計算通り」
ヒーローはいつでも冷静。焦ったりなんかしない。 ROMは再び夜の道を駆け出した。
もちろん、計算ではない。 だが本人の中では、今の出来事も含めて完璧なヒーロー映画のワンシーンになっていた。
*
しばらく走ったところで、ROMはスピードを落とした。 峠の途中にある、小さな休憩場所。いつもの折り返し地点だった。
古びたベンチに自動販売機。少し離れた場所にはコンビニの明かりが浮かぶ。 そこから先には山を抜けた街の灯りが、夜空の下にぼんやりと広がっている。 ROMはいつもここで少し休み、それから引き返す。
今日もそのはずだった。
「……ん?」
ボードが完全に止まった。
ベンチに、誰かいる。
シルエットは人間に見える。若い女性だ。 白いワンピースに艶のある短い黒髪。 街の明かりから離れた暗いベンチに、ひとりうつむいて座っている。
ROMは首をかしげた。
「あれはなんだろう? こんな時間に」
こんな時間に、こんな山の中で。 しかも、動く気配がない。
(まったく、こんなところに飲み屋なんてないぞ)
ROMはボードから降りた。 さっきまで山中に響いていた車輪の音が消える。 代わりに聞こえてくるのは、虫の声と、木々を揺らす夜風だけ。
「おーい」
返事はない。 ROMは近づいた。
「もしもーし、夜は冷えるよ。起きてる?」
返事なし。 女性の顔を下からのぞき込む。目を閉じている。 寝ている――ようにも見える。
だが、息遣いが聞こえない。
「寝てるのか? い、生きてるのか? ……おい」
ROMは前足で、女性の膝下をぺちぺち叩いた。 やっぱり反応がない。もう少し強く叩く。
ぺちぺちぺち。
「……」
ROMは腕を組んだ。
「もしかしてこれ、事件か? ヤバいやつか?」
その言葉を口にした瞬間、ROMの目が少し輝いた。 不謹慎極まりないが、抑えられない。
事件。 つまり、ヒーローの出番である。
普通のハムスターなら逃げただろう。 夜の峠に、動かない人間。明らかに面倒事の匂いしかしない。 だがROMは違った。
「仕方ねぇな」
誰にも頼まれていないのに胸を張る。
「困ってるやつを放っとけないのが、ヒーローってもんだ」
そう言って、女性の身体を登り始めた。 膝から腕へ、肩へ。そして黒髪へ。
「よっ……と。事件なら通報しないといけないけど、高いところから見てみようか」
小さな身体で器用に髪をつかみながら、ROMは頭頂部まで登った。 ROMが登っても女性はやはり動かない。
「さて……やっぱり誰もいないか。でも、このまま放置するのはなぁ」
ROMは足元の黒髪の中に、何か硬いものがあることに気づいた。 髪をかき分けると、銀色に鈍く光る、小さな丸いものが現れた。 皮膚に埋め込まれるように配置された――。
「これはなんだ? 人間にはこんな突起あったっけ? ……ボタン?」
ROMは数秒間、無言でそれを眺めた。 そして、ぼそっとつぶやく。
「押すなよ?」
沈黙。
「絶対押すなよ?」
沈黙。 ROMは待った。 一秒。 二秒。 三秒。
「……『押せ』って言う役いないの?」
風が吹いた。
「なんだよこの風。俺が寒いみたいじゃん」
木の葉が、かさりと鳴った。 ROMはため息をついた。
「しょうがねぇなぁ。このまま、何も起きないよりマシだよな」
前足をボタンへ伸ばす。
「自爆スイッチだったら俺は終わりだな」
そしてついに、ぽちっと押す。
バチッ!
「うわっ!? 自爆か!?」
瞬間、青白い火花が弾けた。 ROMは頭の上から転げ落ちそうになり、慌てて髪にしがみついた。
直後、女性の身体の内部から、低い駆動音が響く。
――ヴン。
女性の指先がかすかに動き、スパークする。 閉じた瞼の奥で、虹彩が青白く発光した。 空中に半透明の表示が浮かんだ。 ROMは目を丸くする。
SYSTEM CHECK MEMORY ERROR MOTOR CONTROL……PARTIAL REBOOT
「…………」
ROMの口が半開きになる。
「マジか……自爆じゃなくてよかったけど……」
女性の瞼が、ゆっくりと持ち上がった。 その瞳の奥で、虹彩が収縮する。まるでカメラのレンズのように。
カシャッ。
首筋から蒸気が上がり、身体には回路のような緑の線が走った。 ROMの背中を、ぞくりとしたものが走った。
「人間じゃない……?」
(確かにボタンはあったけど……)
ボタンを見たときは、人間はそうなっているのかと流した。だが、スパークする指先に、蒸気を上げる身体。そして空中に浮かぶ表示。もう疑いようがなかった。彼女は、人間ではない。
「……SFじゃん」
ROMは小さく呟いた。
女性の唇が動く。
「…………Re……boot……」
声が途切れ、ノイズが走る。
「……完了」
その言葉とともに、空中の表示が消えた。 夜の静けさが戻ってくる。 ROMと女性はしばらく、どちらも何も言わなかった。
先に口を開いたのは女性だった。 見えないはずの、頭の上のROMに問いかける。
「あ、な……た、は……?」
一言発するだけでも難しいらしい。 ROMは女性の頭の上で満面の笑顔を浮かべ、いつもの調子を取り戻した。
「お、しゃべった!」
レスキュー隊のように髪を伝って降りてきたROMが、女性の目の前に逆さまに現れた。
「俺はROM。夜の峠を愛する――」
ジャンプして頭の上に戻り、右腕を左上に突き出すライダーポーズをとる。 赤いマフラーを風になびかせて。
「通りすがりの天才ハムスターだ! お前は?」
背後に爆発がないのが惜しい。
女性は何度か瞬きをした。 虹彩が小さく動く。
カシャ。
「ロ……ム……」
続く声は、急にはっきりした。
「未登録生命体確認。コードネーム『ROM』登録しました」 「おい、勝手に登録するな! コードネームじゃないし……」
女性は、自分の胸元へ視線を落とした。 何かを検索するように、わずかな沈黙。
「私……」
声が途切れる。
「型番……」
再びノイズ。
「エムアイ……アール、フォー……」
空中の表示に、〈MI-R4〉の文字が浮かぶ。
「MI-R4?」
ROMは首をかしげた。
「エムアイ……言いにくいな……」
何度か口の中で転がすが、呼びにくい。なにより、味気ない。
ROMは女性を見た。 起動したばかりの瞳は不安定に揺れている。 何も分かっていないように見え、自分がどこにいるのかさえ、理解できているのか怪しい。
型番。 今はそれしか情報がない。
ROMは少し考え――。
「ミラだ!」
女性の瞳がROMへ向く。
「…………?」 「MI-R4。縮めて、ミラ」
ROMは笑った。
「今日からお前はミラだ! そっちの方がいいだろ」
女性はしばらくROMを見つめていた。 その瞳の奥で、何かが動いている。 処理中? 更新中? あるいは――もっと別の何か。
「名称……」
わずかな電子音。
「アップデート」
そして、女性はたどたどしく口にした。
「……ミラ」
ROMは満足そうにうなずく。
「うん。それでいこう」 「ミラ……」
女性はもう一度、自分の名前を確かめるように繰り返した。 その声はまだ機械的だった。感情もほとんど感じられない。
それでも。 型番だったものが。 初めて名前になった。
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お読みいただき、ありがとうございます。
今回の場面を映像でも楽しみたい方へ。
アニメ版 「七色の夜 」
https://youtu.be/qvGfLHXw_TQ?si=D5jevEAve0Njs9Jo
※小説 第1話〜2話 の内容を含みます。
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