第三十二話 パン屋と遺品とそれから私 その一
「くそったれ!」
荒い息をつきながら男は剣を抜いた。油断なく視線を走らせ、こちらに近づくものがいないかと聞き耳を立てる。自分よりも背の高い錆びついた鉄の箱や机がいくつも並んでいるせいで視界が悪い。ガタン、と金属質の重い物が落ちる音が聞こえた。体が強張るのがわかる。
廃墟街というのはダンジョンなんかよりも危険地帯だということは知っていた。事前に説明もされたし、自分たちもその点においては了承した。とにかくまとまった金が必要だったのだ。
しかし、まさかこんなことになるとは思わなかった。
追われ、逸れ、迷い、もうここが入口からどれだけ離れているのか見当がつかない。
まだ遠いが、いくつもの足音が着実に近づいてくるのが聞こえる。
「ちゃんと逃げられたんだろうな……」
男は逸れてしまい姿の見えない相棒を気に掛ける。
やかましい相棒がいないせいでやけに静かだ。そのせいで自分の心臓の音が大きく聞こえてかえって不安を募らせる。
「……まてよ」
ふと疑問に思う。足音は聞こえるのだがなぜか一向に鳴き声が聞こえない。まるで意図的に声を押し殺しているような、そんな違和感がする。
――まさか……な。
吐く息が白くなり、エンディミオンを吹き抜ける冷たい風に冬の到来を感じる。
蒼いボンネット帽を被り、少女にしか見えない外見をした少年が脚立に上ってせっせと庭木の剪定をしていた。おかっぱ頭に揃えられた燃えるような赤い髪と瞳、透き通るような白い肌、青と赤と白が織りなすコントラストはどこか浮世離れした印象を与える。可愛らしい外見は世を忍ぶ仮の姿で、実のところは田中が作ったアンデッドである。白く透き通った肌は文字通り血の気が通っていないせいだ。
ファー付きの分厚い外套を着たリデルは庭師としての職務を黙々とこなしていた。
寒くなってきたと言うのに、なぜかまだ青々とした葉を付ける木々は厄介この上ない。普通はエンディミオンのメインストリートに並ぶ街路樹のように枯葉となって落ちるというのに、その気配は一切ないのだ。田中に品種を聞いても「引っ越してきたころからあった」と首をひねるだけで、もしや怪しい種類の樹木なのかもしれない。隙を見て引っこ抜いてやろうかとリデルは微笑の中で思う。
実行に移すのはまた今度で、今はとにかく高枝切りバサミでばっさばっさと枝を斬り落とす。
ある程度形が整ってきたところで一息つく。今まで手入れなど一切されてこなかったので一日がかりになるのは避けられないだろう。なんて忙しい!
ふと、リデルの視線が門扉の方へと向いた。
男が一人険しい表情を浮かべて門扉の前を行ったり来たりしている。見た限り服装は普通の市民のものだが立ち姿が若干左に傾いている。おそらく普段から左に重い物をぶら下げているのだろう。例えば剣とか。
リデルは手元の高枝バサミと男とを交互に見やったのち、
「こんにちは。何か御用ですか?」と声をかけることにした。
男はびくっと肩を震わせると、どこから話しかけられたのかと周囲をきょろきょろする。
「木のところです。剪定中なので」
ようやく男はリデルを視界に納めた。そして軽く頭を下げた。
「すみませんが、タナカさんはおいででしょうか?」
「ご主人ですか?はい、おりますが……如何ご用でしょうか?」
男は何度か口をパクパクとさせて言い淀む。とても怪しい。リデルは無邪気な笑顔を崩さず、しかし目はすぅーっと細くなっていく。そんなリデルの表情の変化に男は気付いていない。逡巡の末、彼は意を決したように言った。
「タナカさんに、そのう……屑拾いとして少し頼みたいことがありまして……」
田中はペストマスクを付けたまま、とても大きな態度でソファに腰を掛けていた。応接間にある机を挟んで、その対面には先ほどの男が俯き気味に座っている。
「粗茶ですが」
キャシーがカップの八分目まで注いだお茶を田中と男の双方に差し出した。この男を案内したリデルは引き続き植木の剪定を行っている。またアヴェンジャーは家の掃除に奔走しておりこの場にはいない。応接間には田中とキャシー、そしてこの男の三人だけである。キャシーがお盆を持ったまま田中の後ろへと静かに移動した。
田中はティーカップを持つとペストマスクのクチバシ部分を少し開けて一口すする。
「で、一体何の用で?」
男はようやく顔を上げた。二十代も後半に差し掛かった青年で頬に小さい傷が付いている。そういえば悪のネクロマンサー退治とか呆けたことを抜かした冒険者もこれくらいの青年だったなぁと、ほろ苦い記憶がなぜか蘇った。
男の視線は田中が持つティーカップに向けられている。
「マスクをずっと被っていると聞いてましたが、そんな風に飲むんですね」
「もう帰ってくれてもいいんだぞ」
「ああっ、すみません!すみません!」
田中の機嫌が若干悪くなり、慌てて男は平謝りする。いらないことを言わなければいいのに。
男は居住まいを正すと自己紹介を始めた。
「俺、タルコといいます。元冒険者で……元屑拾いで……今はパン屋の見習いをしています」
田中の中でいやぁな予感が鎌首をもたげた。別に冒険者や屑拾いが何かしらの理由で引退して別の職に就くと言うのは珍しくはない。しかし元冒険者かつ元屑拾いというのが引っかかる。
「タナカさんにはお願いが……依頼があって来ました」
――ほら来た。
「内容を聞く前に申し訳ないけど、そういう依頼とかは冒険者組合に行ってきたほうがいいぞ。最近は組合間のコンプライアンスというか区分けが厳しいんだよ。これ以上屑拾いが冒険者の仕事を奪っているとか難癖つけられたらたまったもんじゃない」
田中はうんざりしたように肩をすくめた。闇営業はごめんである。
タルコは悲壮感を滲ませた表情でかぶりを振った。
「そうもいかないんです。いくら腕のたつ冒険者でも廃墟街では話が別です。専門の知識と経験がないとあそこでは……生き残れません」
嫌な予感とはなぜか的中するもので田中は舌打ちしたい気分に襲われた。よりにもよって廃墟街がらみとは、一番関わり合いになりたくない内容だ。
しかし、話を聞く前から一蹴するのも何か違う。
「一応話は聞く。あんたの手助けができるかどうかは別の話だぞ」
つづく




