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その日、ナナとルリは放課後になると籠目祭の準備を手伝わずにすぐに学校を出た。
ナナはお岩さんに扮するための特殊メイクの打ち合わせ。ルリはそれにさも付いていくような顔をして抜け出した。最近は毎日放課後学校に残っているため、趣味のスポーツ観戦の録画ビデオが溜まりまくっているのだ。
なお、番町更屋敷に登場するのはお菊だが、四谷怪談と混同して覚えていたナナは、今でもお岩さんと言い張っている。
「あら」
校門を出てすぐに、目ざとくそれを見つけたナナが嬉しそうに笑う。促されてそれを見たルリはうんざりしながら忠告する。
「時間がないんじゃなかったのか?」
「そうね。でも、一般市民として警察に協力するのは義務でしょう」
「協力なんかいらないかもしれない」
「だとしたら、隠れるのが下手すぎるって教えてあげるのが一般市民の義務よ」
ルリの抵抗むなしく、ナナは電柱の影にいるスーツ姿の体格の良い女性、籠目警察署の刑事である石川聖良の方に歩いて行く。
「ごきげんようセイラさん」
「こんばんは」
「……なんで会うかな」
セイラは顔をしかめる。
「あら。私達を待っていたと思ったんだけど、違うのかしら」
「なんで私があなた達に会いに来なくちゃいけないの」
「そうね。捜査に行き詰って、知恵を借りたくなったんじゃないかしら」
「なんで女子高生の知恵なんか」
セイラはあらぬ方向を見ながら鼻で笑う。
「知恵が気に入らないなら、女子高生の観点ならどうかしら」
「観点ね。それなら、時には必要なこともあるかもしれないわ。でもあなた達に聞いても、一般的な女子高生の観点は分からないと思うけど」
「アマレスにどっぷりと漬かり、授業もろくに受けずに練習ばかり、愛も恋もなく青春を全てアマレスに捧げてしまったセイラさんに一般的ではないと言われてもね」
「なんで知ってるの」
女子アマチュアレスリング日本選手権六大会連続二位の実績を持つ女刑事は歯軋りする。
「こんなの当たり前すぎて推理とも呼べないわ。そろそろ正直になったらどうかしら?」
「だから違うって言ってるでしょ」
「あの……」
ルリが控えめながらも断固とした口調で割って入る。
「急いでいるので、用事があるなら早く言って下さい」
ナナとは違い、目上の者にはいつもは丁寧なルリだ取った態度に、セイラは驚いた顔を見せながらしどろもどろに答える。
「よ、用事なんてないってば……」
「じゃあ、失礼します」
「あーあ。カッチンを怒らせちゃった。じゃ、私も」
歩き出したルリの後を、ナナが笑いながら追う。
「えっと、ちょっとちょっと」
慌ててセイラが追ってくる。
「ごめん、本当はちょっと聞きたいことがあるの。言うとおり、あなた達を待ってたの。でも、本当のことを言うのって恥ずかしいじゃない。それで魔が差したというかなんと言うか。反省しているから、あなた達の話を聞かせて」
大股で歩いていた足を止め、ルリがくるりと振り返る。
「少しだけですよ」
「え、ええ、もちろん。でもここじゃちょっと……」
セイラは都合よく通りかかったタクシーを止め、二人を押し込んだ。運転手に駅前に言うように告げると、手を合わせて頭を下げる。
「本当にごめんなさい」
「もう、いいです」
「私達の優しさに感謝することね」
「なんであなたに恩を売られなきゃいけないの」
「だったら今から私だけ帰りましょうか」
「……あなたたちの優しさに感謝するわ」
「どういたしまして。それで何が訊きたいのかしら?時間がないのは本当なの」
「そ、そうね。ちょっと待って……これなんだけど」
セイラはバタバタとバッグの中をかき回し、一枚のメモ書きを取り出した。
「このメモ用紙は誰の趣味なの?」
灰色のメモ用紙には髑髏マークが並んでいる。その上に赤いペンでメモがなされていた。
「誰の趣味でもいいでしょ。書いてあることを読んで」
「もう読みましたけど……」
ルリはその後の言葉を飲み込む。
そうこうしている間にタクシーは駅前に到着した。セイラは雑居ビルの二階にある喫茶店に二人を連れて行った。店の外からは中の様子が分からない、アンティーク調の家具で揃えられた、落ち着いた雰囲気の店だ。客は少ない。
セイラは店員の案内を待たずに丸テーブルの席に座った。二人が座ると、テーブルの真ん中に趣味の悪い髑髏柄のメモ用紙を広げる。そこには赤いインクでこう書かれていた。
『がごめ祭を爆破する いさぎ死ぬ 附喪神と共に闘おー』
店員がお冷を持ってきたのでメモ用紙を引っ込める。
「ここはコーヒーや紅茶は時間がかかるの。コーラで良い?」
「オレンジジュースが良いわ」
コーラ二つとオレンジジュースを注文すると、再びメモ用紙を開く。
「先週、ネットにこの書き込みがあったの。犯罪予告ってやつね。以前からネットにはこの手の書き込みが溢れているんだけど、警察では一応その真贋を確認しているわ。それでこの書き込みなんだけど・・・…、SNSって知ってる?」
「mixiやFacebookでしょう?」
ソーシャル・ネットワーキング・サービスの略であり、インターネットを通じてコミュニケーションを行うツールの総称である。
「そう。でも、SNSはそんな大手だけじゃなくて、小さなSNSもいっぱいあるの。その中で佐賀県の農業団体が作った『がばいったー』っていうSNSがあるんだけど、そこでこの書き込みがあったのよ。ちなみに、いさぎは、佐賀の方言でたくさんの意味らしいわ」
「なんで佐賀県なんですか?」
「まったく分からないわ」
「どうやってこの書き込みを発見したの?」
「運営会社から通報があったの。こんな書き込みがあったんだけど、どうすればいいですかって」
「警察はネット上の書き込みを全て監視しているんじゃないの?」
「よく知ってるわね。確かにチェックしているけど、この手の会員制サイトはパスワードがないと入れないから、普段はチェックできないわ」
「会員制なら、誰の発言なのかすぐに分かるでしょう」
「すぐに分かったわ。でも、その人のパソコンはウィルスに犯されていて、第三者にパソコンを遠隔操作されていた可能性も高いの。その場合の犯人はまだ分かっていない」
セイラは運ばれてきたコーラを一気に半分飲み干した。
「気になってたんだけど、この「がごめ」って言うのは書き間違いなの?」
「いいえ、こう書いてあったの。でも、「かごめ」の書き間違いじゃないかって見てる。がごめ昆布って言うのが北海道にあるんだけど、がごめ祭はないわ」
「ふーん。佐賀県にかごめ祭はあるの?」
「ないわ。警察で調べたところ、日本中でかごめ祭があるのは籠目市だけよ。知ってのとおり、籠目市の籠目祭もあるけど、開催は五月で今年はもう終わってる。近日中に開催されるのは、籠目高校の文化祭よ」
「……中止になるの?」
「これが2チャンネルに書き込まれたのなら中止の可能性も高かったけど、がばいったーだから決めかねているの。なにかの暗号の可能性もあるから、佐賀県警でも色々と考えてくれているわ。籠目高校に対しては参考情報として通知したけど現時点では思い当たる点はないってことだった。これから本格的な調査が行われるかもしれないけど、その前に生徒は何か知っていないかを聞きたかったの」
「朝霧先生には聞いたんですか?」
セイラは遥の中学時代の先輩であり、今でも付き合いがある。
「いいえ。遥には学校から連絡が行くだろうし、その前に動くのは良くないわ」
「話は分かったわ。結論から言えば知らないわ」
ナナの言葉にルリも頷く。
「とは言え、私達は学内の噂話には詳しくないの。明日、詳しそうな子に聞いてみる」
「秘密事項だから、ばれないように気をつけてよ」
「任せて。こういうのは得意だから」
「確かに得意そうね。珍しく安心してお願いできるわ」
「セイラさんのお願いならなんでも聞くわよ。時間が許す限り」
そう言ってナナは立ち上がった。
「間に合うのか?」
「一度家に帰って着替えたかったけど、直接行くしかないわね。それでも少し遅れそうだけど、レアな制服姿の私を見たら許してくれるでしょ。それじゃ、お先に失礼するわ」
ナナは身を翻し、足早に出て行った。
「一緒に行かなくて良いの?」
「良いですよ。……ケーキ頼んでいいですか」
「良いわよ。どこへ行ったの?」
立ち上がってナナを見送ったセイラが座りなおす。
「文化祭で私達のクラスはお化け屋敷喫茶をやるんです。皆でお化けのコスプレをするんですけど、ナナはプロの人に特殊メイクをしてもらうそうです。今からその打ち合わせだそうです」
「特殊メイクのプロ?高校の文化祭でそこまでやるの?」
「あいつだけです」
「ふーん……、どこでそんな人と知り合ったの?」
「知りません。色んなツテを持ってるみたいですから」
丁寧ではあるが、興味なさそうに返事をする。
「……あなた達はいつも一緒にいるんだと思ってたわ」
「そんなこと、あるわけないじゃないですか」
セイラはルリを見つめるが、背の高い少女はあらぬ方向をじっと見つめ、目を合わせなかった。
「そりゃそうよね。私もケーキを頼もうっと。ところで、この間のグランプリ戦は見た?」
セイラはメニューを開きながら、スポーツ観戦好きな少女が興味を示しそうな話題を振った。