第十二話 史上最大の作戦 その三
お洒落なドリンクなんぞではなく冷たい馬鈴薯のスープを片手に、キャシーが何やら熱弁している。少年は真剣な顔で話に聞き入っている。その反対側にある店の看板裏にニトは隠れて様子をうかがっていた。彼女が田中に言ったように、はっきり言って不審者そのものである。
「進展は?」
田中が両手に皿をもってニトの隣にかがみこんだ。
「特になし。お子様デートで終わりそうね、あの様子じゃ」
「何を期待しているんだよ。童に手を出すのは法に触れるぞ」
「それもそうね……それなに?」
ニトの視線は田中が両手に持っているさらに注がれている。
「ほら、芋をバターと蜂蜜で煮込んだものって店の人は言ってたな。名前は忘れた」
そう言って田中は皿をニトに差し出した。芋にどろりとした透明なタレがかかっている。出来立てらしく漂う湯気に混じった甘い香りが鼻をくすぐる。
「フーン。ありがと。芋をデザートにするなんて珍しいわね」
「店主もキャシーみたいに芋好きなのかもな」
ニトは芋をフォークで一口サイズに切ると欠片を口に放り込んだ。
途端に口の中に広がる甘味は想像していた以上であった。
「あ、おいしい!あんたなかなかセンスいいじゃん!」
ニトは田中のわき腹を肘でぐいぐいと押す。田中は鬱陶しそうに、しかし何も言わず芋を口に放り込んだ。
甘かった。
しばらくの間キャシーの様子を見ながら芋を咀嚼し続けた。初めのうちは二人してすぐ顔を真っ赤にさせる少年を応援していたのだがやはり会話が聞こえないのはおもしろくない。田中とニトは顔を見合わせると、どちらからともなくうなずいた。もう少し近づこう、二人の目はそう相手に言っているようだった。
二人は今まで隠れていた看板を後にすると、大きく迂回して店の裏手側まで近寄った。場所はテラスのすぐ脇、樽や木箱の置きスペースになっている隣接する店同士の間に身を隠した。二人の声は聞こえるし、姿は頭を伸ばせば見える。そんな絶妙な位置にニトと田中は肩を並べて座り込んでいる。スペースがないからどうしても密着せざるを得ないのが難点である。
そこでニトと田中は聞いていた。キャシーが笑うところまでを聞いていた。
不意にニトが声をかけた。
「ねえ、タナカ」
「なんだよ」
「あたし思うんだけどさ、やっぱたとえ相手がお子様であっても断るべきだったんじゃないの?」
「断るって俺が?どうして?誘われたのはキャシーだぞ」
ニトはやれやれと肩をすくめた。
「あー、ったく、これだから……まああたしも面白がって見てた側だし、人のこと言えないけどさ。あんたを納得させる自信はないから突っ込んだことは言わないけど、キャシーちゃんのときは断ったほうがたぶん彼女のためだと思うわ。覚えときなさい」
「よくわからんが……まあ善処する」
「案外素直なのね」
思わずそんな言葉がニトの口から転がり出た。それが冗談で言っているように見えないのが田中にはなんとも憎たらしく思える。
「案外って……俺は素直でよい人って近所で評判なんだぞ」
「素直でよい人ってのはあの少年のこと言うのよ」
「まあそりゃ言えてるな。さすが参事会のえらいさんの息子さんだけあるよ」
ニトは思わず瞬きすることすら忘れてしまった。
「は⁉あんた今なんて――」
「その話はあとだあと。俺らは俺たちらしいことをしないとな」
田中は立ち上がると緩慢な動作で振り返った。
「はぁ……そういうことね。でも勝手にあたしを同じくくりに入れないでほしいんですけど。今日は安息日だっていうのにどうしてこう仕事をしなくちゃならないのかしら」
ため息をつきながらニトもそれに倣う。田中とニトの視線は二人とも同じ方向に向けられている。とてもじゃないがイベントで馬鈴薯を堪能しに来たとは思えない、いかにもガラの悪そうな男が四人、好戦的な目つきで立っていた。
盗賊か溝さらいか……まあ碌でもないごろつきの類だということは明らかである。
「さっきからずーっと二人の後をつけていたよな。人の恋路をじゃまするなんて無粋にもほどがあるぞ」
四人組のうち一番ガタイのいい男が薄く笑う。
「アンタらには関係ないだろ。怪我したくなかったらどこかへ消えな」
田中は鼻で笑った。
「消えろだってよ。人攫いがなにを偉そうに。そう思いませんかニトさん」
「ええそうですねタナカさん」
二人の小ばかにするような口ぶりに、額に青筋を浮かべて四人それぞれが懐からナイフを取り出した。人目につかないところとはいえ、いきなり刃物を持ち出してくるとは思いもよらなかった。ごろつきにしては肝が据わっているのか、それとも何も考えていないバカなのか。おそらくバカの方だろうと田中は思う。
狙いは十中八九少年だろう。もちろん見て見ぬふりなどできるはずがない。いつの間にか田中の手には角材が握られていた。ニトの手にもどこに落ちていたのか年季の入った麺棒があった。持ち手によるものか、不思議なことにゴロツキどもの持つナイフなんかよりもずっと凶悪に見えてしまう。
ごろつきたちの当初の予定だと、凶器をチラつかせるだけで邪魔ものはどこかに行ってくれるはずだったのだが……。
――こいつらヤバい。
刃物を出してもびびるどころか逆に好戦的になっている二人にゴロツキ達は狼狽を隠せない。というか目つきというか身に纏っている空気とかがただものじゃない。
――邪魔者はためらいなくぶっ殺す。
そんな雰囲気を漂わせている。立場が完全に逆転していた。
「いや、ちょっと、待っ」
田中は待たない。ニトもずんずんと距離を詰めていく。
「話せばわか――」
「うるせえええ!正当防衛の怖さを教えてやらあああああああ!」
ごろつきの声を遮り、角材を振り上げて田中とニトが襲い掛かる。
悲鳴が四つ。小さくこだました。
キャシーは大きく伸びをした。
目前の皿は全て空っぽである。満足しきった幸せそうな表情である。馬鈴薯のケーキをあたふたと食べる少年を見ながら笑みを零した。
「少年はさあ、優しいよね」
「え、どうしてです?」
「だって私はアンデッドなのよ。普通の人とは違うのよ」
「でもみんなと一緒に遊んでるじゃないですか。誰もキャシーさんのことを変に思ったりなんかしてませんよ」
「そっかー……」
キャシーは黙り込んだ。
「どうしてそんなことを?」
「まーね。私だっていろいろと思うところがあるのよ。特に少年にお姫様あつかいなんてされたらますます――」
「キャシーさんは――」
少年は不意に言葉を切った。キャシーは続きを待ったがいつまでたっても少年は口を開かない。
「どうしたの?」と聞かざるを得なかった。
「キャシーさんはやっぱりマスクのおじさんのことが」
「うん、とても大事な人よ」
少年が見た中で一番眩しい表情であった。目もくらむとはこのことに他ならなかった。
同時に自分にはこんな表情ができないと思い知らされた。
「まああたしを作ってくれたからこう思うのかもしれないけど、それでもこの思いはあたし自身の物よ。少年が私のことを思うように私もご主人を思っている。一方通行かもしれないけれどね」
「それでも僕は……」
少年がその続きを言うにはまだまだ早かった。
「いい子じゃない」
ニトは目を回しているごろつきの上に座り、退屈そうにあくびをしていた。所詮は素人、勝負にもならなかった。
「そりゃ俺が作ったアンデッドだからな」
田中はごろつきの首をきりきりと締め上げている。顔を真っ青にしてゴロツキは腕をタップしているがそんなもの無視である。ほどなくして他のゴロツキ達と同じように意識が飛んでぐったりとした。
「ふぅん。でもあの子、あんたといるより少年といるほうが幸せになるかもよ」
「それは……困る」
田中はそれだけ言うとごろつきを足元に転がした。そして自力で動けないように両手を後ろ手で縛っていく。淡々と全員を。
「あんたさあ、プレゼントでもあげたら?」
田中の手が止まる。そして数舜の黙考ののちに、
「……考えておくよ」
とだけ答えた。
「キャシーさん。今日は僕のわがままに付き合ってくれてありがとうございました!」
少年は童らしかぬ深いお辞儀をした。再び上げたその顔は一見晴れやかな表情に見えるものの、どこか寂しそうな色が混じっていた。チクリとキャシーの胸が痛む。
「どういたしまして。私も楽しかったよ」
胸の内を隠すように笑顔を少年に向けた。悪いお姉さんだな、と内心思いながら。
少年は大きく深呼吸すると決意に満ちた目つきでキャシーを真正面から見据えた。
「僕はキャシーさんにふさわしい男になりたいから――これから頑張っていきます!」
「お、言うようになったね。目つきも男らしくなっちゃってさあ。楽しみにしておくね」
「はい!」
きびすを返すとキャシーから離れていく。途中で振り返ると大きな素振りで手を振った。キャシーも手のひらで小さく降り返す。少年はとびっきりの笑顔を見せると走り去っていった。キャシーはその場から動かず、少年の決して大きくはないが小さくもない背が見えなくなるまで手を振っていた。
「初恋は敗れるのが世の常だなあ」
二人を見ながらしみじみと田中が言う。あんたが原因だぞとニトは思ったがあえて言うまい。どうせその自覚もないのだろうから。
「あの少年がぐれないことをあたしは祈るわ」
とだけ言っておく。
聡明そうだし大丈夫だろ、と田中は言うがそこはあの少年次第だろう。願わくばアンデッドではなく普通の女の子に興味を向けてもらいたいものだ。
「それはそうと、今から時間あるか?」
唐突に田中が訊いてきた。ペストマスクというだけで言うことすべてが胡散臭く思えてしまう。まだ何か企んでいることでもあるのだろうかとニトは勘繰ってしまう。
「なによ?まあ……まだ日も沈んでないしあるっちゃああるけど……」
そうか、と独り言のように田中はつぶやくと、
「なあ、今からうちに来ないか?」
「……え?」
ニトの周囲から音が消えた。
今何と言った?いや、何を言ったかはちゃんと聞き取れているからわかるのだがいやしかし目の前の男が言った言葉の意味はわかるのだが意味というかその裏表というかなんというかその……よくわからない。
というかこのタイミングでなぜにそんなことを聞いてくる⁉
ニトは田中から視線を外し、外したのはいいがどこに向ければよいのかわからず、当てもなく漂わせている。
――どうしよう。
「うちって……あんたの家のこと?」
田中はうなずく。
「というのも……出かける前にさ、キャシーに掃除とか家事をやっておくって約束したんだよ。けどこのまま帰ったら確実に最後の審判が訪れてしまう。助けてほしいんだ。というか家事を手伝ってくれ」
ニトのこめかみにビキィと青筋が浮かんだ。
「知るか馬鹿ッ!」
おわり




