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第四十一話 電車を超えて4ブロック目 前 その四

 キャシーが、ふむぅと唸る。障害は力尽くで乗り越えるものだと思っている彼女には、なかなか理解しづらいのかもしれない。


「じゃあもし無事じゃなかったとすると……何にやられたんでしょうね」

「だろうな。それがいったい何からかはわからんが、できるなら遭遇したくないね」

「めちゃくちゃでかいオークとか……」

「たしかにそれは嫌だな」


 田中とキャシーは二人して小さく笑い合う。そしてキャシーはバルディッシュの柄をぎりりと握った。


「でだ。おしゃべりはそれくらいにしよう。気づいているか?」

「はい、ご主人よりも先に」


 生意気言うアンデッドである。本当に誰がご主人さまか理解しているのだろうか。


「背後から付かず離れずの距離で気配が一つ。あと微かに濡れた犬みたいな臭いがします」


 キャシーが言うからには杞憂ではないのだろう。しかし、後を付けてくるだけで襲い掛かってこないとは、どういうことだろうか。ラーカーなら見るなり襲い掛かってくるというのに。よほど臆病なやつか、それとも……。


「手はずはいつも通り。俺が投げた後、キャシーが前衛。オーケー?」

「オーケーです。おそらく左の路地、壁際あたりでしょうか」

「了解、と」


 田中は振り返りざまにキャシーが言ったポイント目掛けて爆破樽を投げつけた。術式の遅延回路により、魔力を注入してから時間差で爆破の術式が作動する魔術道具だ。しかも鉄屑入り。


 爆音と閃光が起こった。


 爆炎の赤と煙の灰が周囲に立ち込める。それを切り裂いて飛び出してくる影が一つ。全身を針金のような灰色の毛で覆った半狼半人が、咆哮を上げながら爪を振りかぶる。


「人狼⁉」


 田中は見慣れぬその姿に驚きの声を上げた。おとぎ話に出てくる半狼半人のバケモノが、今まさにキャシーと刃を交えようとしていた。ミュータントはおおよそ自然の理から外れたような外見を持つ。目の前にいるそれはその最たるものであった。


 よく見れば爆破樽による先制で相当傷を負っているらしい。赤い体液が体毛を濡らしている。しかし怪我をものともしない俊敏な動きで距離を詰めてくる。キャシーと人狼が会敵する前に田中は一発叩きこもうと、狙いを定めて、


「もう一匹いるぞ!」


 反射的に田中は振り返り、ろくに照準も合わせず気配だけを頼りに引き金を引いた。


 ズドン、と重い銃声と獣の悲鳴が重なった。


 誰かの声がなければ気が付かなかった。もう一匹の人狼が田中のすぐ後ろまで気配を殺して近づいていたのだ。人狼の腹にできた銃創からぼとぼとと血が吹き出る。しかし、それほどの出血にもかかわらず倒れるどころか怯みすらしない。あまりにものタフさに田中は瞠目した。まるで痛みを感じていないかのようだ。


 とはいえ驚いてばかりではいられない。グリップを握り締め田中は腹の下に力を込めると、人狼の爪が届くよりも先に容赦なく刺突を繰り出した。銃剣の切っ先が胸板を貫いて背中から飛び出た。赤い魔力光を放つ銃剣がさらに赤に染まる。


 そこでようやく田中は襲撃者の全貌を目にすることができた。身の丈二メートル近い巨体に頭部は狼のような獣のそれ。腕力も相当あるに違いなく、キャシーの頭ほどの太さがある。そして問題はその先にある武骨な爪で、下手なダガーよりも切れ味がよさそうだ。


 今まで数々のミュータントを目にしてきたが、ここまで攻撃に特化した特定危険生物など見たことがない。ラーカーでももっと生き物らしく生きている。


 人狼は突き刺さった銃剣から逃れようともがく。田中は人狼の腹を蹴って銃剣を引き抜くと素早くリロード、銃口を押し当てるほどの距離から再び発砲した。


 至近距離からの発砲により人狼の肩が爆ぜ、血と細かい肉片が飛び散った。さすがの人狼も悲鳴を上げて数歩後退る。


 両者態勢を整え、第二ラウンドに突入――と思われたその時だった。


 人狼と田中の間に、どこからともなく小さな樽が投げ込まれた。握りこぶしより少しだけ大きい。


 すると足元を転がる樽から赤い煙がどんどん出てくるではないか。おそらく高純度の油と燻したオークの胆嚢が混ざることによって発生する発煙装置で、俗にいう煙幕だ。地面に当たった衝撃で中身が混ざり、さらに樽の箍が外れて煙が溢れ出てきたのだ。田中は慌ててその場から離れるが、みるみるうちに人狼の姿が赤い煙に飲み込まれて見えなくなる。


 しかしこの色、ペストマスク越しだというのに鼻に来る突き刺すような刺激臭――唐辛子か何かを混入しているのか!


 一体どこに隠れていたのか、一人の屑拾いが小走りに近づいてきた。サーベリアを被り、黒いフェイスマスクを鼻の頭まで上げ、なぜかバックパックから鳥籠をぶら下げた男の屑拾いだ。


「いったんこの場を離れるぞ。今ここで倒したところで新手がやってくるだけだ」

「あんたはいったい?」

「説明は後だ」


 田中の言葉を遮ると屑拾いはキャシーに向かって言う。


「そっちもある程度耐えたら俺について来い!逃げるぞ!」


 しかし、キャシーは答えない。その代わりに人狼の爪をバルディッシュの柄で受けると、刃と反対側についているウェイトでその頭を殴りつけた。骨が砕ける固い音がし、人狼がたたらを踏んだ。そしてキャシーは返す刃で、喀血する人狼の首を刎ね飛ばした。音を置き去りにするほどの速さに、さすがの人狼といえども反応することができなかった。


 首から下がふらふらと当てもなく辺りをさ迷い、やがて糸が切れたマリオネットのように崩れ落ちた。だくだくと流れる煙幕よりもなお赤い血が水たまりを作っていく。


 屑拾いは一連の結果が信じられなかったのか、口を開けて唖然とする。


「倒した……のか?」

「たまたま上手くいっただけです。さあどうするのですか?」


 訊ねるキャシーの表情は固い。


「ああ、こっちだ付いて来てくれ!」


 走り出す屑拾いの後を置いていかれまいと、田中とキャシーは付いて行く。ビルとビルの合間の細路地を三人は走る。


 走っている最中、田中とキャシーはただあの場から離れるためにめちゃくちゃに走っているのかと思ったが、どうやら屑拾いには明確な目的地があるようだ。分かれ道に差し掛かっても迷わず道を選んでいく。


 いったいどこへ連れていこうというのか……。




 ほどなくして、さらにその後ろから迫る気配が一つ。


 田中の顔がペストマスクの下でしかめっ面になる。


 振り返らなくてもわかる。先ほど煙幕に飲まれた人狼だ。


「どこまで行くんだ⁉」


 田中はサーベリアを被った屑拾いの背中に訊いた。焦ってはいないがそれでも一抹の不安はある。


「ここだ。ここでいいんだ」


 すぐには答えず、少し経ってから屑拾いは足を止め、振り返った。その手には白く細い糸が数本握られている。さっきまでは手ぶらでそんなもの握っていなかったはず。いつ取り出した――いつ拾ったのだ?


 自然と田中はその糸の先を目で追った。手から足元、そして自分たちが走ってきた方向へと延びている。とても長い糸だ。その先は地面を伝い、やがて重なり合う瓦礫の下へと潜り込んでしまった。


 迫りくる人狼の姿が見えた。撃ち抜かれた肩は真っ赤で手負いのはずなのだが……手負いとはとうてい思えない挙動だ。今こそ魔術付与弾を使うべきか。


「ご主人、私の後ろへ下がってください」


 キャシーはここが次なる戦場と考え、屑拾いを押しのけて人狼を迎え撃とうとする。さっき人狼の首を刎ねたのだから勝てない相手ではないのだろう。しかし、


「これ以上前に出ないほうがいいよ」


 屑拾いにそう忠告され、訳が分からず困ったように田中を見た。しかし田中はそれには気が付かない。視線は糸に向けられたままだった。田中はその糸に微量な魔力の流れを感じた。


 珍しいものだった。


 基本的に魔力なんてものは金属以外の伝導性は非常に低い。まして非金属の糸ならなおさらだ。しかし何事にも例外がある。エンディミオンの周囲に蜘蛛形の土着モンスターがいる。こいつから採取される糸の魔力伝導性の何と高いことか。そのような魔力伝導性があるものは術式を遠隔で作動したい時などに用いられる。


 人狼が朽ちた自動車の脇をすり抜け、馬二頭分ほどの距離まで近づいた時だった。


 突然人狼の足元から大爆発が起こった。悲鳴は爆音に飲まれ、鮮血は爆炎の中に消える。


 至近距離からの爆発にいかに強靭な体躯といえども耐えられず、人狼の四肢が千切れ飛んだ。


 今の爆発は爆破樽よりも数段威力が高かった。複数の術式が同時に発動したらしく、しかも足元から爆発が起こったところなどまるで地雷のようであった。いや「地雷のようであった」ではない、まるっきり有線式の地雷だったのだ。そしてこの屑拾いは、この仕掛けが施されたところまで人狼を誘い込んだのだ。


 屑拾いはその先が焼けて千切れた糸を捨て、田中とそれからキャシーとを順番に見た。何から話したらよいのかと迷っているように見えた。


 逆にこちらは聞きたいことが山のようにあった。しかし、手を貸してくれた手前、先に発言する権利は彼に譲ろうと思う。爆炎の照り返しが熱いのか鳥籠の中にいる黄色い鳥がぴーぴー鳴いている。逡巡した挙句、屑拾いは口を開いた。


「君たちは、何を求めて廃墟街へ来る?」

つづく

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