神話とエピローグ
それはずっと先の時代。残された時代。
世界にまた一つ神話が生まれた。それはもはや伝説の類いだった。
戦乱のパスティンに降り立つ一人の少女。齢十四、五に過ぎないシスターが天空から舞い降り、その鶴の一声により戦いを止め、世界を再び安寧へと導いた。
多くの血がすでに流されてはいたが、それ以上に救われた命があった。
人びとは彼女を崇め、聖母とたたえた。
聖母はパスティンの復興作業に従事し多くの人びとを、その言葉で励ました。そのときの様子が、今なお多くの宗教画として現存している。
しばらくの間、彼女はパスティンにとどまったが、いつの日か忽然と姿を消してその存在は伝承にのみ残るだけとなった。
彼女はいったいなにものだったのか。
パスティンで刃を交えた二つの勢力のうち、片側の代表はそれを知っていたそうだが、今その記録は失われ、彼女の正体を知るものはいない。
ジハンは掘立小屋より顔をだし、朝の陽ざしを浴びた。はじめは感動していた朝焼けにも夜の真っ暗な闇にも、今ではすっかり慣れてしまい変わらない毎日の風景となった。
勝手なものである。ジハンは己の、そして人間の性質を笑った。
サタの山は今日も変わらず穏やかだった。鳥がさえずり、花が咲きいつもとなんら変わらない。
ジハンは大きくあくびをした。
眼下にはパスティンが見える。
封じ込めた記憶が、不意に立ち上りそうになり彼は慌ててそれを打ち消す。
考えないようにする。
それは決して忘れることを意味しなかった。
心の奥底にストックしておき、ふだんはそれを意識の外へと置いておく。長い歳月を超える上で、彼が見出した処世術であった。
寂しさに耐えるためには、それが必要だった。
下界のニュースは彼の耳には聞こえてこないが、ここからパスティンを見下ろす限り、少なくとも世界は終わらなかったようだ。
彼女がなにをどうやったのかは知らないが、少なくとも後世に名を残す人物になったのは間違いなかった。
時代が要請した必然なのか。はたまた彼女の意志が未来を変えたのか。
あんなことを言っておきながら、ジハンにはついにわからなかった。
そして今やそんなことはどうでもいい、と思うようにさえなった。
太陽もあれからまもなく、あの異常な状態をやめ、別の表情も見せるようになった。
回想をやめていつも通りのルーティンワークに入ろうとしたそのときだった。
一瞬、それはじぶんが作り出した幻想かと思った。
少女。いや、五年の月日は彼女を少女から大人の女性へと変貌させていた。
しかし、ジハンにはそれが誰なのか一瞬でわかった。彼女に流れる純粋無垢な性質はまったく衰えてなかったからだ。
少女は非常に美しくなっていた。五年前と同じデザインの修道着を身に付けてはいたが、体の線はその上からでも女性らしいそれに成長していることが見て取れた。
本音を言えば、しばらく見惚れてしまっていた。
呆けた表情を浮かべて一言も発しないジハンを見て、思わずといった表情で彼女は笑う。
その笑顔はなにも変わっていなかった。笑うと細くなるその目も、花のような表情も。
ああ、帰ってきたんだな。
ようやくジハンは思った。
「おかえりなさい」
人と話すこと自体がかなり久しぶりだったので、うまく言葉が出たかどうかはわからない。かすれてしまっていたかもしれない。
しかし、彼女はさらに嬉しそうな笑顔になりそれに答えた。
またも涙がジハンの視界を隠していた。
完結です。最後まで読んでいただいてありがとうございました。




