第二十話 ダンジョンに巣食うもの(上) その一
ここまで不快なダンジョンはそうそうあるまい。
名もなき冒険者は言った。
そこは暗く、じめじめとしており地上と比べて明らかに空気の質が悪かった。そして鼻が曲がりそうなほどの悪臭。
「うわあああ!暗い!臭い!帰りたぁい!」
左目を今日は赤色の眼帯で覆い、大きな縫合痕がある顔を歪ませて、アンデッドのキャシーは早々に泣き言を吐いた。駄々っ子のように愚図りながら、それでも歩みは止めない。
列の後ろからランタンの角で小突かれるからだ。
「少し黙ってくださいませんか。私だってすぐにでも帰りたいのですから」
足元を流れる水の音に紛れて、何か小さいモノたちが走っていく気配がする。
「それに、ひどく臭いますし」
キャシーと同じく不快感を隠そうともせずエーミルは天を仰ぎ見た。否、正確には石造りの天井を仰ぎ見た。
いつものバケツヘルメットスタイルではなく、珍しいことにいかにも神殿騎士といった融通が利かなさそうな素顔を晒している。おまけにサーコートも身に着けておらず、防具は胸部を覆うチェインメイルのみである。メイスを腰にぶら下げ、開いた手でランタンと鍬を持っている。
彼女たちだけではない。もう一人、先頭には鍬とランタンを持ったペストマスクの男がいた。
「あのなあ……もとはと言えばお前らが悪いんだから文句を言うな。てかなんで俺も一緒にこんな下水道なんかに行かなきゃならんのだ?お前らだけで行けよ。そういう刑罰なんだからさあ」
田中はため息をついた。
ここは自由都市エンディミオンの地下に張り巡らされた下水道である。一部の者からはその広大さからエンディミオンの地下ダンジョンなどと呼ばれているが、そんな高尚なものではない。あくまで下水道なのだ。管理用の通路は併設されてはいるがそのすぐ傍にはエンディミオン中から集まった汚水が流れ、臭いは形容しがたいほど。十分でもいたら呼吸器系の病気になってしまいそうだ。
そもそもなぜそんな劣悪な環境に田中たちはいるのか。
事の発端は三日前にさかのぼる。白昼堂々都市内で神殿騎士、冒険者、屑拾いのマジックアイテムを巡った大乱闘があった日だ。
無論そんな大乱闘を治安維持局が見逃すはずがなく、全都市警を投入して鎮圧。その騒動に参加した者たちを一人残らず捕まえたのである。結果、あまりにも数が多いので大方は罰金刑、この二人だけは首謀者として社会奉仕活動を命じられたのである。
「襲われた側の私が襲った側と同じ罰というのが解せないんですけど!司法局はいったい何を考えてるんですか!」
司法官による厳正なる審理の結果、社会奉仕活動として「下水道へのゴミ詰まり防止用の柵の設置」が言い渡された。そしてキャシーに金属製の柵が渡された時、田中はいつ彼女が暴れだすのかと体を震わせたものであった。こうして下水道に降りたことから、文句は言うが司法に逆らう気はなくて少し安心。
「何をわかり切ったことを。こんなヤバいところに麗かな乙女を二人だけで行かせるなんてありえないでしょ?」
「アンデッドと神殿騎士は乙女にカウントなんてされねえよ」
キャシーはにっこりと笑い、田中の背中を無言でぶん殴った。余りの鈍痛に声も出せない田中を尻目にキャシーは彼よりもさらに大きなため息をついた。
「はーやっぱ神の使徒とは相いれませんね!」
エーミルのこめかみがぴくっと動く。
「同感です。異教徒はやはり改宗させる必要がありますね」
キャシーの口元が引きつった。
「仲良くしろとまでは言わないけど、喧嘩だけはやめてくれよ……」
手負いの狼じゃあるまいし手当たり次第に噛みつかないでもらいたい。田中の気苦労は絶えることを知らなかった。
後ろ二人がうだうだと文句を言い続ける中、田中はさらに下水道の奥へと進んでいく。長いこといるせいか、この上に何があるかエンディミオンのどのところに位置しているのか全くわからない。田中はなぜ俺がこんなことをせねばならないと首をかしげながら、鍬で管理通路に落ちているゴミを下水に落としながら黙々と歩く。
廃墟街に行くわけではないので小銃は持たず、一応護身用の剣とメインウェポンとして鍬を持っている。これがまた非常に便利なのだ。ゴミを落とせるし、万が一下水に入る事態になっても、これで掻き出すことで足を取られる心配がない。ネズミ相手ならリーチもあるしスライム相手にも十分な威力である。エーミルも誰かから有用性を聞いたのか、同じように先が分かれた鍬を持ってきている。
キャシーだけは片手で柵を担ぎ、背中にバルディッシュを括り付けていた。ポールウェポンにしては柄が短いが、その分極端に刃が大きい別名半月斧と呼ばれる武器である。下水道内で振り回すにはぎりぎり天井を掠めない程度の大きさである。
「アンデッドだから病気になりませんけど、髪に臭いが付きそう。うげー」
「うげーとか言わないでくれませんこと。こちらも気が滅入ってしまいます」
エーミルの言葉にはトゲがあるが、この環境に参っているせいかいくらか弱弱しいものだ。
「それにしても私はアンデッドだからへーきですけど、お二方はこんな澱んだ空気を吸って大丈夫なんです?」
「私は元神殿騎士ですわ。神聖魔術で対策は完璧です。臭い以外は」
そう言ってランタンで足元を照らす。見るに堪えない色をした臭いの元凶に思わず顔をしかめる。
「ご主人は臭い大丈夫なんですか?」
「まあな。ペストマスクの先端に臭い消しと毒消しの薬草が詰まってるからほとんど臭わないぞ」
クチバシ部分を指でトントンと叩き得意げに胸を張る。
「ずるいです」「ずるいですわ」
女性陣二人がすぐさま三白眼で睨みつけたのは言うまでもない。ぶっちゃけ怖い。ペストマスクの正しい使い方をしているというだけなのに。
急に足を止めるとキャシーが怪訝な顔をした。
「ちょっと急に止まらないでくれませんか?危ないじゃないですの」
エーミルが抗議するがキャシーは無視して耳を澄ませる。
文句を言おうとエーミルは口を開けかけたが、何か良からぬ雰囲気に気が付き声を殺す。
「どうかしましたか?」
「何か聞こえます。異音です」
「異音ってなによ……ジャイアントラット?」
「いえ、生き物ではありません。これは……空気が流れている?水……いや、風の音?」
田中とエーミルは互いに顔を見合した。あいにく二人とも下水が流れる音以外何も聞き取れない。
「――見に行こう」
碌でもないことが待っているのは明白だが、自分たちが住む町の下なのだから放置するわけにはいかない。それにもしかしたらほったらかしたことがバレて社会奉仕の刑が増えるかもしれない。それは嫌だ!
エーミルは頷き、キャシーの後に続く。
しばらく進むとキャシーでなくとも風の音が聞こえてきた。歩けば歩くほどその音はどんどんはっきりとしていき、頬にかび臭く生暖かい風の流れを感じられるくらいだ。
まさか……とは思いつつランタンをかざし、三人は絶句した。
自由都市エンディミオンが旧帝国の帝都だったころから支えていた下水道、その壁が崩れて人ひとり通れるくらいの横穴がぽっかりと開いていた。
つづく




