元恋人、来襲
「もしかして、あなたが彩音ちゃん?」
——嫌な予感しかしなかった。
そう思った次の瞬間。金髪の女性は、ぱぁっと表情を明るくした。
「やだ、配信より可愛いじゃない!」
「は?」
反応する暇もなかった。
女性はソファから立ち上がると、そのまま私へ一直線に近づいてきた。速い。一般人かと思っていたが、もしかしたら探索者なのか?
——そして、やたらと存在感があった。
「ちょ、ちょっと待っ――」
「本物だ! 怜奈の恋人ちゃん!」
「ひゃあぁ!?」
気付けば抱きしめられていた。柔らかい感触と知らない甘い香水の匂い。そして何より、初対面とは思えない勢いに私は固まった。
固まったというよりは、初対面とは思えない体温の近さと、何より——その圧倒的なデカさに、頭が真っ白になってしまったのだ。
「ちょ、ちょっと――」
声を出そうとしたが物理的に出ない。そんな私の内心をよそに、金髪の女性はぎゅっと力を込めて、楽しそうに笑っている。
ふと、横目で怜奈さんの顔が見えた。こめかみに皺が寄っている……怒っているのか。
あれ、これって私が怒られる流れ?
浮気を問い詰めに来たはずなのに……。
マズイ——そう思った瞬間だった。
「メアリー」
聞き慣れた声と共に、金髪の女性――メアリーさんの腕から身体がふわりと離れる。怜奈さんだった。私を傷つけないようにするためか、かなり丁寧に引き剥がしている。
「落ち着きなさい」
「えぇー!」
メアリーさんが不満そうな声を上げた。
「だって可愛いんだもん!」
「だからといって抱きついていい理由にはならないわ。その抱き癖、早く治しなさい」
「減るものじゃないじゃん!」
「彩音が減る」
「いや、減らないよ!?」
即座に突っ込んでしまった。
するとメアリーさんは目を輝かせた。
「ほら! ツッコミも可愛い!」
「可愛いで全部片付けないでください!」
「やっぱり可愛いわ!」
「だから、話を聞いてください!」
完全にペースを握られている。さっきまで浮気現場を目撃した探偵みたいな気分だったはずなのに、気付けば私が振り回される側になっていた。
そんな私の隣で、怜奈さんがため息を吐く。
「……相変わらずね」
「なーにー、褒め言葉?」
「違うわ」
即答だった。けれど、そのやり取りは妙に慣れていて。私は二人を交互に見ながら思う。――あ、この人は怜奈さんの昔からの知り合いだ。それも、かなり面倒なタイプの。
* * *
「紹介するし、彩音は勘違いしているわ」
そう言われて、リビングにあるソファーに座るように促される。確かに話を聞く前に結論を出すのは早いなと考えた私はソファーに腰を下ろす。何故か隣で、メアリーと呼ばれる金髪美女が座り、私の手に抱きつく。
また、怜奈さんのこめかみがピクりとした。
マジで私の方が怒られる構図じゃん……
「その隣で、擦り付いているのは私の昔からの友達——メアリー・フェイド。アメリカから帰って来たばかりの距離感バグってる子よ」
「はいはーい! ご紹介賜りました。メアリーと申します!可愛いものが大好きです!」
うわ、テンションが高い……私の周りには居なかったタイプの人だ。ようするにコミュ力ありまくりの海外のギャルって感じか。
「てか、怜奈。忘れてない?」
メアリーが私の腕にしがみついたまま、にやにやと怜奈さんを見る。
「……何が?」
怜奈さんが警戒するように目を細める。
「大事なこと」
「だから何よ」
「元恋人とかさ〜」
部屋が静まり返った。
「……は?」
今度は私が固まる番だった。
メアリーは楽しそうに人差し指を立てる。
「実はねぇ、私と怜奈、中学の頃に付き合ってたの」
私は怜奈さんを見る。怜奈さんは――珍しくものすごく罰が悪そうな顔をしていた。
「怜奈さん?」
「……説明するわ」
観念したような声だった。
「待って。説明が必要なやつなんですか?」
「必要ね」
即答だった。
そして怜奈さんは深いため息を吐く。
「中学の頃、メアリーに付き合ってと言われたの」
「遊び半分でね!」
「あなたは黙っていなさい」
即座に切り捨てられる。けれどメアリーは気にした様子もなく笑っていた。
「だって怜奈って当時から綺麗だったし? 面白そうだったから」
「面白そうで付き合うものなんですか?」
「付き合った事ないから分かんなかったの」
うーん、ひどい理由だった。
「それで?」
思わず続きを促す。
すると怜奈さんが少し遠い目をした。
「一ヶ月くらい付き合ったわ」
「付き合ったねぇ」
「でも特に何も変わらなかったのよ」
「何も?」
「ええ」
怜奈さんは真顔だった。
「学校へ行って、一緒に帰って、遊んで」
「めちゃくちゃ普通ですね」
「付き合う前からしていたことばかりだったの。だから途中で、これ、付き合ってる意味ある? ってなったのよ」
メアリーさんは当時を思い出したように「それなー」と相槌を打ちながら私の羽を触っていた。いや、触らないで欲しいのだが。
「まぁ、それで自然に終わったって感じ」
怜奈さんは肩を竦める。
「卒業後にメアリーはアメリカへ戻ったし」
「実家向こうだからね」
「連絡は取っていたけれど、それだけよ」
説明を聞き終えた私はしばらく黙った。中学の頃の、ほとんど友達の延長みたいな恋。
それでも、怜奈さんにも私の知らない時間があったのだと思うと、少しだけ胸の奥がざわついた。けれど同時に、今ここにいる恋人は私なのだとも思う。
そう考えたら、ようやく肩の力が抜けた。
「はあぁ……」
私の溜息にメアリーが吹き出す。
「あは、彩音ちゃんめっちゃ安心してる!」
「そりゃ、しますよ。私は現在進行形で、怜奈さんの恋人ですし」
「嫉妬しそうになった感じだぁ。可愛い〜」
「だから可愛いで全部済ませないでください!」
再び笑い声が響く。
その横で怜奈さんは額を押さえていた。
「……帰国初日から騒がしいわね」
「だって彩音ちゃん、可愛いんだもん」
「まぁ。それは否定しないけれど」
「喜んでいいのか分かりづらいですね……」
私がそう呟くとメアリーは楽しそうに笑う。
「やっぱり彩音ちゃん面白いなぁ」
そう言いながら立ち上がる。
「あれ? 帰るんですか?」
「うん。今日は顔見に来ただけだし」
メアリーさんはスマホを取り出しながら軽く肩を竦める。顔見に来ただけで元恋人発言までして帰る人がいるのだろうか。いや、目の前にいるけどさ。
「それに怜奈、そろそろ限界そうだし〜」
ちらりと視線を向ける。怜奈さんは無表情だった。無表情だったが。なぜか私の肩を抱くメアリーさんの手をずっと見ていた。さっき私がリビングに突入した時と同じぐらいの冷たい視線であった。
「……離しなさい」
「ほらね」
メアリーさんが笑う。
「嫉妬深いんだから」
「否定しないから、さっさと離れなさい」
「はいはーい」
睨みを効かせても、のほほんとしていた。
そのまま三人で、玄関へ向かう。
「じゃあ、また近いうちに来るねー」
「来なくていいわ」
「酷っ」
「事実よ」
「彩音ちゃーん」
「はい?」
「怜奈をよろしくね。あ、あと怜奈に泣かされたら相談乗るからね〜」
一瞬だけ。今までの軽い調子とは違う声。
けれど、それも本当に一瞬だった。
「じゃあねー!」
次の瞬間にはいつもの調子に戻っていた。
バタンと玄関の扉が閉まり、場が静まる。
「……」
「……」
「……嵐でしたね」
私が呟くと。
「ええ」
怜奈さんは深いため息を吐いた。疲れたのかなと思ってチラリと怜奈さんを見ると、目が合ってしまう。変わらない優しい瞳。2人きりの時にしか見せない愛おしそうに微笑む顔。
しかし、その目は笑っていない。
その目は狩人が獲物を捕らえた時の目。
私の本能が『逃げろ』と囁いた。
私は本能に従い、兎のようにリビングへ逃げ出した。悲しい事に身体的に優れている怜奈さんに後ろから簡単に捕まえられてしまう。
「っ——怜奈さん!?」
あっという間に腕の中に収められて、身動きが取れなくなった。後ろからぴったりと寄り添われる形で、逃げ場がない。
「……メアリーに触られていたわね」
耳元で、低く静かな声。
「あ、あれは向こうが勝手に——」
「分かってる」
分かってる、と言いながら。
腕の力は緩まなかった。
「分かってるけれど」
顎に指先が触れる。ゆっくりと、逆らえない力で上を向かされた。視界が反転して、天井が見える。そして逆さまになった怜奈さんの顔が、すぐそこにあった。
「……やきもち、焼くのよ」
いつもの無表情が、どこにもない。その言葉が終わるより先に、唇が重なった。角度のせいで、いつもより深く。逃げ場なんて、ない。
鼓動がうるさい。頭が上手く働かない。
やっと唇が離れた時、私はきっと真っ赤になっていた。
「——っ、ずる、い」
絞り出した言葉はそれだけだった。怜奈さんはわずかに目を細めて、小さく笑う。いつもの余裕の笑みではなく——少しだけ、子どもみたいな笑み。けれど次の瞬間には、その笑みが深くなった。余裕の、狩人の笑みに。
「彩音」
名前を呼ぶ声が、いつもより低く甘い。
「今日は手加減しないわよ」
「え——」
「メアリーのせいで、少し機嫌が悪いの」
それだけ言って、手を引かれた。
向かう先は、廊下の奥にある二人の部屋。
「ちょ、ちょっと——久しぶりって何がですか!? まさか、エッチですか!?」
「久しぶりは、久しぶりよ」
「答えになってないです!!」
次の瞬間、ふわりと身体が浮いた。
「——ちょ、」
気付けば横抱きにされていた。あまりにも自然な動作で、抵抗する間もなかった。
「怜奈さん!? 降ろしてください!!」
「嫌よ」
即答だった。
「また逃げるでしょう」
「逃げません! 逃げませんから!」
「まったく、信用できないわね」
廊下を進む足取りは迷いがない。私を抱えたまま、まるで荷物でも運ぶみたいに。でも腕の力は、怖いくらい優しかった。
「め、メアリーさんが来たのは怜奈さんのせいじゃないですか……! というかシャワーもしてないし、ご飯も食べてない。私!」
「——彩音」
名前を呼ばれる。見上げると、怜奈さんはまっすぐ前を向いたままだった。でも、耳が。
わずかに、赤かった。そんな怜奈さんを見て何も言えなくなった私を腕の中に収めたまま怜奈さんはドアノブに手をかける。
ドアが、静かに閉まった。
明日の予定は全てキャンセルしておくか……




