21 異変
Merry X'mas!!
大変長らくお待たせしました。最新話です。
村の猟師であるロージと共にノードがアルバの森へと入ったときには、既に太陽は天頂を越えて西へ傾き始めていた。
「じゃあ、手分けしてさっさと狩るとしましょう、旦那よろしくお願いしますね……旦那?」
「……ん? ああ、そうしよう」
森の入り口で、あらかじめ取り決めていた通りに持ち場を分担して、手分けして獲物を狩ろうとロージが話しかけてきた。
それに対してノードは、生返事こそするものの、その場に佇んだまま森の中をじっと見つめていた。
「旦那、どうかしましたか? 具合でも悪いんですかい」
「いや、そういうわけではないのだが……」
その様子を見て、弓を手に持ち獲物を探しに出掛けようとしていた狩人のロージが、どうかしたのかとノードに近づいてきた。
ノードはそんなロージに対して、辺りを見回しながら自分の抱いた印象を口にした。
「なにか……森に違和感がある」
「違和感……ですかい?」
そのノードの言葉を聞いて、ロージもまた森の中を観察するように目を配る。だが、茜色の空の下で風に吹かれてざわざわと葉音を奏でるアルバの森は、ロージにはいつもと変わらないように見えた。
強いていうなら、風がいつもより強く吹いて騒がしい。しかし、この時期になれば強風が吹き荒れるのはよくあることだ。違和感というほどではなかった。
「いえ、あっしは何も感じませんが。いつもの森ですよ」
「……」
首をかしげるようにして、ロージはノードに言葉を返す。
だが、その言葉を聞いても、いまいちノードには納得がいかなかった。何か引っ掛かるものがある。
しかし、ノードにはその『何か』の正体が具体的に何であるのか捉えられないでいた。
(何だ、この違和感の正体は……)
木の様子。地面の抉れ。魔物の残留物。風に乗って漂う匂い。
もうじき夜の帳が落ちようとしている薄暮の森に、残されているであろうその『何か』を見つけ出そうと、五感を研ぎ澄ます。
しかし、どれほどノードが懸命に探しても森の中に異物といえる物は見当たらなかった。
靄のようにまとわりつきながらも、一向に正体が掴めない。むしろ、時間が経つ程にその違和感は形を失っていき、やがてノード自身にも勘違いではないかと思えるようになっていく。
(……ダメだ、何も見つからない)
ノードは集中力が切れたように息を一つ吐くと、視線を横に向けた。そこにはノードの真似をして周囲を探るニュートの姿があった。後ろ足で立ち上がり、長い首を伸ばすようにして、キョロキョロと辺りを見渡しながら風に混ざる匂いを嗅いでいる。
飛竜として、人間よりもより鋭敏な感覚を持つニュートならば、自分では見付けられない何かに気が付けるのではないか。内心ノードは期待した。
しかし、残念ながらニュートもまた、その『何か』を感じ取れなかったらしい。興味を失ったように伸ばしていた首を戻すと、くあ、と欠伸を一つした。
「何か分かりましたか?」
「いや……すまないな時間を取らせた」
森の入り口にまで来ておきながら、一向に狩りを始める気配を見せないノードに、狩人のロージが声をかけた。
ノードはいまだに漠然とした違和感があったものの、片鱗すら掴めないあやふやな感覚のために、これ以上狩りを待たせるのも良くないと分かっていた。
「何もないなら、それに越したことはありませんよ。それよりもさっさと獲物を狩って帰りましょう。秋の夜はぐっと冷え込みますからね」
「……そうだな。そうしよう」
ガサガサと森の中へと入っていくロージの後ろを歩くノード。だが、何歩か歩いたところで再び足を止めた。後ろ髪を引かれるようにして、もう一度だけ、とノードは森の様子を観察する。
何か、異変の痕跡は無いだろうか。
しかし、やはりそのときもまた、ノードの五感には何か異常と呼べるだけの痕跡を捉え得なかった。
「気のせいだったのか……?」
頭の隅に引っ掛かるものを感じながらも、またもや何も見付からない。ノードが漏らすように紡いだ言葉は、直後に吹いた強い風に掻き消されて、違和感と共に森の中へと吸い込まれていった。
§
風を切り裂くようにして振るわれた刃が、喉を切り裂いて角鹿を一撃で絶命に到らしめた。悲鳴をあげる間もなく、角鹿が音を立てて森へと倒れ伏す。
首元からどくどくと鮮血を流す瞳から光を失った角鹿に、ノードはおもむろに近付くと、慣れた手付きで解体を始めた。
角鹿の後ろ肢を縛りあげて近くの木に逆さに吊るして血抜きを済ませると、解体用の短刀を器用に操る。流れるような動作で全身に走らせ、内蔵を取り出し、皮を剥ぎ、肉を切り分けていく。
僅かな時間の後に、角鹿だったものは瑞々しい紅色の肉塊へと姿を変えた。
「じゅるり……」
「こら、お前はさっき分けてやっただろうに」
その肉塊をみて、食欲が湧いたのか、ニュートがその口から涎をダラダラと垂らしはじめた。
そして、もう我慢できないとばかりにふんふんと鼻腔を鳴らして肉の一部に齧りつこうとする。
その首根っこを、ガッシとノードの手が掴んだ。
「ぎゅるるぅ」
「駄目だ。お前さっきも食べただろうが」
何で食べさせてくれないのか、と恨めしい目を向けるニュートに、ノードが呆れた口調で言い捨てた。
獲物を仕留める度に、ニュートには損傷部位を与えてはいるのだが、この逞しく成長している飛竜の胃袋は、どうやら満足することがないらしい。
部位毎に解体した血抜き済みの肉を麻袋に放り込む間、やり取りは何度か繰り返された。
「もう夕暮れか。時間が経つのは早いな」
ニュートとの攻防を織り混ぜつつ、肉の解体を終えたノードが、麻袋を担いでポツリと呟いた。
ノードの言葉に反応してか、戦利品である鹿の肝臓に食らいついていたニュートも顔を上げる。その瞳には茜色に染まる空の景色が映り込んでいた。
森に入ってから既に数刻が経っていた。
その間に、ノードは既に四頭の角鹿を仕留めていた。いずれも解体の処理をすませており、調理さえすればそのまま食べることができる。
解体済みの肉はかなりの量になっており、麻袋を担いだノードの肩にズッシリとした重さがのし掛かる。
さて、どうしたものか。ノードはこれからの方針について少し考えを巡らせた。
ヨハンから依頼された量の肉は、先ほど仕留めた角鹿の分を合わせると、大半が確保できていた。だが、欲を言えばもう少し狩っておきたい。
とはいえ、既に日は沈みかけており、もうじき暗くなる。夜間での狩猟は難易度が跳ね上がるため、成果は落ちるのは目に見えていた。出来ればやりたくはない。
ならば一度森の入り口まで引き返し、ロージと合流してみるべきだろう。
ノードは方針を固めると、来た道と逆──森の入り口へと向かって歩き始めた。
§
「帰ったぞ」
「あ、ノードの旦那!」
ノードが森の入り口に止めた馬車に辿り着くと、そこには既にロージの姿があった。馬車の荷台に狩ってきた獲物を並べているところを見ると、今しがた帰って来たところらしかった。
「あっしも丁度いま戻ってきたところですよ。それで、猟果はどうでしたか?」
「角鹿を四頭狩ることができた。血抜きと解体も済ませてある。で、そっちはどうだ?」
「もうそんなに! 流石の腕前ですな。残念ながら、あっしの方は鹿が一頭しか獲れませんでした……面目ねえ」
四頭分の鹿肉で大きく膨らんだ麻袋を、感心したような眼差しで見つめながら、ロージはノードの腕前を褒め称えた。
そして、悔しそうな顔を浮かべて自分の獲物と見比べる。
「気にすることはないさ。こっちには優秀な相棒がいたのもある。だよな?」
「きゅう!」
「はは、なるほど。あっしも村つきの猟師のプライドってのがありますが、流石に腕の立つ冒険者と飛竜には到底叶いませんや」
ノードに声をかけられて、褒められたのが分かったのか、ニュートが誇らしげに胸を張って軽く鳴いた。
その様子を見て、ロージは愉快そうに笑ったあと、「ただ」と言葉を繋いだ。
「負け惜しみって訳じゃあないんですが、せめて罠に掛かっていれば、あっしの成果ももう少し増えたんですがね」
「罠か。駄目だったのか?」
「ええ、いつもなら狐なり狸なり野うさぎなり、丸々と太ったのが何頭かは掛かるんですがね。どうしてか、今日に限ってどれも空振りでしたよ」
ノードの猟果には劣るものの、それでも半日足らずで鹿を一頭仕留めたロージの腕前は確かなものである。村つきの猟師として、長年やっているだけのことはあった。
だがそんな熟練の腕をもつ狩人であっても、獲物と遭遇できるかは結局は運次第だ。
特に、雨の翌日などは、足跡や糞などの痕跡が流されてしまうため、その傾向が強い。
狩人は獲物をとれるかどうかが収入に直結するため、安定した成果を求めて罠を好んで用いることが多く、ロージもその例に漏れないようであった。
罠猟というのは、実は罠の機構自体よりも、仕掛ける場所が重要となる。対象となる獲物の習性を把握し、餌場や水場となる位置を理解した上で、移動するであろう経路の途上に仕掛けなければ、獲物が罠に掛かることはない。
そのため意外と扱いが難しいのだが、村つきの猟師であるロージはアルバの森にも詳しく、どんな生き物が棲息しているのかなども把握している。
そんなロージが仕掛けた罠であるから、一つもとれないというのは、余程運が悪かったのだろう。ノードはそう考えた。
「そいつは御愁傷様。まあ、そういう日もあるさ」
「まったく、森の精霊ってのは気分屋ですよ。だったらせめて鳥でも仕留めようと思って探したら、これまた今日に限って見かけない」
「うん? ……言われてみれば、あまり見かけなかったな」
ノードは馬車の荷台に麻袋を積みながら、森の中の様子を思い出していた。
最初から角鹿などの中型の獲物を狙っていたため、野鳥は視野に入れていなかったが、たしかに森で見かけた記憶がない。野うさぎなども、足跡をほとんど見なかった。
秋も深まって来たとはいえ、雪が降り積もるにはまだ早い。そういった小動物が穴蔵で冬眠して見かけなくなるのは、もっと先のことの筈だ。
ノードのうちから、忘れ去っていた違和感が、再びどこからともなく這い出でくる。
正体を掴めず、気のせいだと思っていたが、やはり何かがある気がしてならない。
「でも旦那のお陰で、なんとか大体確保出来ましたね。これなら明日の祭りでも肉が切れることはないでしょう」
「……なあ、ロージ。他に森で気になったことはないか」
「へ? 気になったこと……ああ、昼に言ってた『違和感』ってやつですか」
「そうだ、何でもいい」
「変なことねえ」
なんとか肉が集まり、ほっと安心しているロージに、ノードは先ほどまでの会話とは一転して真面目な口調で語りかけた。
「やっぱり、小さいのがあまりいなかったのと……今日はやけに風が強かったですねぇ。ずっとざあざあ葉っぱが喚いていましたから、もう煩くて煩くて。
獲物の鳴き声とか、草を踏みしめる音が全く聞こえませんでした。正直、あっしがあの角鹿を仕留められたのは運が良かったですね」
「鳴き声……」
「危うく手ぶらで帰るところでしたよ」と話すロージの言葉の中に、引っ掛かるものがあった。
反芻するように、口の中で何度か呟く。
近い。直感的にノードはそう思った。
「じゃあそろそろ帰りませんか? ご領主様も首を長くしてお待ちでしょうから……ってうわっ!!」
「ヒヒーン!!」
そのとき、一際強い突風が吹き荒れた。
森の木々が強く揺さぶられ大きく音を立て、ノードたちが乗ってきた馬車も幌の部分でまともに風を受けたことで、大きく左右に揺れた。
大きな音に驚いた曳き馬が、立ち上がって嘶きをあげる。
「どうどうどう……落ち着け、ただの風だ」
「ああ、驚いた。凄い風でしたね……あ、でも」
慌てて馬に駆け寄り、手綱を掴んで首筋を撫でるようにして落ち着かせる。
「これも噂をすれば、ってやつですかね? 風がやみましたよ」
突風が通り過ぎると、先ほどまでの様子が嘘であるように、ピタリと風が止んだ。
木々の梢は、風が止んだ後もゆらゆらと揺れて微かな音をたてていたが、次第に揺れは収まり、やがてその動きを完全に停止させた。
すると、ずっと森の中に鳴り続けていた葉擦れの合唱は、ピタリとおさまった。シン、と静まりかえった辺りの様子は、まるで風が通り抜けるときに、音まで一緒に浚っていったかのようであり、『無音』という言葉が相応しい。
「静かですねぇ……」
ロージの呟きは、やけにはっきりと聞こえた。
却って耳が痛くなるほどに静まりかえった森では、ようやく落ち着いた馬の呼吸音や、地を踏みしめる音、衣擦れの音までがはっきりと聞こえるくらいであった。静かすぎて、虫の息遣いまでもが感じとれるのではないか。
「……何だと?」
「どうかしましたかい?」
そこまで考えて、ノードはようやく異変に気が付いた。
ノードの呟きに対して、ロージが森に入ろうとしたときと同じように声をかけた。
「音が……しない」
「まあ、風が止みましたからね」
「違う、何もしないんだ。風だけじゃなくて、鳥も、虫の鳴き声すら聞こえない」
「え? そんな……本当ですね」
ノードの発言に、弾かれたようロージもまたアルバの森を見渡し、森が異様なまでに静かなことに気が付いた。
「一つ聞くが、この時期のアルバの森はいつもこんな様子なのか」
「まさか、そんなわけありませんよ! いつも秋虫の大合唱で騒がしいですよ……こんなに静かなのは、真冬に雪が積もったときくらいでさ」
ノードは自身の未熟さに苛立って、思わず舌打ちをひとつした。
森に入るときに感じた異変は、これだったのだ。
あるべき風景に、何か異物が混入しているのではなく、必要な物が存在しないという違和感。確かに感じ取っていたのに、その正体に今の今まで気が付けなかった。
斥候としての技術を身に付けたことで、自分も成長したと慢心していたのだろうか。
「なんていうか……不気味ですね」
「……」
ロージが思わず、といったように漏らした言葉の通り、虫の鳴き声一つ響かない森の様子は、あまりにも不気味だった。
先ほどまで歩き回っていた森が、まるで異質な、未知の危険が潜む場所のように思えてくる。
(日がもうじき沈む……)
真っ赤な西日を浴びたアルバの森は、まるで血に染められたように赤く輝いていた。
2019 12/27追記
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