海辺にて
……と思ったが、枕が変わったからか、まだ時間が早いからか、寝付けそうにない。
ベッドの上で何度か寝返りをうってみたが、睡魔のやってくる気配はなかった。
俺はベッドから起き上がり、窓へと向かう。
夜の空は澄み渡り、星がよく見えた。
星を見ていると、ここが異世界だかゲームの世界だか知らないけど、俺たちのいる世界ではないということを忘れてしまいそうだった。
どうせ寝付けないことだし、せっかくなので散歩でもしようと思い、俺は上着を羽織ると部屋を出て、そのまま建物の外に出た。
夜の島は静かで、空気がきれいだった。
といっても、ここに空気があるのかどうかもよく分からないけど。
俺はペンションから離れ、緩やかな坂を下り、緑の中を歩いて、初めに到着した砂浜までたどり着いた。
そのまま砂浜に腰を下ろし、海と星空を眺める。
波の打ち寄せる音が聞こえる。
星がきらめいている。
この海の中に巨大なタコがいるとかいう設定は、いくら何でも無理がありすぎるように思える。
どうしてもうちょっとマトモな設定にしなかったんだろう。
誰もいない星空と海を独り占めしたくて、俺は砂浜に寝転がった。
星にあまり興味がないから、星を見てもどの星が何座かというのも分からないし、今見えている星空が元の世界のものと同じかどうかも分からない。
それでも、広い海の近くで星空に囲まれて自分一人で寝転がっていると、自分の存在がすごくちっぽけなものに思える。
こんなちっぽけな俺が、今まで何を気にして生きてきたんだろう。
これから、何を気にして生きていくんだろう。
自分のキャラとか、きっとすごくちっぽけなことで、俺にはまだいろんな可能性が残されていて、それを選ぶのは自分自身なわけで、だから、
「響平君?」
「うわっ!?」
びっくりして反射的に声が出た。
「響平君? 何してるの? こんなところで」
「……小町さんこそ何してるんですか?」
答えながら俺は起き上がる。
すぐ近くに小町さんが来ていたことに全然気付かなかった。
変な鼻歌を歌ったり、恥ずかしいポエムをつぶやいたりしてなくてよかった。
「わたしはせっかくだから、ちょっと散歩でもしようと思って」
「俺も同じようなもんですよ」
「隣……いい?」
「どうぞ。砂つきますけど」
小町さんが俺の左隣に腰を下ろす。
夜の海に小町さんと二人きり。
このシチュエーションは…………ゴクリ。
「響平君は推理小説とか読まないんだっけ?」
「読まないですね。小町さんは好きなんですか?」
「前はたまに読んでたんだけどね。受験生のときに本読むのやめてて、そのまま読まなくなっちゃった」
「……受験ってそんなに大変なんですか?」
「わたしはね。志望校がギリギリだったから」
失敗した。
小町さんに受験のこととか大学のこととか聞くのはよくなかった。
いや、でもやり直そうと思ったとか言ってたし、聞いていいのか?
……分からん。
「響平君は、どうして今の高校選んだの?」
「家から近かったんです」
「まぁ、あそこの高校は大体そうだよね」
「そうですね。遠くから通ってきてる人ってあんまりいないですね」
と返事はしたものの、学校に友だちがいないので、実はよく知らないんだけど。
「わたしも近いってだけであの高校選んだから、人のこと言えないけど」
ん……?
「……え? 小町さんって俺と同じ高校だったんですか?」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
「聞いてないですよ。俺たちの高校の先輩だったんですか?」
「そうだよ。家から自転車で30分もかからないし」
マジですか。
「高校生活楽しかったですか?」
「それなりに楽しかったよ。やり残したこともあるけど」
「どんなことですか?」
「わたしね、本当は演劇部入りたかったの」
「演劇部ですか? どうして入らなかったんですか?」
「あの高校って演劇部ないでしょ?」
「え……そうなんですか?」
「新しくできてなければ今もないままだと思うよ。だからE.S.S.入ったんだけど、別に英語に興味があったわけでもなくて。仲良かった友だちが入るって言うから一緒に入ったようなもんだし。だけどね、何で演劇部作ろうって思わなかったのか不思議に思うの」
高校で新しい部活を作る。
漫画やラノベではよくある。
けれど、実際にそれを実行しようと思うと、すごく大変だろうと思う。
変な部活じゃなくて演劇部なら認められそうな気もするけれど。
でも、その前に。
「あの、小町さん。E.S.S.って何ですか?」
「あー。English Speaking Societyの略で、英語使ってディスカッションしたりスピーチしたりとか、そういうの」
「じゃ、小町さん、英語ペラペラですか?」
「ペラペラってほどでもないよ。普通くらい」
「E.S.S.はあんまり楽しくなかったんですか?」
「楽しかったよ。E.S.S.やってたことは後悔してないし、高校卒業してからもE.S.S.の友だちと連絡とったりしてたし。けどね……本当にやりたいことがあるんならその環境を作っちゃえばいいってことまで頭が回らなかったことはちょっと後悔してるかな」
「大学で演劇部に入ったんですか?」
「ううん。大学入ったころは演劇やろうって気も特にわかなかったから」
「そうなんですか」
「うん。まぁ、やりたくなったら大学生やりながら劇団入ったりだってできるからね」
大学のことはよく分からないけれど、そういうものなんだろうか。
「響平君は、帰宅部だっけ?」
「そうです」
「高校に入って何か部活やろうとか思わなかったの?」
「いや……俺、省エネキャラで高校デビューしちゃったんで」
「あー、そういえば。でも、別のキャラにするんでしょ?」
「その予定なんですけれど、どういうキャラにするかもまだ決まってないですし」
「わたしは高校での響平君は知らないから何とも言えないけれど、今のままで別にいいんじゃないかなって思うよ?」
「省エネキャラってことですか?」
「ううん。そっちじゃなくって、わたしの知ってる響平君」
「……あんまり、いいキャラじゃなくないですか?」
「まぁ、大して特徴もないし面白いキャラでもないし、あんまり印象に残らないけれど」
「…………」
地味に傷つくんですけど。
「や……、でもねっ! 悪い意味じゃなくてっ! ほらっ! 麦穂ちゃんもことりんちゃんも結渚ちゃんも仲悪いけど、響平君を共通の敵とみなしてまとまるしっ!」
「……それって、俺、嫌われてるだけじゃ……」
「ち、違っ! あの……いい感じに愛されてるっていうかっ! いじられてるっていうかっ! そう! いじられキャラ! 響平君いじられるの向いてるからっ!」
「……小町さん、それ絶対今思いつきましたよね?」
「ううん! 前から思ってたから!」
「俺が小町さんと会ったの昨日ですけど」
「じゃ、昨日から思ってたからっ!」
小町さんまで、俺の扱いちょっとひどくないですか?
「でもね、いじられキャラって本当に大事だよ? どのコミュニティでもいじられキャラが一人いると、盛り上がるし、まとまるし、雰囲気よくなるし。いじりキャラの人は新しい組織に入ったときに自分より立場が上の人がいるとコミュニケーションとれなくなることもあるけど、いじられキャラだったらどの組織でもやってけるし」
「いじられキャラって、うまくはまれば愛されるかもしれないですけど、実は嫌われてたり馬鹿にされてるだけだったり、いじめに近かったりしないですか?」
「そうならないように、愛されるいじられキャラ目指せばいいんじゃない?」
「そんな簡単に……」
ポン!
小町さんは俺の背中を軽く叩いた。
「大丈夫! まだ時間はあるから、元の世界戻ってから愛されるいじられキャラになる方法考えればいいから、ね?」
「いや、俺、いじられキャラになるなんて一言も言ってないんですけど」
「でもね、響平君ってどんなキャラにするか考えてるだけで高校生活終わりそうだから、テキトーに一個に決めちゃった方がいいと思うよ」
それは否定できない気がする。
「言い方悪いけど、高校生活なんてたかだか三年だし、ほとんどの人とは卒業してから連絡とらなくなるんだから、自分が一番楽しいって思えるキャラにしちゃった方がいいんじゃない? 嫌われてもいいやってくらいで、ね?」
「……あんまり嫌われたくないんですけど」
「嫌われたくないって思って何もしないのが一番嫌われるよ?」
小町さんの言葉が胸に突き刺さる。
確かにそれは、否定できない気がする。
けど、自分からあえて嫌われにいく勇気もない。
「小町さんは、普段はどういうキャラなんですか?」
「わたしは…………」
小町さんが言いよどむ。
「わたしは……途中から、大学あんまり行ってなかったから……」
ヤバイ。
マズイことを聞いてしまった。
「で、でも、小町さんって二年生からちゃんと大学行ってたんですよね?」
「まぁ……人並みには……」
どうしよう。
小町さんのテンションがだだ下がりだ。
「……でも、わたしもぐだぐだ悩むのはもう終わりにする」
「え? どうしたんですか? いきなり」
「何かね、こっち来てみんな見てるうちに、わたしも負けてられないって思っちゃった」
みんなを見てるうちにって、みんなのどこにそう思える要素があったんだろう。
もちろん、俺も含めて。
「わたしね、前も話したと思うけど、今の大学って志望校じゃなくて、それで学校行かなくなっちゃったんだけど、もうそれでいいって思った」
「学校行かないってことですか?」
「ううん。そうじゃなくて。……響平君、わたしの家のお店ってどう思う?」
「どうって言われても」
「ぶっちゃけ、つぶれそうでしょ?」
「……正直、あんまり儲かってるようには見えないです」
「まぁ、本当に儲かってないんだけどね。お父さんもお母さんも別の仕事もやってるから別にお店はつぶれてもいいんだけど、わたしは小さい頃からそれが嫌で。お店もちゃんとやるか、いっそのことお店を閉めて別の仕事の方に力入れるかどっちかにすればいいのにってずっと思ってた」
あの店、何でつぶれないんだろうって思ってたら、そんなからくりが。
「小町さんの親が趣味でやってるお店ってことですか?」
「うん。そんな感じ。しかもね、変なビデオとかDVDとかも置いてあるから、わたしも小さい頃からからかわれたりしてて、お店が繁盛してるかお店閉めるかしてくれたら、わたしもからかわれたりしなくてすむのにってずっと思ってた」
「変なビデオって……」
「響平君が借りた、アレ」
「……忘れてください」
「元の世界戻ったら改めてお説教するから」
「反省してますから、本当に」
「でね、受験生になって進路考えるときだったかな、思ったの。わたしが別の会社作って会社大きくして、うちのお店買収しようって」
「お店を継いでお店大きくするとかじゃないんですか?」
「あのお店大きくできると思う? レンタルビデオ市場なんて、インターネットとかの影響でどんどん小さくなってきてて大手くらいしか生き残れそうにないし、お客さんだって近所のお年寄りばっかりなのに」
「うーん……。分かんないですけど、そう言われると難しいような気がします」
「わたしは難しいと思ったの。だから、他に会社作って買収すれば何とかなるかもって思ったの」
「お店自体は残すんですか?」
「あんなお店だけどわたしの実家だし、お父さんとお母さんの居場所だし、ご近所さんには頼りにされてるし、ね。だからわたしね、大学で経営勉強しようって思ったの。それで、経営学が強い大学を志望校にしたんだけど落ちちゃって」
「今の大学では経営学の勉強してないんですか?」
「今は経済学部だけど、経営科目の講義もあるから一応してたよ。ただ、やっぱり自分の求めてるものとは違うなって思うことは多かったけど」
「求めてるもの、ですか?」
「そう。結局、何だかんだ言ったって学歴って大事だから、大きい会社行こうと思うんなら学歴がないと書類で落ちるし、大学の人脈って社会に出てからも使えると思うし、だからわたしね、大学行って大きい会社入ってキャリアを積みながら人脈広げて、お金ためて会社立ち上げて、ってのを考えてたの。わたしが求めてたのって、そういう未来に開けてる可能性だったんだよね」
そこまで話すと、小町さんは小さく笑った。
自虐的な笑い方だった。
「わたしのこと、小さい人間だって思ったでしょ?」
「いや……何というか……すごく現実的なのかなあとは思いましたけど」
「嫌でも現実見るよね、そりゃ」
「でも、小町さんの人生設計とけっこう変わっちゃってると思うんですけれど、どうするんですか?」
「どうしようね? 経営を学ぶにしても経済を学ぶにしても、今の学校でも学べることってたくさんあるし、学生ベンチャーとかなら会社潰れても若気の至りですむから何かやってみようかなって思うし、大きい会社じゃなくても社会に出れば、また学べることもあると思うし」
「何か学んでばっかりですね」
「そりゃね。経験も大事だけど知識だって大切だからね。今までの経験を集めたものが学問になってたりするわけだし。わたしもできることもやりたいこともいっぱいあるって気付いたから、今までの時間取り戻さなきゃって思うしね」
時間を取り戻す。
それはきっと、俺だってそう。
だけど俺は、どうやって取り戻すのかも、取り戻してどうするのかも、まだ見えない。
「小町さん、学生ベンチャーって何やるんですか?」
「まだ何にも。けど、せっかくやるんなら、自分の好きなことで何かやってみようかな」
「好きなことでって、どんなのですか?」
「うーん……。いっぱいあるんだけど、猫とかうさぎとかのかわいい動物好きだから、猫カフェとかうさぎカフェとかって楽しそうだなって思うし、響平君みたいな貧弱な子がマッチョになれるようなトレーニング施設とか作れたらいいなって思うし」
小町さんにまで貧弱扱いされた。
否定できないから仕方ないけど。
「ライバル店いっぱいありそうですね」
「そうなんだよね。しかも、初めにお金がかかるのばっかりだから、もっと初期投資抑えられそうなの考えなきゃなんだけど。まぁ、まだ時間あるし、元の世界に戻ってからでもちゃんと考えてみようとは思うけど」
「……小町さん」
「うん?」
「俺に行くあてがなくなったら雇ってください」
「タダ働きでいい?」
「あの、ちょっとは給料を……」
「時給300円くらいでいい?」
「……ちょっと安すぎじゃないですか?」
「専務さんも言ってたでしょ? 『給料なんて欲しがりません売るまでは!』って」
「そこは見習うとこじゃないですから!」




