二 金鎖の理由
ロウがジズを殴ったことは、二人が口論していると聞きつけ、駆けつけた教師の知るところとなった。
ジズはロウの非を一方的に教師にまくしたてたけれど、ロウの友人たちが、口論を吹っかけてきたのはジズだということを証言してくれた。ロウとジズは、双方とも教師のお説教を食らい、特に手を出したロウは元担任教師から、厳重に注意を受けた。
「全く、お前らは卒業前と変わらんなあ」
教師は呆れた様子で、ひとつため息をついた。
「しかし、お前もやりすぎだぞ。今回はジズが口の中を切っただけですんだからよかったようなものの、もし大怪我をしていたら、見習いとしての資格を取り上げられていたところだ。一応、お前の師匠にも書状を出しておくからな。あとできっちりお説教を受けろ。ええと、お前の師匠の名は――」
教師は名簿を取り出した。ロウは、はっと顔を上げた。
「先生、カヌトって人のこと、知ってますか?」
「カヌト? 何だ藪から棒に。もちろん知っているが――ああ、お前の師匠の名前もカヌトなのか。同じ名前とは、偶然だな。そういえば、ジズはお前の師匠を侮辱したんだったな。まあ、そりゃあ酷い話だわな。あのカヌトがお前の師匠のはずがないのに」
教師は名簿をめくっていた手を止めながら答えた。ロウは急いで尋ねる。
「え? 何でですか?」
「だってそうだろう。カヌトは、してはいけないことをしたんだ。大切な生徒の師匠なんて、任されるわけがない」
何を言っているんだという顔で、教師は応じた。
ということは、ロウの知るカヌトとジズの言っていたカヌトは、別人である可能性も捨て切れないのだ。ロウは少しほっとした。しかし、胸にはまだ、もやもやした気持ちが残ったままだった。ロウは、気後れしそうになるのを堪え質問する。
「……そのカヌトって人が、禁法具を作ったっていうのは、本当なんですか? それに、その禁法具が――ニギ人をたくさん殺してしまうようなものだった、っていうのは」
「本当だよ。カヌトは祖国にその禁法具を持ち出そうとしてな。その時に捕まったらしいんだが、なぜ禁法具を作ったのかと問われて、本人がそう答えたんだそうだ。お前も知っていると思うが、我が協会では、戦や暴力に使われるような魔法具を作ったり、隠匿することを固く禁じているからな」
教師は言葉を切り、昔を懐かしむような目をした。
「いや、全くもったいないことをしたもんだと、俺なんかは思ったもんだよ。何しろ、何十年かに一度の天才と謳われるような才能の持ち主だったからな。それくらいあの事件は、協会にかかわる者にとって衝撃的だったよ」
ロウは深く息を吸い込んだ。
「カヌトは、その後、どうなったんですか?」
「協会の会師としての資格は剥奪されなかったと聞いているが、何でもそのあと『金鎖の罰』を受けることになったそうだ。そのあとのことは、俺も知らんよ」
(金鎖の罰……)
翌日、アシ山脈を下山しながら、ロウは頭の中でぐるぐると同じことを考えていた。金鎖の罰とは、禁法具を作ろうとしただけで過去の記憶が次々に消えてしまうという、恐ろしい呪いのかかった魔法具を着け続ける罰なのだという。もちろん、一度着けてしまうと、その金鎖は外せない。
「金鎖」と聞いた時、ロウが真っ先に思い出したのは、カヌトがいつも首から下げている金の鎖だった。
カヌトに問わなければ。
そう思いながらも、ロウの足は速まるどころか、かえって遅くなるのだった。
いっそ、このままカヌトの家に辿り着かなければよいのに……。そんなことまで考えた。
だが、前に下山した時より時間はかかったものの、ロウはやがて山裾に下り立った。ナサーンの脇を通る街道に出、のろのろとカヌトの家を目指し、家を見渡せる場所で立ち止まる。
自分を鼓舞して家の前まで歩いていくと、ミナキが洗濯物を干していた。ロウが眺めていると、洗濯物を干し終えたミナキがこちらに気づき、近づいてきた。
にっこり笑い、ついてきて、と言わんばかりの彼女に、ロウは仕方なく従った。靴を脱ぎ、階段を上がる。
(何も知らないってのは、羨ましいことだよな)
心の中で悪態をつきながら、ロウは戸口に立った。
ミナキが自分と同じ立場になったら、カヌトに真偽を質すのだろうか。それとも、何事もなかったかのように、カヌトの弟子を続けるのだろうか。
ロウは外に押し出されるような重圧を感じながらも、家の中に入った。
カヌトはちょうど、昼餉を配膳しているところだった。ロウに目を向けると、笑顔になる。どうやらまだ、元担任教師からの書状は届いていないらしい。ロウはほっとしたような気持ちになった反面、どう話を切り出したものだろうかという悩みが強まった。
カヌトがこちらに近づいてくる。
「お帰り。疲れただろう。手を洗ってきなさい。見ての通り、これからお昼にするところだ」
食欲がなくて、朝餉をほとんど食べられなかったことを、ロウは思い出した。こんな時でもお腹が空くことが、無性に苛立たしく感じられる。
昼餉はロウの好物のガランだった。作ったのはカヌトで、ミナキに教わったのだという。
マヌヤシの実の脂肪から作ったクーティと香辛料がふんだんに使われたガランはおいしく、それがロウをいっそう複雑な気分にさせた。
カヌトが本当に、ニギ人を殺すために禁法具を作ったのだとしたら、ニギ料理を笑って作れるものだろうか。やはり、ジズが間違っているのではないだろうか。
ロウはそんなことをぼんやりと考えながら、黙々と匙を動かした。
食事が終わると、カヌトは極めて何でもないような表情で尋ねてきた。
「……それで、ロウ。試験はどうだった?」
「八位でした」
カヌトの顔がぱっと輝いた。
「そうか、八位か。頑張ったなあ」
緊張のせいか、褒められても、ロウはちっとも嬉しいとは感じなかった。唾を飲み込んだあと、意を決して口を開く。
「――あの、俺からも訊いていいですか」
「何だい?」
試験で分からなかったことを問われるとでも思ったのか、カヌトは気楽そうに返した。ロウはそんなカヌトの様子に、猛烈に腹が立った。
「あなたが禁法具を作ったことがあるって話は、本当なんですか?」
その言葉はあまりに唐突すぎて、まるで自分のものではないように、ロウには感じられた。
ロウは息を詰めて、カヌトの様子を注視した。カヌトは黙り込んでいた。色素の薄い瞳をみはったまま、ロウをただ見つめている。ミナキが、何が起きたのか分からないという顔で、二人を見守っていた。
かすれた声で、カヌトが言った。
「――魔法院で聞いたのか」
ロウは無言で頷き、カヌトの次の言葉を待った。
たっぷり十数えたあとで、カヌトは再び唇を開いた。
「本当だ」
否定して欲しかった。苦笑しながら、「それは別人だよ」と言って欲しかった。
気づくと、ロウは叫ぶように問い質していた。
「ニギ人をたくさん殺すために、禁法具を作ったっていうのも、本当なんですか!?」
今度は間を置かずに、カヌトは答えた。
「本当だ」
「どうしてそんなことをしたんですか!」
叫ぶほどに目頭が熱くなる。ロウは涙を滲ませた目で、きっとカヌトを睨みつけた。
カヌトはロウを見つめ返していた目を、ふっと伏せた。
「わたしのことを許せないと思うのなら、協会に申し出て、別の師匠を探してくれないか。事態が事態だけに、協会もきちんと取り計らってくれるだろう」
何かを諦めたような、カヌトの硬い声と表情に、ロウは胸を切りつけられたかのような痛みを覚えた。
(何で、言い訳すらしてくれないんだよ……)
涙がこぼれそうになったので、ロウはカヌトに見られないように俯いた。
「――分かりました。出ていきます」
ロウは立ち上がり、荷袋を肩に背負うと、寝間へ向かった。どさっと荷袋を下ろし、自分の持ち物を乱暴に詰め始める。
戸を叩く音がしたので、返事をせずにそちらを見やると、ミナキが入ってきた。ミナキは真剣な顔でラーナンを突き出してくる。
『本当に出ていくつもりなの? 今ならまだ間に合うわ。わたしが間に入るから、先生とちゃんと話そう』
ミナキの言葉を読んで、ロウはますます頭に血が上った。
「お前、さっきの話、聞いてなかったのかよ! あの人はニギ人を大勢殺そうとしたんだよ! そんな人の弟子を続けるわけにはいかないだろ! それに、ちゃんと話をしようとしないのは、向こうのほうだろ!」
それから、声を弱めてミナキに問うた。
「お前、ニギ人なのに、酷い目に遭ったのに、何とも思わないのかよ……?」
ミナキは大きな目を見開き、しばらくそこに立ち尽くしていた。やがて、何度か振り返りながらも、背を向けて立ち去る。
荷物を詰め終えたロウは、荷袋を背負うと、居間に出た。居間ではカヌトとミナキが待っていて、ロウの姿を見ると立ち上がった。
ロウは、何だか泣きたいような気分になった。
「見送りはいいです。一人でいけます」
「階段の下まで送るよ」
カヌトがあまりにも静かな声で言ったので、ロウは拒絶できずに、三人で戸口を出て、階段を下りた。ロウは靴を履くと、振り向かずに歩き出そうとした。
「ロウ、今までありがとう。――楽しかったよ」
カヌトの声がはっきりと耳に届き、ロウは、はっとした。今、足を踏み出せば、この五か月間の全てが霧となって消えてしまう。そんな気がした。
(ダメだ。足を止めちゃダメだ。……もう決めたんだ)
何かを振り切るように、ロウは駆け出した。




