フェーズ2:昼の四つ過ぎ
再び、同時刻の二条邸に話をもどそう。
10:30AM。
「中川宮様は折悪しく所労(体調不良)につき、お越しになれぬとの仰せにございます」
関白・二条斉敬は、戻ってきた使者を睨めけた。
「…うまく逃げたつもりじゃろうが、そうはさせぬぞ。では、文を遣わそう」
二条は鼻を鳴らし、それからハタと気づいたように膝を打った。
「おおそうじゃ、一橋殿の意見も聞いておかなあかんのう」
正親町三条実愛が、眉をひそめた。
「どないせえ、体のええ言葉ではぐらかされてお終いになりましょう」
「ふむ」
正親町三条の懸念ももっともだ。
二条は考え込んだ。
とはいえ、京における軍事・政治の責任者である慶喜と、関白という朝廷の最高権威である二条関白、双方の合意がなければ話は前に進まぬではないか。
次の手を打とうと二条が口を開きかけた、その時である。
襖の向こうから、取り次ぎの緊張した声が響いた。
「一橋様がお見えどす」
「見てみよし。向こうもそのつもりや」
廊下を渡る衣擦れの音が近づいてくる。
しかし、ここから本題に入るまでには、極めて長々しい美辞麗句を並べた社交辞令の応酬を経る必要があり、それは国家危急の時であっても上流階級においては避けては通れぬ儀式らしいので、その間、他の場所で起きている出来事を追ってみたい。
京都守護職の拠点、金戒光明寺。11:25PM。
会津藩公用人・野村左兵衛と部下の広沢富次郎の二人は、いまだゴシップネタに興じている。
「…まったぐ、羨ましい限りだべ」
野村が茶をすすりながらため息をつくと、広沢が下世話な笑みを浮かべる。
「あの女好きぁ、血筋だなし」
「側室が十人に、子は三十七人もこしらえたっつう、まこと筋金入りのスケベ親父の血を引いておるんだなし」
「『英雄色を好む』とも言わぁ。国許の水戸じゃ天狗党の騒動で火の車だっちゅうに、そいば知っててあのようにノホホンとしておれんのは、やはり器がでけぇっちゅうか…」
その時、廊下を急ぎ足でやってくる足音がして、一通の書状が届けられた。
新選組の副長、土方歳三からの緊急の報せである。
野村はひったくるように文を開き、一瞥するなり跳ね起きた。
「おお!先ほど一橋公が二条関白邸へ向かわれたそうだ。こうしちゃおらんに!」
野村が袴の裾を乱して駆け出そうとすると、慌てて取り次ぎの藩士が呼び止めた。
「ああ、待ってくんちぇ! 野村様、こればお渡しするようにと…土方殿からの言伝にござります」
差し出されたのは、「石田散薬」と記された薬包であった。
「なんだこれ」
「いえ……。このところ、心労で野村様の胃の具合が良ぐねぇっちゅう話ば耳にされたようで。土方殿のご実家で古ぐから伝わっておる秘薬だそうです」
「んだば、ありがたく頂戴すっぺ」
野村は一気に薬を飲み干し、苦味に顔をしかめながらも飛ぶようような足取りで出かけていった。
では、キリのいいところでまた視点を切り替えたい。
壬生村、新選組屯所。12:00PM。
正午を告げる鐘の音が響くなか、
原田左之助は、腕を組んだまま、面倒そうに顎をしゃくった。
「例のアレ、まだ居んのか?」
「知りませんよ。さっきくぐり戸の隙間から覗いたらバッチリ目が合っちゃったから、もうね、もう俺は無理。もういけない」
屯所の前に立つ女の話は、一向に進展がない。
「なんで裸なんだ?どういうこと?なんで?」
「だから原田さんが聞いてきてよ!」
「俺だってやだよ!じゃお前、行って見てこいよ」
「いやですよ!なんで俺なんですか!」
他の隊士も巻き込んで、譲り合いは果てることなく平行線を辿っている。
本当に下らないので、さらに視点を切り替える。
江戸、赤坂本氷川坂下。勝海舟邸宅。12:30PM
縁側に向かい合い、勝海舟と柴山良助は、盃を置いたまま政治談義を続けている。
「一橋(慶喜)は沈黙を守ることでなんとか威厳を保っちゃいるが、実際んとこ、幕府は相当ガタが来てやがるぜ。…なんせ、水戸があのザマじゃな」
話題が不穏な方向に向かっていることを悟った柴山は、杯の縁を指先でなぞる。
「天狗党でごわすか」
勝は、しばし庭を眺めてから、喉を鳴らすように焼酎を飲み干した。
「加賀で降伏した連中が、今日、敦賀で幕府軍に引き渡されるとよ。田沼(意尊)の性分を考えりゃ、またぞろ血の雨が降りそうだぜ」




