第十四話 三人寄れば姦しい その二
キャシーは目の端に涙をにじませ左手から串を引き抜くと空き皿へと放り込んだ。さすがアンデッドというべきか、すでに刺し傷がどこだったのかわからない。
「ニトさん、いきなり何するんですか!」
「ごめんごめん。つい理不尽なこと言われたから」
「だからといって都市警が傷害はいけませんよ。借金も残っているんですから」
「借金のことは言うな。まあそれはともかく、えーっとなんだっけ?さっき何を話してたっけ?」
「ご主人の堕落がすさまじいと言う話です」
「そうそう。で、あまりにも家事をしないから当てつけで家出したと」
「はい、その通りです」
「あーはいはい。私の勝手な意見よ。参考にするかしないかはあんたが決めてよね。で、聞く限りだとあんた過剰に世話しすぎなのよ。献身的なのは結構、でもそこにドが付くとだめよ。男なんてこっちが世話すればするほどそれが当たり前になって、どんどん堕落していく生き物なんだから」
「ほう、ニトさんもそういう経験を?」
ニトは無言でジョッキを呷った。
キャシーは眼帯に隠れていないほうの目をにゅうと細める。さらに何か言おうと口を開けかけたところ、つい先ほどまで我関せずといった風であったエーミルが割って入った。
「異教徒にはその旨を――家事を全くしないのは困るということを話しましたか?」
「え……そういえば言ってない……です」
キャシーがそう言うや否や、エーミルは盛大なため息をついた。彼女の体の中にあるすべての空気を残らず吐き出したかのように。
エーミルの形の良い金色の眉がきりりと吊り上がる。
「それはいけません。たとえ百パーセント異教徒が悪くても、そういうときはまず自分の口でちゃんと言うべきです。おそらくあの異教徒は今頃キャシーさんが何も告げずに出て行ってしまったから反省をするどころか、理由もわからずおろおろとしているだけだと思いますよ」
途端に強い口調となったエーミルの言葉にキャシーは黙りこくってしまう。言われてみればそうだ。確かにただ自分だけが怒っているだけで、全部を察してと言わんばかりの出て行き方であった。ご主人は魔術師ではあるがエスパーなどではない。しかも若干鈍いところがあるのだから、言葉にしなければ自分がいったいどういうことに怒っているのか、どういうことをやってほしいかなんて伝わるはずなどなかったのだ。
みるみるうちにキャシーの顔が暗く陰っていく。
「エーミルさんの言う通りですね……私、ご主人と話し合ったことなんてありませんでした。ご主人にどうしてほしいかなんて言ったことありませんでした」
キャシーはそれだけを言うとまたもや押し黙った。それを見てようやくエーミルの表情が和らいだ。そして微笑をたたえて穏やかに言った。
「大丈夫。キャシーさんが面と向かって思いを伝えれば、きっと異教徒も分かってくれるはずですわ。もしそれでもわかっていただけないのでしたらそんな分からず屋、私がこのメイスで改宗いたします」
「それ神の元へおくるってことじゃ……」と言いかけたニトのことはお構いなしに、
「――エーミルさあん!」
「よしよし。主よ、この迷える子羊を救いたまえ」
顔をくしゃくしゃにして抱き付いてくるキャシーの頭をエーミルは優しくなでてあげる。普段の融通の利かなさそうな雰囲気とは正反対の、実に慈愛に満ちた聖職者らしい姿である。一方で勝手に盛り上がっていてくれとあきれ顔のニトは追加で頼んでいた腸詰の三種盛りにフォークを向ける。挽いた肉と一緒に何種か香草が練り込まれている。ニトのお気に入りである。
「神殿騎士って冷酷無情な異教徒絶対ぶっ殺すマンだと思ってたわ」
エーミルに向けて言ったつもりはない。ただ普段から抱いていたイメージと異なる神殿騎士の姿に思わず口から転がり出てしまった。
エーミルはとくに気分を害したとかそういう様子はなく苦笑してみせた。
「たいそう物騒なイメージをお持ちなことで。私たち神殿騎士だって異教徒に問答無用で斬りかかったりしません。まずは改宗してくださらないか話し合いをします」
「改宗しなかったら?」
「征服して略奪してから改宗させます」
やっぱり異教徒絶対ぶっ殺すマンじゃない、と思わずにはいられないニトである。
キャシーが顔を上げ、上目遣いで訊く。
「邪教徒は?」
エーミルが腸詰にフォークを深々と突き刺し、言う。
「話し合う必要がありまして?」
うわあ。
「主は言いました。神を動かすにはお祈りを。人を動かすにはメイスを」
「いや、それ言ってない。多分言ってない。というかメイスってことは話し合ってないし、むしろ思いっきりぶん殴ってるよねそれ……」
「気のせいですわ」
キャシーはそそくさとエーミルから離れて自分の席へと戻った。若干その表情が引きつったものになっている。エーミルはニトとキャシーと順に視線を送った後、意味ありげに薄く笑い腸詰を口にした。パキッと良い音がした。
空にしたジョッキと皿は数知れず。このテーブルに座っている者で、しらふな者などいない。三人が三人ともいい感じに酔いが回っている。そう、いい感じにである。
キャシーとニトはそろってテーブルに突っ伏しており、神殿騎士にいたっては足元で寝転がり、後生大事そうにジョッキを抱いて静かに寝息を立てている。
死屍累々たる有様である。
半分ほど中身が残ったジョッキだけが、数分前までの喧騒の名残を残している。
そんな彼女らをルアは呆れ顔で見下ろしていた。すでに表の看板はCLOSEにひっくり返され、店内には客の姿はない。給仕の子たちの姿もなく、花と彩亭はさきほどまでのどんちゃん騒ぎがまるで嘘のように静まり返っていた。
「あんたらいつまで居る気よ。もう店じまいの時間はとっくに過ぎてるんだけど」
誰もその声には応えない。ルアの眉間にしわが寄る。どうやって叩き出してくれようかと頭を巡らせていると、
「飛び出してきた手前帰りづらいんです……」
と弱弱しい声が聞こえてきた。他の二人と同様に眠りこけているのかと思っていたら、うつぶせになったままキャシーが答えた。とはいえさっきまで本当に寝ていたのは本当のようで、酔いが醒めかけているのか体が小刻みに震えている。
ルアは額に手を当て、大きなため息をついた。くるりときびすを返すと店の奥へと引っ込んでいった。ほどなくして戻ってきた彼女の手には丸められた毛布。それをキャシーの背中にかけると、手ごろな椅子を寄せて彼女も座った。そしてテーブルの上にある唯一中身の残っているジョッキを掴むと一気に飲み干した。二秒とかからない間に空となったジョッキを勢いよくテーブルに叩きつける。普段は厨房にこもりっぱなしの料理人が何事かと思い顔を出した。
ルアは一瞥してから、
「まあ……今日くらいは帰らなくてもいいんじゃない?」と。
料理人がギョッとして、それはやめてくれと言いたげにルアを見た。閉店準備も終わっていないし、実際誰が飲んだくれ二人の世話をするのだと。が、花と彩亭の女店主にしてビール妻にはそんなことお構いなしである。料理人は視線が合うなり――ルアの目が物語っている、止めるのは無駄だと悟ったらしくすごすごと厨房へと戻っていった。
「ですがやっぱり従者として朝帰りは如何なものかと」
一向にキャシーは顔を伏せたままである。ルアはそんなキャシーの後ろ頭を優しくなでる。
「明日に帰るって言ったんでしょ。それにどうせあいつもどっか飲み歩いてるに違いわ。平気よ」
「ですが……」
「従者として云々とか気にせず、キャシーちゃんは自由奔放なほうがいいと思うわ」
ルアはまだ料理が残っていないかテーブルの上を見渡す。あいにく空っぽの皿ばかりである。
「自由……ですか」
ようやくキャシーは顔を上げた。
「アンデッドに教えていい言葉かは微妙なところだけどね。彼、あくまで術者だし」
「たしかに。なにやら制約を感じる言葉ですね、自由というのは。胸の奥がちりちりしてきます」
「でもそのほうが彼も喜ぶよ」
「本当ですか?愛想つかされたりしません?」
「何言ってんのよ。彼がそんな奴じゃないのはあなたが一番わかってるでしょ?大丈夫よ、むしろ少しじゃじゃ馬くらいのほうがいいのよ彼。自分が振り回されるのわりかし好きみたいだし」
「なーんかその言い方引っかかりますねー」
キャシーと同じようにテーブルに突っ伏していたはずのニトがむくりと起き上がった。まだ酔いが醒め切っていないらしく、顔は赤らみ目の焦点はあっていない。こういう手合いが一番厄介なのをルアは経験上知っている。しょうもないことであっても思いついたことをそのまま話し、ぞんざいにあしらうこともできず、とてもめんどくさい絡み方をしてくる。
「そういえばルアさんって結構タナカのことわかってる感というか、知り尽くしている感がありますよね?」
ほら来た。
しかも、これまた先ほどまでぐっすりと夢の中だったはずのエーミルが上体を起こした。しばらくどうして地べたに寝転がっているのか把握しかねているようだったが、些細な問題だと切り捨ててニトの話に乗っかって来た。
「――たしかに」
ため息が出る。
「やだ、あんたら寝てたんじゃないの?」
タナカの話題に入るのは今後やめたほうが得策だ。そう思わずにはいられない。
「そういえばご主人の昔の頃を知ってるんですよね?」
「一応ね」
「昔話を聞かせてくれませんか?ご主人、あまりご自分のことを話してくれないんです」
そのキャシーの言葉にニトの目が光る。エーミルも一見興味なさそうにふるまうが隠しきれていない好奇心の尻尾が、鎧の隙間から見え隠れしている。
どうやら話さないという選択肢はなさそうである。
タナカとはそれなりの付き合いである。時間だけでいうならば、それこそ彼がエンディミオンに流れてくる前から面識はあった。その頃の話をすると彼は今でも嫌そうな顔をする。実際はペストマスクをしているから表情など読めないのだが、嫌がっているだろうなという雰囲気は手に取りようにわかる。それくらいの付き合いである。
幸いにも、今この場に当事者はいない。
さて、目の前のじゃじゃ馬どもが満足するにはどういった話が一番いいだろうか。
「そうね……こんなのはどうかしら。彼が屑拾いとして働きだす少し前のことだけど――」
ルアは悪戯っぽい笑みを浮かべて話し始めた。
おわり




