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佐藤結渚の場合 その3

 身体を売ろう。

 そう決めたのはいいけれど、実際に行動に移そうと思うと気が重かった。

 まず、何から始めればいいか分からない。

 携帯電話やスマートフォンでも持っていれば出会い系みたいなアプリがあるらしいから、いくらでも方法があるかもしれない。

 けれどあたしは、携帯電話やスマートフォンなんて持っていない。

 クラスでそういうものを持っている子たちを見て、この子たちはどれだけお金持ちなんだろうと思っていた。


 道行く大人に片っ端から声をかければ、一人くらい引っかかるだろうか。

 真面目な大人に声をかけてしまったら、通報されるかもしれない。

 真面目でない大人に声をかけても、子どもだから相手にされないかもしれない。

 逆に、小学生の子どもの相手をしたがるような大人とは、正直あまり関わりたくない。

 声をかけたのが危ない人だったら、犯罪に巻き込まれるかもしれない。

 危ない人じゃなくても、やっぱりそういうことをするのは怖い。

 すごく痛いって聞く。

 どのくらい痛いのか、うまく想像ができない。

 変な病気だってもらうかもしれない。


 けれど、あたしには他に方法がない。

 小学生がお金を稼ぐためにできることなんて、犯罪か身体を売るかの二択だ。

 犯罪者になったら、文字通り、一生が終わる。

 普通の生活を送りたくて、そのために大学に行きたくて、だからお金が欲しいのに、犯罪者になったら普通の生活なんて送れない。

 それなら、身体を売った方がマシだ。

 けれど、身体を売ったのが誰かにバレたら。

 インターネットとかで流出したら。

 そう思うと、やっぱり怖い。


 世の中の女子高生とかの中には、ブランドものを買いあさっている人もいると聞く。

 あの人たちは、どうやってお金を稼いでいるんだろう。

 駅前で人を待つふりをして、女子高生の話を盗み聞きした。

 コンビニでバイト。

 ファーストフード店でのバイト。

 ファミレスでのバイト。

 みんな、思ったより健全だった。

 援助交際の話なんて出てこない。

 誰もやっていないのか、それとも人前でする話じゃないと分かっているのか。


 それでも何度も何度も駅前で知らない人たちの話を盗み聞きし続けて、夏休みのある日、ようやく自分でもできそうな話を耳にした。

 ブルセラ。

 下着や制服を身につけて、使用済みになったものを売るらしい。

 初めて聞く言葉だったので、図書館に行って調べた。

 昔と違って今は下火になっているようだった。

 けれど、今でも続いているということは、まったく売れないわけでもないんだと思う。


 あたしは、貯めていたお小遣いを持って、漫画喫茶へ行った。

 30分で280円。

 毎月のお小遣いが500円のあたしには高すぎるけれど、インターネットができる場所が他になかった。

 まさか学校のパソコンの授業中にそんなことを調べるわけにもいかないし、図書館でそんなことを検索する勇気もなかったから。

 インターネットで近くのブルセラのお店を調べた。

 近くの街に2件あったけれど、近すぎると誰か知っている人に見つかってしまうかもしれない。

 あたしは、隣の県のお店を調べた。

 隣の県にも2件あった。

 どこも18歳未満は買い取りできないと書いてあった。

 女子高生だって18歳未満なのに、だったら制服は誰が着て売るんだろう。

 18歳未満は買い取りできないと書いてあるだけで、実際は買い取ってくれるんだろうか。

 それとも子どもに着させて親が売っているんだろうか。


 あたしは隣の県のお店と、一応近くの街にあるお店の名前と住所と電話番号をメモすると、次の日、昨日一日履いていた下着をバッグに入れて、隣の県へと向かった。

 電車代だけで、往復1500円以上かかる。

 かなり厳しかったけれど、自分への投資だと割り切った。

 図書館で読んだ大人の人が読むビジネス雑誌に『自分への投資は惜しむな』って書いてあったから。


 隣の県につくとあたしは、メモしていたお店を順番に訪ねた。

 小学生の女の子にいきなり下着を売りたいと言われて、お店の人も相当困った様子だった。

 しかも、断られた。

 一件目も二件目も。

 電車代だって高いのに、完全に無駄足だった。

 正直へこんだけれど、へこんでばかりもいられなかった。


 あたしは電車に乗ると、家の近くの街へと向かった。

 念のために近くの街にあるお店もメモしておいてよかったと思う。

 知っている人に見つかるかもしれないと思っていたけれど、見つかる可能性の方が低いし、迷っていても仕方がなかった。

 けれど。

 やっぱり断られた。

 三件目も、四件目も。

 最後のお店で、あたしは粘った。

 ここを断られたら、後がなくなる。

 お金が必要だと伝えた。

 けど、やっぱり、断られた。

 それでもしつこく食い下がると、警察をよんで補導してもらうと脅された。


 あたしは店を出て、うなだれた。

 あたしには、スタートラインに立つことすらできない。

 繋人を助けるためのスタート地点に立ちたいのに。

 繋人が死ななくてすむような、普通の生活を送りたいだけなのに。

 いい大学に入って、卒業して、就職しさえすれば、あとは自力で何とかするのに。

 そのためのスタートラインにすら、立てない。


 馬鹿げてる。


 どうしてあたしは子どもなんだろう。

 どうしてあたしは小学生なんだろう。

 お店を出たあたしは、駅に向かって歩いた。

 気持ちが海の底に沈み込んでいたのと、夏の蒸し暑さが全身にまとわりついてくるせいで、身体が鉛のように重かった。


 あたしには、未来が描けない。

 小学生に気軽に将来の夢を聞くのはやめて欲しい。

 その夢を叶えるためのスタートラインにすら立てない人間だっているんだから。


 明日が、欲しい。


 ただ、普通に暮らせるだけの、明日が、欲しい。

 大切な人が死ななくてすむような、明日が、欲しい。

 あたしには、明日なんて永遠にやってこないように思える。

 手を伸ばしても届かないなんてものじゃない。

 手を伸ばすことすらできない。

 どこにあるかも分からないから。


 あたしの気持ちは、海の底から浮かび上がれそうになかった。

 あたしは、きっと、深海魚だ。

 海の底を泳ぐ深海魚だ。

 海の上の生活に憧れる深海魚だ。

 光の届かない深い海の底にいて、右も左も上も下も分からない。

 海の上に出たいのに、光が射さないからどっちに行っていいかすら分からない。

 水圧で醜く潰れた深海魚。

 それが、あたしだ。


 笑えてくる。

 どう頑張っても、繋人の命を救えない運命だったんだろうか。

 繋人はたった四歳で死ななければいけない運命だったんだろうか。

 お金なんて人間が作り出したものなのに、そのお金に振り回されて死ぬ人間がいる。

 人間が作り出したお金がないと、未来さえ描けない。

 あたしも、人間が作り出したお金というものに振り回されて、大切な人を見殺しにすることしかできない。

 救いを求めてあたしに差し出された繋人の手を、つかむことすらできない。


 ひどく滑稽だった。

 あたしも。

 あたしの周りの人も。

 道行く名前も知らない人たちも。

 あたしのいる、この社会も。

 あまりにも滑稽で、馬鹿げていて、狂っていて、笑えてくる。


 お店を出て少し歩いたところで、後ろから声をかけられた。

 30代半ばくらいのおじさんだった。

 お店で、あたしと店員さんとの会話を聞いていたとのことだった。

 どうしてお金が必要なのか聞かれたから、スタートラインに立ちたいからですと答えた。

 普段だったら聞かれても絶対答えないのに、あたしは答えてしまった。

 きっと自棄になっていたんだろうと思う。

 あたしの答えは要領を得なかったらしく、何のスタートラインか聞かれたので、普通の生活を送るためのスタートラインですと答えた。

 どういうことか聞かれたので、勉強して大学に行って卒業して就職して普通の生活を送るためのスタートラインですと答えた。

 そのおじさんは、あたしの答えを聞いて少し考える素振りを見せたが、お金が必要ならバイトを紹介すると言った。

 すごく怪しかったし、どうせロクなバイトじゃないと思った。

 身体を売ることになるのかな、と思った。

 けれど。

 身体でいいなら、売ってやる。

 醜く潰れた身体でいいなら、売ってやる。

 今のあたしには、心と身体以外には何もないのだから。


 一応、何のバイトか聞いてみた。

 スマートフォンでメッセージをやり取りするバイトだと言われた。

 それだけ? と思ったが、それだけだと言われた。

 ただ致命的なことに、あたしはスマートフォンを持っていなかった。

 やりたいけれどスマートフォンを持っていませんと答えると、スマートフォンを貸すと言われた。

 ただし、レンタル料は給料から引かれるらしい。

 興味があるなら、今から会社で詳しい話をすると言われた。

 信用していいのだろうか。

 さっきまで身体でいいなら売ってやると思っていたけれど、実際にそういう場面に遭遇すると、足がすくむ。

 悩んでいると、おじさんに無理にとは言わないからと告げられた。

 あたしは、必死に自分に言い聞かせた。

 これは、チャンスだ。

 スタートラインに立つためのチャンスだ。

 海の上に出るためのチャンスだ。

 だから、逃してはいけない。


 あたしはおじさんについて行った。

 雑居ビルの一室で、いかにも怪しげな雰囲気だった。

 あんなお店にいた人だし、小学生に声をかけてくるような人なので、向こうもロクな人じゃないと思うし、本当にメッセージを送るだけなのかどうかも怪しいものだと思う。

 けれど、お金のためなら、人生の汚点になったり将来に影響を与えたりするようなものでもない限り、やろうと決めた。

 それでスタートラインに立てるのなら。

 海の上に出られるのなら。

 会社の場所も覚えた。

 おじさんの顔も覚えた。

 これで、もしも何かあったら、この人を逮捕してもらえると思う。

 撮影だけは、されちゃいけない。

 そこだけは絶対に気をつけなくちゃいけない。

 会社の中に入ってから、あたしはどこかにカメラが隠されていないかキョロキョロと探ってみたけど、さっぱり分からなかった。

 よく考えたら、隠しカメラなんて見たこともないから、分かるわけがなかった。


 おじさんと向かい合って椅子に座ると、おじさんが話し始めたので、あまりキョロキョロしていると怪しまれると思い、ひとまずカメラを探すのを中断して詳しい説明を聞いた。

 仕事の内容は、一言で言えば出会い系のサクラだった。

 どうやら、本当にバイトを紹介してくれるようだった。

 他にもカメラで自分の顔をインターネットで発信しながらチャットをする仕事とかもあった。

 そっちの方がもっとお金がもらえるけれど、小学生のあたしはダメだと言われた。

 だから、顔を出さずにメッセージを送る。

 あたしだって顔を出さなくてすむのなら、そっちのがいい。


 おじさんの話だと、相手から一回メッセージが送られてくるごとにお金がもらえるとのことだった。

 ただし、いろいろと面倒な手続きがあって問題になるといけないので、給料ではなく、あくまでもお手伝い料。

 お金は銀行振込みではなく手渡し。

 あたしは給料でもお手伝い料でも、お金がもらえるならどっちでもよかった。

 銀行口座なんて持っていないから、振込みよりも手渡しの方が都合がよかった。

 スマートフォンのレンタル料がけっこうとられるけれど、あたしに選択の余地はなかった。


 さっきから疑問に思っていたので、どうしてあたしに声をかけたのか聞いてみた。

 お店であたしと店員さんの会話を聞いて、あたしが何か訳ありっぽいと思ったから、声をかけたら安く雇えると思ったと言われた。

 どうしてあの店にいたのか聞いたら、ああいうお店で人気のある下着や制服をチェックしてお仕事に生かすためと言われた。

 どこまで本当か分からないけれど、これは紛れもなくチャンスだと思った。

 身体を売るのは、やっぱり怖い。

 だから、身体を売らなくてすむのなら、そっちのがいい。


 こういうプロフィールで登録すると言われて、紙を渡された。

 いくつか注意事項を聞いた。

 19歳の女の子として登録するので、その設定でメッセージを送ること。

 メッセージは必ず会社がやっているサービスを通して送ること。

 相手と直接のやり取りは絶対にしないこと。

 会って欲しいとあまりにもしつこく言われたら相談すること。

 その場であたしは説明を聞きながら、早速メッセージを送ってみた。

 スマートフォンの操作に手こずって、メッセージを送るだけなのにけっこう時間がかかった。

 返事が来る相手もいれば、来ない相手もいる。

 返事が来た相手にさらにメッセージを送る。

 会話が弾めば、メッセージのやり取りが続く。

 会話が弾まなかったら、そこで終わる。

 相手がお金を払ってメッセージを送る仕組みらしい。

 つまり、お金が欲しければ、会話を弾ませて相手からたくさんメッセージをもらわなければいけない。

 かといって、会話を弾ませすぎるとサクラと思われるかもしれないので、適度に素人っぽく、たどたどしく。


 あたしは毎日、スマートフォンでメッセージを送った。

 19歳にしては子どもっぽいと言われることもあって、その度にドキドキする。

 どんなメークをしてるのかとか好きなブランドとかについて聞かれてもさっぱり分からないので、コンビニで立ち読みして知識を仕入れる。

 会話を弾ませるために、会話のテクニックみたいな本を立ち読みする。

 共通の趣味があると会話が弾むので、漫画もたまに立ち読みするようになったし、スマートフォンで動画サイトも見るようになった。

 思っていたよりも準備が忙しくて、思っていたよりも大変だった。


 一ヶ月やってみて会社にお金をもらいに行った。

 一ヶ月やって8000円。

 あたしにとっては大金だけれど、時給800円でバイトをすれば二日で貯まるような金額。

 割に合わないような気もしたけれど、文句も言ってられなかった。

 だからあたしは、その仕事を続けた。

 お父さんにも、学校の友だちにも内緒で。

 スマートフォンを持っていることも、誰にも秘密だった。

 あたしがスマートフォンなんて持ってたら疑われるから。

 学校が終わって家に帰ると、勉強をしながら合間を縫ってメッセージを送る。

 会話を弾ませるのに必要な知識を、本を読んだり、スマートフォンで調べたりして身につける。

 この、繰り返し。

 それでも中学生になるころには、11万円貯まっていた。


 中学生になっても、あたしはこの仕事を続けるしかなさそうだった。

 みんなが何の部活に入るか相談しているのを、うらやましいという気持ちを押し殺して笑って聞いていた。

 部活なんてやったらお金がかかる。

 学校の制服だって近所のお姉さんのお下がりなのに。

 学生生活なんて、初めから期待してない。

 あたしの場合、部活をやる時間を勉強に使った方がマシだ。

 学校と家との往復。

 たまに図書館。

 学校が終わって家に帰ってから勉強して、スマートフォンでメッセージを送る。


 スマートフォンはすごい。

 インターネットでいろいろなサイトが見れる。

 あたしの知っていた世界は、やっぱりまだまだ狭かったみたいだ。

 それだけじゃない。

 勉強にも役に立つ。

 英会話が聞けたり、勉強を解説しているサイトや動画が見れたりする。

 お金があればスマートフォンが買えて、勉強も有利になる。

 やっぱり不公平だ。


 中学生になってからの一ヶ月はあっという間に終わり、ゴールデンウィークに入った。

 友だちは部活があったり、家族で旅行に行ったりするらしい。

 けれど、あたしにはゴールデンウィークの予定なんて、あるわけなかった。

 だからあたしは、毎日図書館に行って勉強した。

 明日からゴールデンウィーク後半の連休に入るけど、やっぱりあたしには、何の予定もなかった。

 だから、というわけでもないけれど、何となくあたしは、スマートフォンのアプリを検索してみた。

 借り物のスマートフォンだから、余計なアプリは入れないように言われていたし、変なアプリを入れて壊したりしたら嫌だから、あたしはそれまでアプリを入れようなんて思わなかった。

 けれど、スマートフォンを使い始めて半年以上経って、さすがにスマートフォンにも慣れたし、アプリにも興味があった。

 勉強に使えるアプリだってあるし、出会い系みたいなアプリだってある。

 使い方次第で、もっと効率よく勉強できたり、もっと効率よくお金が稼げたりするかもしれない。


 いろいろなアプリを見て何を入れようか悩んでいたら、変なアプリが目に留まった。

 「異世界に行ける睡眠アプリ」。

 まさか本当に別の世界に行けるなんて思えない。

 夢の中でだけでも、別の世界に行けるってことなんだろうか。

 今とは違う、別の世界。

 もしも別の世界があるとすれば。

 そこではあたしも、普通の中学生をやっているんだろうか。

 部活をやったりしているんだろうか。

 家族が仲良く暮らしているんだろうか。

 繋人は、生きていられるんだろうか。

 笑って暮らしていられるんだろうか。

 もしも、本当に、夢の中でだけでも、別の世界に行けたら。


 あたしの夢の中で繋人は、いつも泣いている。

 若い男に殴られて、蹴られて、踏まれて、誰にも助けてもらえなくて。

 あたしの手は夢の中でも、繋人に届かない。

 繋人が怒鳴られながら自分の涙を拭いているのを、見ていることしかできない。

 涙だったら、あたしが拭くのに。

 夢の中でもあたしは、繋人の涙を拭くことができない。


 もう、笑っている繋人の顔を、思い出せない。


 泣いている顔しか、思い出せない。

 あたしの記憶の中にある繋人の顔も、夢に出てくる繋人も、いつも、泣いている。

 罰なのかもしれない。

 繋人を助けられなかったあたしへの。

 弟を守れなかったお姉ちゃんへの。

 繋人はあたしのことを恨んでいるんだろうか。

 憎んでいるんだろうか。

 それでもいい。

 嫌われてもいい

 夢の中でもいい。

 もう一度だけでいい。


 笑って欲しい。


 例えそれが、あたしに向けられた笑顔ではなかったとしても。

 あたしは、嫌われたままでいい。

 繋人が、笑ってくれるのなら。

 別の世界だったとしても、繋人が笑顔になれるのなら、あたしは、どんな罰でも受けるから。

 だから。

 あたしはそのアプリをスマートフォンに入れて、説明に書かれていた通り、アプリの音楽を聞きながら眠った。

 そして、あたしは、ここに来た。

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