22 森の奥へ
遅くなって申し訳ねえ。というわけで最新話です。今回は少し短めで4000字弱。
先程までとは一変して、不気味なまでの静寂が周囲には広がっていた。
すべての存在が時間を凍らせてしまったのではないかと錯覚するほどに、何一つ音がしない。身動いだときの微かな衣擦れの音ですら、やけにはっきりと耳に届いた。
「ロージ」
「は、はい! なんでしょう」
「お前は馬車に乗って村に戻ってくれ。どのみち、肉を村に届ける必要がある」
「わかりました……だ、旦那はどうするんですか?」
その静寂を破るように、ノードがロージに声を掛けた。
すると、まるでそれを合図にしたかのように、再び風が吹き始め、辺りは先程までのように木々のざわめきで騒がしくなっていく。
「このまま森の奥に入る」
「だ、大丈夫なんですかい」
「……だが、この森には確実に何かが起きている。その原因を突き止めておくべきだろう」
「な、何かですか……確かにそうですよね。あっしも長いことこの森に出入りしていますが、こんな森は初めて見ました」
そう言って森を見つめるロージの目には、戸惑いと、そして恐怖の色が混じっていた。
風に揺られて、ざわざわと音を奏でるその姿は、もはや得体の知れない恐ろしい何かにしか見えない。奥に潜む“何か”に気が付くこともなく、その内側へ不用心に踏み込んでいたという事実に遅ればせながら気がついて、ロージの背中から冷や汗がどっと噴き出した。
そんなロージを尻目に、ノードは直ぐに出立の準備に取り掛かった。
麻袋をロージに預けると、代わりに荷台から背嚢を引っ張り出して、中身を確認する。幸いにも、必要な物は一通り揃っていた。
狩猟が長引いた場合に備えて、念のために夜営を前提とした装備を持ち込んでいたのだが、それが功を奏した形である。
「よし、装備に問題ないな。じゃあ、行くぞ」
「きゅ!」
「旦那!」
必要な装備を身に着けたノードが馬車から降りると、ニュートも準備万端だというかのように、気合いの入った鳴き声を上げた。そんなノードたちの背に、御者台に乗ったロージから声が掛けられる。
「どうか、無事に帰ってきてくだせぇ……」
「ああ、分かった。悪いが、兄上にはよろしく伝えておいてくれ」
「お任せを!」
ノードは後のことを託してから、颯爽と森の奥へと進み始めた。
その姿は直ぐに森の奥へと消えていき、それを見届けたロージもまた、手綱を握り馬車を村へと走らせた。
アルバの森の入り口には、木々のざわめきだけが残されていた
§
森の中を、ノードは風のように駆け抜けていった。
既に日は落ちきっており、周囲は夜の姿に変貌している。
だが幸いにも、空には月が出ていた。頭の中にある月の暦によれば明日が満月だった。
木々の間から射し込む月の光は、星々のそれよりもずっと明るく、はっきりと足元を照らし出してくれていた。
以前通った森の中を、月明かりを頼りにしてひたすらに進み続けた。
時折、休憩のために立ち止まる以外に、ノードたちを阻むものは一切いなかった。
(やはり生き物の気配がない……)
森の入り口で感じた違和感は、奥へと進むほどに顕著になっていった。
ノードは既に、かなりの距離を進んでいたが、その間に動く物を全く見かけなかった。
夜行性の動物も、森の入り口近辺ではまだ見られた大型の草食動物も、虫もそうだ。
風に揺られてざわめく木々だけが、その例外だった。
やはり、この森には何かが起きている。
違和感は、やがてノードの中で確信へと変わっていった。
「!」
そのとき、ノードから先行するように森の中を飛んでいたニュートが、何かに反応を示した。
ノードは、地面に降り立ったニュートのそばに近寄る。
(どうした)
周囲を見回すように、ニュートは首を長く伸ばしながら、クンクンと鼻腔を鳴らした。飛んでいる最中に何かの匂いを嗅ぎとったらしい。
ニュートが生まれながらにして有する鋭い五感は、ノードがどう足掻いても持ち得ない天性の才能だ。人間とはかけ離れたその嗅覚が、風に乗って漂った僅かな痕跡の在処を見つけ出す。
ノードにしか聞こえないような静かな鳴き声を上げて、ニュートは匂いの元となる方角を示した。
その方角へ向かって暫く移動すると、やがてそれは見つかった。
月明かりに照された地面の一部が、僅かに変色していた。
ノードは周囲を警戒しながらその場に跪き、その場所を調べる。
正体は直ぐに判明した。それは、血が染み込んだ跡だった。手で触ると、土からはさらさらとした触感が返ってきた。既に乾いている。
渇き具合からして、どうやら半日程度は経過しているようだった。
続けて、ノードは周囲を観察した。
昼間のように容易に情報を読み取ることは難しいが、それでも月明かりに照らし出された森の中からは、痕跡を見つけ出すことができた。
(戦闘……いや、一方的な“狩り”だな。それも一撃で仕留めている。この血はそのときのもので間違いないな……そいつは彼処の茂みから急襲して、この獲物を仕留めた。……そして、これは)
地面の抉れや、周囲にある草木の様子から、何が起きたのかを大雑把にではあるが推測する。
改めてニュートが反応した血溜まりの跡を見ると、渇いた地面の中に毛皮の一部が残っているのを発見できた。
土を落として、月明かりに照らして自分の知識と照らし合わせる。
(熊の毛? 色からすると……おいおい、これは鋭刃熊だぞ)
月明かりに照らされたその毛色は、鈍色と黒色の二色に別れていた。毛は太く、まるで金属かのような硬さがある。
その特徴から、ノードは冒険者ギルドの依頼で討伐したことのある魔物の物だと見当をつけた。
鋭刃熊は獰猛な性格を持ち、全身に硬質な毛皮を纏っていて、両手から鋭く伸びた刃物のような長い爪が脅威な水晶級の討伐難易度を誇る魔物だった。
ならば、この森の異変は鋭刃熊によって引き起こされたのだろうか。
ノードは頭に浮かんだその可能性を、直ぐに否定した。
鋭刃熊は危険な魔物ではあるが、だからといって森がここまで静まりかえる程の異変をもたらすかと言えば、当然違う。
せいぜいが森の主として振る舞う程度であり、こんな虫も息を潜めるような事態は引き起こせない。
つまり、
(この鋭刃熊は、狩られた側か)
水晶級の魔物を一撃で仕留める存在が、この森には潜んでいるということであった。
§
獲物──鋭刃熊を引き摺ったであろう、地面が抉れた場所を探っていると、あることに気が付いた。
(血が流れていない?)
そのどこにも、血痕がないのである。
残されていた毛の大きさから、ノードは鋭刃熊の体高を大まかに推測した。そして、引き摺った地面の抉れから、それが大体一致しているのを確認できたのである。
しかし、一方で血溜まりの痕跡からすると、どうにも全ての血が流れ出たとは考え難かった。
全ての血液が流れていないのであれば、一撃で仕留めていたとしても、引き摺れば血が地面に付着する筈である。にも関わらず、それは一向に見付からなかった。
(どういうことだ……まさか血抜きをした? いや、であれば血がもっと流れ出ているはずだ……そうではない、つまり逆? 止血をしたのか? 一体、何のために)
推測を重ねても、答えは見付からない。人がやったのか。あるいはもっと恐ろしい何かなのか。疑念は膨らみ、実態のないその何かが想像の中でだけ膨らんでいく。
正体を探るには更なる情報が必要だった。
ノードはその為に、引き摺った痕跡を辿るが、それが不意に途切れた。
森の途中。そのど真ん中で、突然に地面の引き摺った後が消え去ったのである。
ノードは周囲を見渡すが、何も見付からない。
何故ここで途切れたのか。
その理由を困惑しながら探していると、不意にニュートが何かを見ているのに気が付いた。
視線を辿ると、その先は木の枝であった。
枝といっても、樹齢何百年になろうかという古木の太い枝である。
その枝に、何か月の光に反射するものが見えた。
ノードは軽やかな動きを見せて、その古木を蹴るようにして駆け上がった。
鎧の重さを感じさせない、猿のような動きで太い枝に乗ると、そこに付着していた物の正体が分かった。
(蜘蛛の糸……! そうか、それなら辻褄があうな)
真っ白な蜘蛛の糸だった。木の枝に僅かに付着していたそれが夜露に濡れて、月光を反射していたのだ。
どうやら地面の引き摺った痕跡が途切れたのは、この枝の上へと飛び上がったかららしい。
そして、この枝に蜘蛛の糸が付着していたことから考えると、獲物である鋭刃熊は糸でぐるぐる巻きにされていたのだろう。出血部が粘着性の糸で塞がれていたから、血が地面に付着しなかったのだ。
ノードは自分が身に着けている鎧の、その素材となった将軍蜘蛛のことを思い出した。
騎士蜘蛛の脅威度は鋭刃熊と同じく水晶級であるが、その最大個体である将軍蜘蛛であれば、その強さはさらに一つ上の赤銅級相当へと跳ね上がる。
その将軍蜘蛛であれば、奇襲をもってすれば鋭刃熊でも一撃で仕留められるだろう。
(此方の方角に移動したのか……)
いまだに疑問は残されていた。
将軍蜘蛛の実力でも、なおこの森の異変を引き起こすには足りない。少なくとも、夏に来たときにそのようなことはなかった筈だ。
しかし、今現在、ノードには他に手掛かりらしい手掛かりは何一つ存在していなかった。
取り敢えず、今はか細い蜘蛛の糸のような可能性を辿ってみるべきだろう。そう考えて、ノードは森のさらに奥へと突き進むことにした。
前回投稿後に、27日に後書きに加筆して告知しましたが、アース・スターノベル様より書籍化が決定いたしました。
また、それに合わせてわたくし、改名いたしました。
書籍化の詳細は活動報告をご覧ください。
では、また次話であいましょう。




