第七話 廃墟街動乱 その三
飛び散る刃の欠片から赤い魔術の光が失せていき、代わりに吹き上がる鮮血があたりを赤く染めていく。彼はその最後の瞬間になにが起こったのか理解できたのだろうか。
いや、できまい――と田中は思う。それほど理不尽な最期であったのだから。
肩口から深々と斬られた犬面は力なく膝をつき、そのまま血だまりの中に沈んだ。
田中は犬面の亡骸を一瞥すると深く息を吐いた。淡い紫色の光を放つ剣身がやがてその色を鈍い鋼のそれに変えた。
田中はまじまじと自身の剣を見る。持ち主の魔力を糧に自身の切れ味を強化するというどうにも使いにくい魔剣である。田中の中にある魔力のほとんどを食らいつくし、同じく魔術強化されているはずの剣を真っ二つにへし折るほどのチカラを生み出した。しかし使うたびに魔力を相当量消費するのはいかがなものか。あまり実用的ではない。
田中は斜めに剣を振るい、血を飛ばすと鞘に納めた。体を襲う強烈な脱力感に顔をしかめながら視線をキャシーの方へと向ける。
猫の仮面をつけた新手とキャシーが凄惨な斬り合いをしていた。
キャシーは安堵した。この猫の仮面をつけた襲撃者が、主ではなく自分を標的として襲い掛かってきてくれたことに。
体に受けた傷はすでに両手で数えることができないほど。それでもキャシーは猫面に向けて大剣を振るう。アンデッドならではの力に任せた重い一撃。人だろうが鎧だろうが全てを砕いてしまうような重い一撃である。しかし猫面はその一撃を、両手に持つショートソード二本をクロスして易々と受け止めると、押し返し、逆にキャシーのわき腹を薄く切り裂いた。キャシーはそんなことなど一切気にせず、再度大剣を振るった。猫面は紙一重でよけるとキャシーと交差。すれ違いざまにキャシーに新しい傷が数か所生まれる。
強い。
本当に強い。
アンデッドである自分が、人よりなおも勝る自分が圧されている。
ふざけた仮面を付けてはいるがその腕前は達人あるいはバケモノと言っても過言ではないほど。
おそらくご主人なら3分ともたないと思う。
本当に、本当に心の底から猫面の相手をするのが自分でよかったとキャシーは思った。
なにせ相手をするのが本物のバケモノなのだから。
キャシーはゆっくりと振り返った。そして、にたりと口端を吊り上げて言う。
「アンデッドと戦うのは初めてですか?」
猫面は無言である。ただ視線は自分がつけた傷に向けられている。猫面が斬ったうちからキャシーの切傷が次々に塞がっていく。
キャシーは眼帯に覆われていないほうの目を細めた。
「私の希望としては手当たり次第に斬るのは止めていただきたいんです。ほら、破けて服が着られなくなってしまいますから。私、縫物は苦手なんです」
猫面はキャシーの軽口の一切を無視して地面を蹴り、一瞬のうちに肉薄する。軽装ゆえのこの素早い動きが厄介であった。あっという間に大剣の間合のさらに内側に潜り込まれ、思うように動くことができないからだ。
猫面がキャシーの喉元を突き刺さんとショートソードで狙ってくるが、十分な間合いを取れないにもかかわらずキャシーは大剣でそれを防ぐ。一瞬、ほんの一瞬であるがキャシーの動きが止まった。そしてその瞬間を猫面は見逃さなかった。
閃光のようにショートソードが煌き、キャシーの右腕が斬り落とされた。重みで大剣の柄が手から離れる。猫面はショートソードを逆手に持ち換えるとキャシーの脳天めがけて振り下ろ――キャシーは斬り落とされた右手を掴むと傷口に押し付けて無理やり接合、そしてくっ付いて間もない右拳で猫面の顔面を殴りつけた。
殴打。
大きく後ろへと吹き飛ばされる猫面の身体。本来のキャシーの腕力ならば頭が明後日の方向に吹き飛んでいるか、240度くらい回転していただろう。
――手ごたえがなかった。
キャシーは左手で大剣を掴むと思いっきり地面を蹴った。案の定、起き上がる猫面。殴られる瞬間に後ろへ跳んでその威力を殺したのである。しかし無傷ではない。ゆがんだ猫の仮面にはくっきりと拳の跡が残っている。ぶんぶんと頭を振り、ようやく視線を上げたそこには大剣を高く頭上に構えながら突っ込んでくるキャシー。猫面はショートソードでとっさに防御の構えをする。
キャシーは大剣を大上段に振り下ろして叩きつける。鋼が砕ける音が響き、破片が二人の間に舞い散る。猫面が右手に持っていたショートソードの刃がへし折れた。次いで勢いを殺さぬままキャシーは腰だめに構え、猫面の胴めがけて突きをお見舞いする。
猫面は残ったショートソードで危なげに突きを受け流した。受け流すや否や大きく後ろへと跳び、態勢を立て直そうと図る。その最中にへし折れたショートソードを捨て、袖口から肉厚のダガーを抜いた。刀身は炭で黒く塗りつぶされているのか一切の反射を映さない。
土煙が舞う。
ゆらりと大剣を肩に担ぐキャシー。
「人の身で……」
一歩、歩む。
その背後が揺らめいたような幻覚を猫面は覚えた。
「たかだか人の身でこの私に敵うとでも本気で思うてかああああっ!」
キャシーが咆えた。人を超えた瞬発力と走破力で、一気に距離を詰めて斬りかかる。
猫面はまたもや紙一重でかわす。一歩踏み込み、ショートソードの間合にキャシーを引きずり込んだ。
まただ。これでは近すぎる。これでは殺しきれない。
キャシーは思い切って大剣を捨てるとダガーを引き抜き――猫面はダガーを握ったキャシーの腕を即座に斬り飛ばす。
しかし相手が悪すぎた。
キャシーは斬り飛ばされた腕を落ちる前につかむと、握った腕もそのまま猫面の胴に根元までダガーを突き立てた。猫面から苦悶の声が漏れる。
キャシーはダガーを握ったままの腕を接着し、不意に視線を下に向ける。ショートソードとダガーが自分の腹に突き刺さり、臓物が一部はみ出ていた。
が、
些細な問題である。
死にはしないのだから今のキャシーにとっては大した問題ではない。
キャシーは笑みを浮かべた。壮絶な笑みである。
「つかまえた」
猫面の両腕を万力のような力でつかむ。猫面は逃れようと必死にもがくが、どうしてもキャシーの細腕を振りほどけない。
キャシーは頭を大きく振りかぶると、渾身の力で頭突きをかました。
猫の面が砕け、そこから目を回している若くない男の顔が現れた。額がぱっくりと裂けて、血が噴き出している。そこでようやくキャシーは右手だけを猫面から離した。キャシーは腹のショートソードを臓物とともに引き抜くと、一閃した。
猫面が離れた猫面は、糸が切れた操り人形のように崩れ落ちた。
廃墟の町は静けさを取り戻した。
田中は小銃を拾い上げると、
「こりゃだめだな……」
各部を軽く点検してからそうつぶやいた。その顔は苦虫を何十匹も一度に噛みつぶしたかのようである。犬面がナイフを突き刺したせいで薬室内が歪み、無理やり内部の爆破魔術の術式を起動したら暴発もあり得る。修理にかかるであろう費用を計算し、恐ろしい金額になりそうなので途中であきらめた。さすがに凹む。
小銃を持ったまま肩を落とす田中に、キャシーが駆け寄ってきた。その表情はさきほどまで殺し合いをしていたとは到底思えず、尻尾でも生えていたなら残像が生まれるくらい左右に振っていただろう。
「こちらは万事問題ありません。ご主人は大丈夫ですか?」
キャシーは上から下まで返り血で真っ赤に染まり、服も至る所が裂かれている。腹のあたりが特にひどく、布切れでぐるぐるに巻かれている。まるでゾンビにでも襲われた後のようだ。
「どちらかというと私のほうが襲う側なんですが」
「んなことはどうでもいい。さすがに無茶しすぎだ。攻撃をかわすことも覚えたほうがいいぞ」
「わかっています。ですが相手が刃物を使ってくる限り、今みたいにごり押しするほうが絶望感を相手に味合わせられますので」
などと、キャシーは悪の手先みたいなことを平気で言う。それが冗談かどうか田中には区別がつかない。
「怖いことを言わないでくれ……」
そう控えめに言うことしかできない田中。でも……とキャシーは続ける。
「ご主人が私のことを心配してくれたのは、とても嬉しいです」
キャシーの心からの微笑は、水面に反射する太陽の光のようにきらきらと眩しい。
それが直視できず、田中は思わず朝あっての方向を向いてしまう。しばらくして、そーっと目だけキャシーに向けてみた。キャシーがじっと田中の顔を見ている。そんなに見られると少し居心地が悪くなる。田中はたまらずキャシーに訊いた。
「どうかしたか?」
「いえ。ただご主人は黒真珠のように美しい瞳をしていますね」
左目の部分が壊れていることを思い出した。
「あーそうだったな。マスクを新調しないと。しかも銃も壊れたから修理代が……ほんと高くつくぞ」
「私的にはご近所づきあいも含めて、これを機会にペストマスクなんて外してほしいのですが。そうですね。こうなればご主人のお知り合いの方に、銃やマスクや私の服とか費用の一切合切を請求して分捕ってあげましょう」
「請求出来たらな……」
田中はぽつりとつぶやく。
「何か言いましたか?」
「いや、なにも……とにかく先を急ごう」
田中とキャシーは、先ほどよりもさらに周囲を警戒しながら廃墟街を進んでいく。
さすがに銃も使えない状態でミュータントを相手にしたくはない。しかも魔力をほとんど食われてしまい、腰の剣も大して使い物にならない状態だ。危ない橋は渡る必要がない限り避けるべきである。
つづく




