第十二話 史上最大の作戦 その二
今日は安息日。都市警の女性巡察官であり田中への借金返済に頭を痛めるニト・ペルオキシは人で賑わう市場を散策していた。久しぶりの休日ということもあって機嫌よく鼻歌を歌いながら人ごみの中を歩いている。
特に今日は馬鈴薯が西の大陸からやってきて十周年だかなんとかで一種のお祭りみたいなことになっていた。広場には露店が並び、一風変わったものからド定番なものまでさまざまな馬鈴薯料理を売り込んでいる。たぶんそのうちの何店かは無許可営業に違いない。そういう目線で見てしまうのは職業柄というやつだろうか。
人の賑わいはエンディミオンのメインストリートにすら勝り、何も買わなくても商品を見ているだけで楽しい気分になれる。行き交う人々も皆表情が明るい。中のよさそうなカップルにどこかで見たことがある眼帯の女の子と童や親子連れ、物陰に隠れている怪しいペストマスクとバラエティ豊かである。
…………。
「ちょっと待てえええええ!」
声を上げながらニトはダッシュでペストマスクに近寄るとその胸倉をつかんだ。びくっと肩を震わせた通行人がニトの凶行から目を反らし、そそくさとその場を離れていく。しかし、そんな些細なことなんて今のニトにはお構いなしである。
施療院でもあるまいし、そうそうペストマスクを常時付けた人がいてたまるものか。
恰好は普通の市民、しかしペストマスクで人相不明といういで立ちの田中はいきなり胸倉をつかまれたにも関わらず驚くだけである。危機感がないと言うべきか、それともニトだからなのか。
「うわっ、なんだ⁉」
「『なんだ⁉』じゃない!あんたいったい――」
若干切れ気味のニトにたじろぎながらも田中は胸倉をつかむニトの手を易々と振り払う。そして逆に彼女の口を手でふさぎ、道端に置かれていた腰ほどの高さがある樽の後ろへ押しやって隠れた。
ニトはちょっとだけ驚いた。新米とはいえ自分だって巡察官であり、腕っぷしには自信があるほうだ。村では襲ってきた狼藉者を素手でぶちのめしたこともある。
なのに。
まただ。またあっさりと手玉に取られてしまった。たかだか魔術師のくせに。
「しーっ!声が大きい、気が付かれたらどうするんだ」
田中はペストマスクのクチバシ部分に人差し指を当てつつ、樽の影から周囲を伺っている。どうやらバレてはいないようだ。
ニトはやっと田中の手を振り払うと、
「あ。さーせん……ってなんであたしが謝らなくちゃいけないのよ。ていうかあんた何してるの?まるっきり不審者よ」
そしてニトは呆れ顔で大きなため息をついた。
「よく通報されなかったわね」
それだけエンディミオンに怪しい連中が増えてしまったということだろうか。もしそうならエンディミオンの今後を憂えずにはいられない。また都市警の仕事が増えてしまうではないか。
田中はニトに掴まれてぐしゃぐしゃになった襟首を整えながら、
「俺からしたら人の胸倉掴んでいるほうが通報されると思うんだが……」
「あたしは巡察官だからセーフなの」
権力の乱用とはまさにこのことである。
「で、あんたもストーカーとは落ちるところまで落ちたわね」
ニトの冷ややかな視線が田中を貫く。何かの間違いだとか自身の勘違いといったことは一切考えていない様子である。とはいえさすがに田中も黙ってばかりではない。
「おいやめろ!ストーカーなんて卑劣な犯罪をするわけがないだろ!」
「はいはい、罪人はみーんなおんなじことを言うのよ。都市警のあたしが言うんだから間違いないわ。続きは詰所で聞くから」
「だから勝手に人を罪人に決めつけるなって。むしろ保護者としての責務を果たしていると言ってほしいな」
「保護者?」
ニトは首を傾げた。
田中は皆まで言わず代わりに指をさして振り返るよう促した。仕方がなく振り返れば、その指の先にはさっき見た女の子と童の組合せが露店の前で何やら店員と話し込んでいる。なるほど、どおりでどこかで見たことがあるなと思ったわけだ。
「へー、なんか微笑ましいことになってるわね」
そういうニトの口元には笑みが浮かんでいる。まるで新しいおもちゃを見つけたような。
「今朝あの童がうちに来てな。ほら、今支払いした子。キャシーにデートを申し込んでた」
「最近の童はませてるわね」
田中はうんうんと頷く。
「でだ。せっかくの従者のデートなんだから見届けるのが保護者というか主人としての役割では?」
「ごめん、それはわかんないや」
キャシーは丸のままの馬鈴薯が4つささった串を店員から受け取った。受け取るなり豪快にかぶり付き、空いてる手で少年の頭をなでる。少年の耳が真っ赤に染まっているのが離れた樽の影からも伺える。
――あれをデートというのはちょっと無理があるかなあ。
ニトの率直な感想であった。しばらく二人のやり取りを遠巻きに眺めていたら、どうやら露店から離れ、また別の場所へと移動しようとしているようだ。
「というわけで俺は監視じゃなくて尾行じゃなくて責務に戻るから、お前は今月の支払いを済ませたらさっさとどこかに行ってくれ」
そう言うと田中は立ち上がり、二人を追いかけるため樽の影から出ようとしたところ――立ち上がれない。あれえ?と思い振り返れば、ニトががっちりと服の裾をつかんでいる。
この女、どういうつもりだ。
「えーっと、離してくれないかな?」
恐る恐るお願いする田中だが、ニトはニヤリとすると、
「何言ってんのよ。わたしも一緒に行くに決まってんじゃない」
碌でもないことが起こる予感しかしなかった。
少年とキャシーは店の前に机と椅子を用意している露店で何やら話し込んでいる。露店はちょっとこじゃれた感じに仕上がっており、さながらオープンカフェといった風である。くどいようだが提供しているメニューは馬鈴薯料理である。お洒落なドリンクの代わりに冷たい馬鈴薯スープなら提供されている。
「私が言うのもなんですけど、芋ごときでこんなイベント開けるとはねえ」
皿の上にふかした馬鈴薯、そして冷たい馬鈴薯スープを横に並べているキャシーが若干呆れたように独り言ちた。
少年の顔に不安の色が一瞬よぎった。
「嫌でしたか?」
「ぜーんぜん。むしろ嬉しいよ私は」
お行儀悪く片肘をつき、フォークで馬鈴薯をつつく。
「私もご主人もこんなイベントやってるなんて知らなかったのよ。少年が誘ってくれなかったら来れなかったからね。ありがとね」
少年は視線を下げた。顔が赤くなっているのは言うまでもない。キャシーのどこか悪戯っぽい笑みは少年の反応を楽しんでいるようだった。
「しっかし、私を誘うなんていい趣味してるね、少年」
少年は視線を上げた。目を合わせても不思議と気恥ずかしさはなかった。そしてやっと気が付いた。今日初めて目の前の人を直視できたことに。
馬鈴薯をつつく手が止まる。キャシーの片方しかない瞳が細くなる。何か良からぬことを口走るつもりだ。
「同年代の子とかに興味はないのかな?」
「僕は……!」
そこから先が言葉にならない。もやもやとした思いはあるのだがそれを言葉にすることがどうしてもできない。伝えたいのに伝えられない。
最期まで言えず、しかし反応から否定と受け取ったキャシーはさらに話を続ける。
「ふーん、ほら前にみんなで一緒に遊んだ時にいてたあの女の子とかは?かわいいじゃないあの子。しかもずっと少年のことを目で追いかけてたような気がしたけど」
周りの喧騒が遠くに聞こえる。キャシーの言葉で何かが決壊しそうになった。怪我をしているわけではないのに、ぎゅっと胸が締め付けられるようになるように痛んだ。
少年は大きく息を吸い、ぐちゃぐちゃになった頭の中から思いのままに言葉を選んだ。
「キャシーさん、こういう時にそういう話は……やめてください」
少年にはそれが精一杯だった。
やってしまった。そんな思いがキャシーの表情にありありと浮かんでいた。
「ごめんね。そういうつもりじゃなくてね……」
慌てて謝るがキャシーは少し言いよどむ。泣きそうな顔をしている少年と自分の左手とを交互に見やる。
熱のひいた馬鈴薯にフォークを突き立てた。
そしてキャシーは笑って見せた。
「ほら、私って――人間じゃないから、ね」
つづく




