第75話 移管、誰の手にもないもの
書物庫の空気は、依然として静かだった。
だがその静けさは、戦いが終わった安堵ではない。
“何も終わっていない”と知った後の、重たい沈黙だった。
「……まずは、フェリオスだな」
ユシャーンが口を開く。
視線は、床に横たわる仲間へ向いている。
「このままここに置いておくわけにはいかない」
ルミナスとティアも、無言で頷いた。
「ギルドの診療所に運ぶ」
ルミナスが言う。
「専門の術者がいる。ここよりは、状態を維持できるはずよ」
「当分、目は覚まさないでしょうけど……」
ティアの声は、わずかに沈んでいた。
「それでも、ここにいるよりはいい」
ユシャーンが断言する。
誰も異論はなかった。
「ストーリア」
ユシャーンが振り向く。
「お前は、お前のやるべきことをやれ」
短い言葉。
だが、その意味は重い。
「……分かってる」
ストーリアは静かに頷いた。
その視線が、自然と横へ流れる。
そこにあるのは――
“キラー”。
「……それで」
リフルが口を開く。
「これ、どうすんの?」
全員の意識が、そこへ集まる。
一瞬の沈黙。
「……一旦、俺たちで持っていく」
ユシャーンが言った。
即断だった。
「原因がこれなら、放置はできない」
「ちょっと待って」
ストーリアがすぐに止める。
「触れるのは危険よ」
「分かってる」
ユシャーンは短く返す。
「だが、誰かが管理しないといけない」
その理屈は正しい。
だが――
「……それでも、軽く扱っていいものじゃないわ」
ロゼリアが低く言う。
自分の手に残っている感覚が、そう告げていた。
「……なら」
その空気を切ったのは、リールーだった。
「ここに置いていってください」
全員が振り向く。
「この書物庫は、ただの保管庫ではありません」
静かに言う。
「封印術式も、結界も揃っています」
キラーへ歩み寄る。
だが、一定の距離を保ったまま止まった。
「ここなら、“干渉を最小限に抑えられる”はずです」
「……大丈夫なのか?」
ルシアが聞く。
リールーは、少しだけ考えてから答えた。
「完全とは言い切れません。初めてのことですから」
正直な言葉だった。
「でも、今の中では一番マシ。か」
それで十分だった。
「……分かった」
ユシャーンが頷く。
キラーを、その場に残す。
誰も触れない。
リールーが、小さく息を吸った。
「――封鎖」
瞬間。
空気が変わる。
床に淡い光の線が走り、円を描く。
さらに複雑な紋様が重なり、幾重もの術式が展開していく。
見えない“壁”が、そこに生まれた。
「これで、直接干渉はできない」
「……触れたら?」
リフルが聞く。
「弾くわ」
短い答え。
それ以上、試す者はいなかった。
こうして。
キラーは、一時的に書物庫へ封じられた。
「じゃあ、俺たち三人はフェリオスを診療所へ連れて行く」
ユシャーンがそう言い、ルミナスとティアが頷く。淡い光で形成された簡易担架の上には、意識を失ったフェリオスが静かに横たわっていた。
「……行くぞ」
ユシャーンたちは、重たい空気を残したまま書物庫を後にする。
静寂が落ちる。
高く積まれた書架の隙間を、ランプの明かりだけがぼんやりと照らしていた。
「じゃあオレたちは、ここで夜を明かしてもいいか?」
ルシアがリールーへ視線を向ける。
「はい。この中央保管庫は、国の重要文化財などを区画ごとに管理している施設なんです」
リールーは静かに答えた。
「この書物庫もかなり広いので、夜通しの調査や作業も珍しくありません。客間もありますから、今夜はどうぞお休みください。私がここの責任者ですので」
「ありがとう、リールー」
ルシアが頭を下げる。ロゼリア、リフル、エルド、そしてストーリアも、それぞれ小さく礼を述べた。
「じゃあ今夜は、キラーと一緒に寝ることになるな」
ルシアが苦笑混じりに言う。
「何言ってんのよ」
リフルが呆れたように肩をすくめた。
「ちゃんと封印されてるんだから大丈夫でしょ。何も起きないって。アンタのスレイヤーだって静かなもんじゃない」
「……でも、少し気になるわね」
ロゼリアが自分の掌を見る。
「ルシアのスレイヤーと、キラーが同じ空間にあるんだもの」
その声は小さい。だが、妙に現実味があった。
彼女は何かを感じ取っているらしい。
「そうですな」
エルドが長い髭を撫でながら頷く。
「念のため、スレイヤーに安定化の術式でも施しておきますかな? ルシア殿」
「いや、いい」
ルシアは腰の剣を見る。
ホルダーに収まったスレイヤーは、今は静かだった。
「たぶん大丈夫だ。今は落ち着いてる。コレも、俺も」
「……本当に不思議よね」
ストーリアがぽつりと漏らす。
「まさか同じ時代に、二本とも存在してるなんて」
彼女の脳裏には、先ほどの光景が焼き付いていた。
フェリオスの影から滲み出た暗黒。
空間から“産み落とされた”殺戮の剣。
そして、ルシアの持つ、理を保つための剣。
「目の当たりにして、やっと実感したわ」
ストーリアが静かに続ける。
「本当に、伝説だったのね」
「……でも」
ルシアが顔を伏せる。
「俺は、何もしてない」
その声には、悔しさが混じっていた。
「できてないんだ。結局、何一つ」
ワイバーン戦。
フェリオスの暴走。
キラーの出現。
どれも、自分の手では止められていない。
ロゼリアが何か言おうとして、やめた。
代わりに、リールーがそっと口を開く。
「……今日は、皆さん疲れています」
柔らかな声だった。
「考えるのは、明日でも遅くありません。どうか今夜は休んでください」
誰も反論しなかった。
リールーに案内され、それぞれが客間へと向かっていく。
足音が遠ざかる。
書物庫には、再び静けさだけが残った。
その夜、街はかろうじて平穏を取り戻していた。
崩れた建物も。
消えた石畳も。
人々の悲鳴も。
すべてを覆い隠すように、夜の帳が降りている。
だが。
誰も知らなかった。
静まり返った保管庫。
『DRAGON KILLER』が、微かに脈動していたことを。
ドクン。
そして、それに応えるように。
離れた客間で眠るルシアの傍ら。
『DRAGON SLAYER』もまた、わずかに熱を帯び始めていた。




