第110話 消えない怒り
エレノアが再び踏み込んだ。
リズベルが迎え撃つ。
ガキンッ!
ガィン!
剣と剣がぶつかる。
斬り上げ、受け流し、踏み込み、反撃。
互いに一歩も譲らない。
――はずだった。
「……?」
エレノアの眉が、僅かに動いた。
今。
ほんの僅かだが。
リズベルの剣が遅れた。
それだけだった。
普通なら、気にも留めないほどの遅れ。
だが。
エレノアは剣士だった。
相手の剣を、真正面から受けている。
だからこそ分かる。
先ほどまでなら。
今の一撃は、もっと早く返ってきていた。
エレノアは追撃しない。
一度、距離を取った。
リズベルを見る。
呼吸は乱れていない。
構えも崩れていない。
それでも。
何かが違う。
(……消耗している?)
先ほど。
この人はジークレッドと戦った。
しかも、あれほどの力を持つ男と。
その直後に。
こうして自分と戦っている。
(さすがに、あれが響いているのかしら)
そう考えるのが自然だった。
エレノアは、もう一度剣を構えた。
「……続ける?」
リズベルは答えない。
少しだけ視線を伏せる。
そして。
「当然だ」
短く答えた。
その声に、迷いはなかった。
だが。
身体は。
まだ、あの戦いを忘れていない。
リズベルの手が、僅かに強く柄を握る。
(……鬱陶しい)
胸の奥が熱い。
違う。
熱いのは、身体ではない。
もっと。
内側。
先ほど、無理やり引きずり出されかけたもの。
怒り。
憎悪。
押し込めていた感情。
仮面と共に。
すべて砕け散ったわけではない。
黒い仮面は消えた。
だが。
その内側にあったものまで、消えたわけではない。
リズベルは息を吐く。
目の前を見る。
エレノアがいる。
剣を構えている。
なら。
今は、それだけを見ればいい。
「来い」
エレノアの瞳が僅かに揺れた。
そして。
「……行くわ」
踏み込む。
ガキィィン!!
剣が激突した。
エレノアの一撃を受け止め、リズベルが返す。
エレノアが躱す。
さらにエレノアの剣が迫る。
速い。
リズベルが受ける。
ガキンッ!!
その衝撃で、リズベルの身体が半歩後ろへ下がった。
観客席の空気が変わる。
先ほどまで。
両者は完全に拮抗していた。
だが。
今。
エレノアが僅かに前へ出ている。
それは、誰の目にも分かるほどの差ではない。
だが。
剣を知る者には分かる。
一度、半歩を奪われた。
それは。
次の半歩を奪われることに繋がる。
エレノアは、その距離を逃さなかった。
一撃。
リズベルが受ける。
二撃。
受け流す。
三撃。
身体を捻る。
四撃。
「……っ」
リズベルの剣が、僅かに遅れた。
ガキィン!!
辛うじて受け止める。
だが、その衝撃を完全には逃がせない。
足元の砂が大きく削れた。
エレノアは目を細める。
(やっぱり……)
おかしい。
先ほどまでのリズベルなら。
ここまで押し込めることはできなかった。
剣の技量が落ちたわけではない。
むしろ。
動きそのものは、今でも鋭い。
だからこそ。
余計に分からない。
(ジークレッドとの戦い……)
あれが原因なのだろうか。
それしか思い当たらない。
エレノアは考えるのをやめた。
今。
自分がすべきことは一つだけだ。
勝つ。
キラーを手にした時。
自分は。
自分自身の剣だけを信じ切ることができなかった。
あの剣が何を求めているのか。
自分が何をすべきなのか。
考えてしまった。
だが。
今は違う。
今、手にしているのは普通の剣。
だから。
迷う理由がない。
エレノアは、さらに踏み込んだ。
リズベルの剣が迎える。
ガキィィン!!
――その瞬間。
リズベルの視界が、ほんの僅かに揺れた。
「……っ」
刹那。
頭の奥を、何かが掠めた。
怒り。
違う。
自分の怒りではない。
いや。
自分の中にある怒りを。
どこかから。
静かに撫でられている。
リズベルの呼吸が止まる。
その一瞬。
エレノアの剣が、目の前まで迫った。
ガキンッ!!
間一髪。
リズベルは受け止めた。
だが。
身体が大きく後ろへ流れる。
砂を蹴りながら、数歩。
後退した。
エレノアは追わない。
剣を構えたまま。
リズベルを見つめる。
「……大丈夫?」
リズベルは答えなかった。
その視線が。
ほんの一瞬だけ。
闘技場の中央へ向く。
そこには。
地面に突き刺さったままの。
ドラゴンキラー。
黒い刀身は。
何も変わらず。
静かに。
そこにあった。




