第四十一話 電車を超えて4ブロック目 前 その五
それから三人は、少し離れたところにあるビルの非常階段下に息を潜めていた。屋内ではないため周囲から隠れ切れていないが、辺りには彼が設置した鳴子やブービートラップの類がそこかしこにある。どうやら襲撃以来ずっとここに籠城して脱出の機会を伺っていたらしい。
「君たちを襲ったハイイロには、ここ最近ずっとマークされていたんだ。いきなり気配が消えたから何事かと思って出てみれば、キミたちに出会ったというわけ」
先程のミュータントは人狼改めハイイロと呼ばれるらしい。それが正式名称なのかそれとも彼らがそう呼称しているだけなのかはわからないが、当面は田中もハイイロと呼ぶことにする。
「あいつらハイイロは二匹一組で行動を共にしてる。縄張りに侵入したら、一匹が露骨に気配を出して陽動、もう一匹が横から奇襲するというのが基本戦術みたいなんだ。俺たちもそれにやられた。ちなみにさっきのはただの斥候で、兄さんたちを殺った個体じゃないよ」
彼、ドワイド兄弟の三男マーカス・ドワイドは干し肉を齧りながら、疲れたような笑みを見せた。実際、疲労困憊に違いない。あのバケモノと戦いながら一週間以上この廃墟街で生活しているのだから。
彼こそ田中たちが廃墟街の奥へと向かわされた目標であり、最も廃墟街の奥へ進んだ屑拾いの生き残りである。
そして最後の情報はできれば聞きたくなかった。
「あんなのがまだ他にもいるのかよ……」
「言っただろ、二匹一組で行動しているって。属する大きな群れはまた別にある。あいつらハイイロは廃墟街の五ブロック目以降を縄張りにしてるから、まだまだたくさんいる。まさか四ブロック目に出てくるとは思わなかったけどね。ここ、ラーカーの縄張りと重なっているんだよ。縄張り争いでラーカーが負けたのかもしれない。もしくは一触即発か」
本当に聞きたくない情報だった。
マーカスは田中が差し出した葡萄酒を、とてもうまそうに飲み干した。保存のため生姜をたっぷりと混ぜたおおよそ葡萄酒とは言えない代物なのに、本当に美味そうな飲みっぷりだ。
「さて、今度は君たちの話も聞かせてもらってもいいかな?どうして――いや、どうやってここに?」
マーカスは葡萄酒を呑みはするも未だサーベリアを脱ごうとはしておらず、完全武装のままだ。万が一ということに備えているのかもしれない。
「兄弟団からの依頼だ。生存していればあんたらの救助を……無理な場合は地図の回収だ。ここへ来るまでの抜け道はお前の弟から教えてもらった。安心しろ、口外するつもりはない」
田中は依頼主も目的も包み隠さず伝えた。
こうして声に出してしまえば、まるで地図が主目的で人命はおまけであるかのようにも聞こえてしまう。しかし隠さずに伝えるとはキャシーと予め相談して決めていた。
ドワイド兄弟の信頼無くしてここから脱出できるとは、とうてい思えないからだ。
「なるほど……地図か。地図ねえ」
マーカスはバックパックを手繰り寄せると、手を突っ込んで中身をごそごそと漁る。取り出したのは分厚い一冊の本だ。付箋や付け足した紙などでちょっとした辞典ほどの大きさに膨れ上がっている。しかも、紙は紙でも羊皮紙ではなく、植物性の紙でできている。田中にとっては紙と聞けばこちらの方がなじみ深い。
マーカスは懐かしいものでも見るかのように地図をぱらぱらと捲る。
「たしかにこいつには、俺たちが知る廃墟街にまつわること全てが詰まっている。スティーブンが回収に手を貸すのも頷ける。兄貴たちはやられた。だからこそこの地図をエンデまで持って帰らなければならない。兄弟団やあんたらが何を考えてるかはわからないが……これは俺たち兄弟の全てが詰まった、生きた証だからね。助けられる側が言うのもなんだが、俺も脱出に力を貸すよ」
そう言ってマーカスは右手を差し出した。田中は頷き、その手を握り返す。あとは無事にエンディミオンまで帰るだけなのだが……。
「でだ、すでに想定していた撤退ルートから大きく外れてるんだが……どうする?というかここは四ブロック目のどこに当たるんだ?」
何分初めて探索した地域であるし、めちゃくちゃに逃げたものだから自分たちの現在地が把握できていない。三ブロック目に近い所にいつのかそれともさらに四ブロック目の奥地へと進んでしまったのか、それさえもわからない。
マーカスは仕方がないなあと、例の地図を再び広げて見せた。手書きで書かれた平面図と俯瞰図を併用した地図で、彼らが探索した内容が事細かに書き込まれている。書き切れない分は付箋を貼られ、欄外まで記入されている。例えばビルの何階が未探索で、どの部屋にどんなものがあったか、さらには各特定危険生物の勢力圏や何と遭遇したとか一目見ただけでは処理しきれないほどの様々情報がそこにはあった。そして、四ブロック目だけは他のページと違って空白の多さが目立つ。
「俺たちが今いるのはここ」
地図の上では意外とここから三ブロック目までは近い。何事もなくまっすぐに二十分ほど歩けば区画を分けている大きな道路へ出られそうだ。
「ハイイロの追撃があると仮定すると、このまままっすぐ進むのは危険だ。オークの巣があるせいで他の輩も集まってくる。ラーカーとかムカデとか大サソリがしっちゃかめっちゃかしているところに、ハイイロまで来られたら目も当てられないからな。だから多少遠回りだが迂回する」
地図に赤い丸が描かれているところがオークの住処なのだろう。マーカスの指は赤い丸を大きく迂回するように地図をなぞり、自然公園か何かのつもりだろうか森のイラストと黒いバツ印が描かれたところで止まった。
キャシーが尋ねる。また何かの巣だろうか。
「この印は何でしょうか?」
「ここまで逃げられればあとは安全に退避できる。あんたらが来たのとは別の抜け道が先にある」
「ふーん。ここまで逃げられたら……ですか。弱気ですね」
キャシーは煽るような言動をする。厳しい撤退をするうえで、マーカスがどれほどの技量か推し量っているのかもしれない。
「狼は執念深いぞ。群れの仲間が倒されたんだから必ず復讐に来る。それが新しいペアか群れが丸ごと襲い掛かってくるはわからないけどね。さっきは倒せた。しかし次はそう上手くいくかはわからない。ミュータントのくせに、こういったことは奴らも学習するみたいなんだ。俺たちもほとんど出くわしたことがないから詳しくはわからないけどね」
そう言うと、マーカスは地図を畳んでバックパックへと戻した。
ミュータントが高度な社会性と知能を持っている――これだけでも恐ろしいことだ。
巨大化して身体能力に特化したバケモノとはまた違い、ただでさえ殺意の塊のようなバケモノが組織的に襲い掛かってくることのなんと危険な事か。たまらず背筋に寒気が走った。
「ついでに言っておくけど、俺はそんなに戦闘が得意な方じゃないよ。パーティでも後衛だし、煙幕とか道具はほとんど使い切ったからね」
さらりととんでもないことを言う。出し惜しみしているわけではなさそうだ。ベルトや上着に増設されたポケットにも空が目立つ。武器と言えるようなものはもう腰に差しているマチェーテくらいだ。
田中が思うに、マーカスの言う通りあのハイイロとは真正面からやり合うのは避けた方がいいだろう。キャシーはまだしも、自分やマーカスがあのハイイロを倒せるビジョンが見えない。そして異常にタフな肉体かつ、あのスピードとパワーそして平気で裏をかいてくるのだから、本来ならばさっきのように煙幕をばらまきつつ安全圏まで逃げるのが最善に違いない
煙幕はちょっぴり値が張るので田中は持っていないけれども。
田中は何と答えようか考えた末に言う。
「安心しろ。おれもそこまで腕が立つ方じゃない」
社交辞令と取られたらしく、マーカスはくっくっと喉を鳴らした。そしてサーベリアを目深にかぶりなおすと、
「巻き込んですまないな」
「困ったときはお互い様だ」
交わす言葉はこのくらいで十分だろう。田中たちは意を決して非常階段の下から踏み出した。
三人の、短くも困難な逃走劇の始まりだった。
おわり




