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宿場にて

街道を歩き始めて、数時間。

空は少し赤くなり始めていた。

曇り空の隙間から、薄く夕焼けが覗いている。

ハルはもう疲れていた。

足が重い。

知らない世界。

知らない道。

知らない連中。

しかも監視付き。

精神的にも、普通にしんどい。

前ではレオンが淡々と歩いている。

疲れた様子がない。

鉄仮面、暑くないのか。

普通に気になる。


「なあ」


ハルが小声でクロウに言う。


「レオンって、あの仮面ずっと着けてんの?」


クロウがちらっと前を見る。


「ああ」

「苦しくない?」

「本人に聞け」

「嫌だよ怖いもん」


ほぼ同時。

前から声。


「聞こえている」


ハルが肩を跳ねさせた。


「耳良すぎだろ!」

「訓練だ」


淡々としている。

冗談なのか本気なのかわからない。

クロウが小さく笑った。


「ちなみに俺は寝る時も着けてる」

「嘘だ」

「半分本当」


レオンが短く返す。

半分ってなんだ。

怖いというより、意味がわからない。

そんな会話をしているうちに。

前方に灯りが見えた。

木製の柵。

見張り台。

小さな門。

煙突から煙が上がっている。

人の声も聞こえた。

ハルが少し顔を上げる。


「町?」

「宿場だ」


レオンが言う。


「《灰樫はいかしの宿》」


近づくにつれて、人の気配が増える。

荷馬車。

旅人。

商人。

子供の笑い声。

ようやく、“普通”があった。

ハルは少しだけ安心する。

門の前には大きな木札。


【夜は門限あり】

【森側への立ち入り注意】

【夜更かし禁止(店主より)】


ハルが止まる。


「最後だけ急に親っぽいな」


クロウが横を通る。


「店主が書き足したんだ」

「なんで?」

「夜中まで騒ぐ旅人が多い」

「平和だな……」


ようやく少し気が抜けた。

宿の外から匂いが漂う。

焼いたパンの匂い。

肉の匂い。

スープの匂い。

ハルの腹が鳴る。

正直、限界だった。

クロウが笑う。


「いい顔してるな」

「飯」

「現金だな」

「人間だからな」


その時だった。

二階の窓から、何かが動いた。

白い影。


「……ん?」


ぱっとカーテンが閉まる。

数秒後。

また少し開く。

誰かいる。

目が合った。

慌てて隠れた。


「……何あれ」


クロウがちらりと見る。


「ああ」


それだけ。

知ってる反応だった。


「知ってんの?」

「たぶんな」


意味深すぎる。

嫌というより気になる。

レオンが短く言う。


「宿へ入る」


それだけだった。

宿屋の扉が開く。

中は暖かい。

木の匂い。

料理の匂い。

少し騒がしい空気。

暖炉の火。

旅人たちの笑い声。

今までの緊張が少し緩む。

カウンターの向こうで、宿の主人が顔を上げた。

そして。


「ああ、お帰りなさい――おや?」


視線がハルで止まる。

少し驚いた顔。

それから、穏やかに笑った。


「珍しい顔ぶれですね」


クロウが軽く手を上げる。


「世話になる」

「いつもの部屋、空いてますよ」


馴染みらしい。

少し安心した。


「六名……いえ、七名ですね」


主人が数える。


「個室を二つ。残りは共有で構わない」


レオンが言う。


「承知しました」


主人の動きは慣れていた。

クロウがぼそっと言う。


「昔より愛想良くなったな」

「客商売ですので」


主人が笑う。

空気が柔らかい。

ハルは少しだけ肩の力を抜いた。


「腹へった……」


思わず漏れる。

静かになる。

全員が見る。

ちょうど飯時なのだろう。

奥から料理の匂いが強くなる。

そして。

ぐぅぅぅ。

腹が鳴った。

最悪のタイミング。

ハルが顔を覆う。


「終わった……」


後ろの異形狩りの一人が少し笑いを堪えている。

クロウが肩を震わせる。


「元気でよろしい」

「笑うな」

「若いなと思って」

「年寄り発言やめろ」


その時。

二階から。

コツ。

足音。

主人が、あっと顔を変える。


「まだ降りちゃ駄目ですって!」


遅かった。

階段の上から。

ぴょこ。

白い髪が見えた。

さっき窓にいた“白い影”。

ハルが少し身構える。

すると。


「いた!!」


元気な声。

タタタタタッ。

十歳くらいの女の子が勢いよく降りてきた。

主人が頭を抱える。


「フリーダ!」

「だって異形狩りさん来たって!」


目がきらきらしている。

完全にファンの顔だった。


「うわ、本物だ!!」


真っ先にレオンへ。


「仮面かっこいい!」

「……そうか」

「触っていい!?」

「駄目だ」

「即答!!」


宿中が少し笑う。

ミナは全然気にしていない。

宿の主人が申し訳なさそうに頭を下げた。


「すみません。この子、異形狩りに憧れてまして」

「怖くないの?」


ハルが聞く。

ミナはきょとんとした。


「なんで?」


即答。


「守ってくれる人でしょ?」


一瞬だけ。

空気が静かになる。

後ろの異形狩りたちが、少し気まずそうに目を逸らした。

照れてる。

クロウが小さく笑う。


「人気者だな、お前ら」

「騒がしいだけだ」


レオンは相変わらず淡々。

でも。

ミナに合わせて少しだけ屈んだ。

……優しいじゃん。

ハルは少し意外だった。

その時。

ぐぅぅぅ。

また鳴る腹。

今度はもっと大きい。

静寂。

そして。

ミナが爆笑した。


「お兄ちゃんお腹すいてる!!」

「うるさい!」


主人が笑う。


「はいはい。食事、すぐ出しますよ」


パンの焼ける匂い。

湯気。

暖炉。

椅子の温かさ。

長かった一日が、ようやく終わる気がした。

少なくとも。

今夜は少しだけ、安心して眠れそうだった。

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