20 精霊祭
お待たせしました。
85,000pt&30,000ブクマ、そして百万UAありがとうございます!
これからも頑張ります。
精霊祭当日は、秋晴れとなった。
雲一つなく、青く澄み渡った空の下で、人々が騒ぐ声が村の中に響き渡る。
村の大通り、入り口から中心部の広場にまで続く道には、訪れた行商人たちが露店を開いていた。
商人たちが提供する品は様々だ。村では手に入らない岩塩などの生活必需品だけでなく、精霊祭で浮かれた村人たちの財布の紐が緩むのを狙って、布や紐、鮮やかな装飾品なども店先に並べている。
商人たちは、言葉巧みに村人たちをその気にさせて、品物を売り付けている。
「ちょっと、そこの旦那! 是非見ていって下さい」
「うん? 俺か」
「そうですとも、そこの顎髭の立派な旦那、貴方様です!」
「お、おお……」
今もまた、一人の村人が商人に呼び止められた。
農夫だろう、日に焼けた肌とがっしりとした体格の男だった。
使い古された革製のズボンに目の荒いチュニックを着て、頭には羊毛の帽子をといった、農村の男らしい格好をしていた。しかし、その格好は土に汚れてはいるが、ボロというわけでなく、男は自作農あたりの人間だと見受けられた。
声を掛けられた男は、商人の言葉に、ふらふらと甘い蜜に誘われる虫のように露店へと吸い寄せられる。
「どうですか、うちの品揃え。選り取りみどりでしょう」
「ううむ……目移りしてしまうな」
その行商人の露店は、荷馬車をそのまま店先として利用できる構造になっているらしかった。店先で客を呼び込んでいた店主が、引き寄せられた男性に商品を見せる。
露店には様々な品が並べられていた。小刀、光る石、女性ものの櫛、布や裁縫道具に火打ち石まである。
荷台の上に敷かれた布の上に、品物とともに値札が並べられており、殆どの商品が、銅貨で購入できる価格で提示されている。
「旦那様はご結婚はなされておられる?」
「うむ、妻……家内が一人いる」
「そうでしょう、そうでしょう。旦那ほどのいい男が独り身なわけありません。世の女性が放っておかないでしょう」
「そ、そうか……?」
髭の男性は、商人のおだてに頬を緩めた。
商人の丁寧な言葉使いといい、村の中では味わえない対応に、自分が上等な人間になったような気を覚えたのだ。
「そんな旦那様の奥方様だ。さぞお美しいのでしょう」
「ま、まあ口煩いこともあるが自慢の妻だな」
「では、どうでしょうか。奥方様に是非、贈り物をされては」
「ふむ……悪くない考えだな。だが、何を贈ったものやら」
「こちらはどうですか。この布で仕立てた衣服を着ている奥方様を想像してみてください」
商人が差し出したのは、布地だ。
綺麗に染められた布で、鮮やかな緑色をしている。その布で仕立てれば、美しい衣服が出来上がるだろう。
「いいな……いいぞ!」
「でしょう! ではこちらをお買い上げなさいますか」
「ちなみに……幾らだ」
すっかりその気になった男性は、商人に値段を尋ねる。値札もあるが、男性は文字が読めないらしい。
商人は、布地の値段を告げた。
「そうですね……女性の衣服が作れる程度となると、これくらいですかね」
「な……とてもじゃないが、それでは手が出ないぞ」
布地は高価である。
農村部で羊や植物から収穫された段階ならばともかくも、その後各都市部に運ばれ、織物ギルドで選別された後に布となり、そして染料で染められた後は、生産者である筈の農民にはとても手が出ない金額となる。
顎髭の男性は、提示された金額を聞いて一気に現実に引き戻された。
「そうでございますか……私としても、大変残念でございます」
「悪いな……諦めるとするよ」
「いや、お待ちになってください!」
「なんだ。すまんが、無い袖は振れないよ」
「旦那様ほどの方が、奥方様に手土産一つお渡し出来ないというのは心苦しいでしょう。そこで、どうでしょうか。代わりにこちらの品物などは」
そういって、商人の男が手に取ったのは櫛だった。
木彫りの櫛で、細かい装飾がされている。花の意匠が施されたそれは、女性に上げれば喜ばれるであろう品だった。
「これは見事な細工だが……幾らだ」
「本来ならば、大銅貨が五枚……と、言いたいところですが、他ならぬ旦那様のためです。なんと! 大銅貨二枚でご提供致しましょう!」
「お、おお……! ありがたい、それならば何とか払えるぞ」
農夫の男は懐から革の財布を取り出すと、中をひっくり返すようにして銅貨をかき集め、商人に手渡した。
商人は、小銅貨ばかりのそれを、ひのふのみの……と数え、正しくあると分かると、品物を手渡した。
「お買い上げありがとうございました、旦那様!」
「ああ、こちらも良い買い物をさせて貰ったよ、ありがとう!」
「いえいえ、こちらこそお役に立てたようで何よりです」
そうして農夫の男性は、大銅貨一枚と値が付けられた櫛を懐に入れて、妻の喜ぶ顔を頭に浮かべながら、立ち去った。
(へへへ……儲かったぜ。おっ、あの男身形が良いな、冒険者だな。さあ、また儲けるとするか)
農夫の男性が立ち去り、ニヤリと口元を歪めた商人は、次の客を見つけた。
二十前後の金髪の青年だ。布のズボンにチュニック、革のベストといった町人風の格好をしている。
腰には剣を差し、胸元には水晶のギルドプレートが覗いているのが見えた。おそらく近隣の町に滞在している冒険者が、遊びに来ているのだろう。ひょっとしたら、この村の出身なのかもしれない。
「そこの冒険者の旦那! 是非見ていって下さい!」
「うん、俺か?」
「そうです、そこの金色のお髪をした貴方ですとも」
「ふーん。まあ、夕方までやることもないから、暇潰しに見ていくか。何を扱ってるんだ?」
(よし、こいつも文字が読めないようであれば、毟ってやろう)
商人の男は、金髪の青年に品物を売り付けるために、行商で鍛え上げた接客の口上を告げるべく、口を開いた。
§
秋空が段々と赤く染まる頃、ノードはオブリエールの屋敷へと帰ってきていた。
アルバ村の精霊祭は夜まで続き、明日を含めて二日間夜通しで執り行われる。
そのため、むしろ祭りはこれからが本番といってもいい位であったが、ノードは一度屋敷へと戻ることにしていたのだ。
「おーいニュート。いるか?」
「きゅい!」
「あら、お帰りなさい。ノードさん」
「ノードおにいさま」
「おかえりなさい」
滞在しているオブリエール家の客間、借り受けた自室にニュートの姿が無かったので、ノードはニュートの名前を呼んだ。
すると、居間の方から声が聞こえたため、そちらへ向かうと、居間の床に座り、部屋の中に入ってきたノードの声に反応して、首を持ち上げたニュートの姿があった。
そしてその周りには、オブリエール家の姉妹が揃っていた。
「もしかして、面倒を見て貰っていましたか?」
「いえ、いいんですのよ。こっちも退屈していましたから」
「フランカお姉様と留守番してたのよ!」
ノードは精霊祭の見物に出掛けていたが、流石にニュートを連れていく訳にもいかず、オブリエール家の屋敷で留守番するように言い聞かせておいていた。
ニュートがエミリアと空を飛んだ事件は、オブリエール家にすっかり広まっており、再びエミリアが飛ばないように、ヨハンから使用人たちに気を配るよう言い含めていたため、再犯の危険は低かった。
しかし、それでも心配だったのだろう、ニュートと遊ぶエミリアの監視の為に、オブリエール家の上の姉たちが面倒を見ていてくれたらしい。
「いや、申し訳ありません。本来ならば私がニュートの面倒を見なければならない所を……」
「本当に構いませんのに」
汗顔の至り、とばかりに恐縮するノードに、長女であるオブリエール夫人のカティアが、居間の椅子に腰かけたまま、鈴を転がすような声色で笑った。
「それよりもノードさん、精霊祭はどうでしたか」
「大変な賑わいで驚きました。もっと……あー、その」
「もっとみすぼらしいお祭りだと思ってらした?」
「……いえ、まあ」
「ふふふ、気にいたしませんわ。あの人も同じことを一昨年仰っていたんですから」
つい、王都の精霊祭の規模を念頭に考えていたため、大したことがないだろうと考えていたノードであったが、アルバ村の精霊祭は、流石に規模こそ大きく劣るものの、人々の賑わいに関しては、負けず劣らずという具合であった。
「明日も精霊祭は続くと聞きましたが」
「ええ、今日は収穫を祝う豊穣祭を兼ねた前夜祭です。大地の精霊様にお祈りを捧げるのは、明日ですわ」
「司祭さまがくるの!」
「よく覚えていましたね、アリア」
「ウェインの町の神殿からですか?」
夫人が、隣に腰かけた末妹の頭を豊かに波打つ金髪の頭を、優しく撫でる。
アリアがいった司祭というのは、大地の精霊と神を祀る神殿から派遣されてくるのだろう。ノードが近隣の、冒険者ギルドのある町の名前を出してみると、夫人はその通りです、と深く頷いた。
「アルバ村はウェインの町が近くにあるので、交流も深く、何かと助かっていますの」
「ああ、そういえば今日はやけに人が多いと思いましたが、ひょっとして?」
「ウェインの町にはアルバ村の縁者が大勢いますから」
その親戚たちが、精霊祭を機会に帰省してくるということである。ノードは昼間、祭りで賑わう村の中に、やけに人が多かった理由が分かった。明らかに村の住民よりも多いと感じていたのだが、行商人たち以外にも人口が一時的に増えていたのである。
「それより、ノードさん何か御用があったのでは?」
「ああ、そうでした。これをニュートにやろうと思いまして」
「!」
そう言ってノードは、手元の包み紙を開き取り出したのは、焼き串であった。
買ってから急いでやってきたので、まだ温かく、包み紙を開くとふわりと美味しそうな薫りが居間に漂った。
その存在を認識していたのか、先程から尻尾をふりふりと左右に振っていたニュートに対し、「ほら、やるぞ」と声を掛けると、ニュートは尻尾をピン! と伸ばして焼き串にかぶりつく。
前肢で串を器用に保持して、上手いこと肉を食べていくニュートの姿を見て、エミリアが「可愛い」と声を漏らす。
そして、エミリアは座ったまま何かを期待するようにノードの方を見上げた。
それを見て、ノードは手元の焼き串をエミリアへと手渡した。
「ありがとう、ノードお兄さま!」
「どういたしまして」
「ほら、ニュート、おかわりよ」
ぱあっ、と輝くような笑顔を浮かべたエミリアが、一本目を食べ終わったニュートの鼻先に、新たな焼き串を差し出した。するとニュートは、今度は串を持ったエミリアの手に、そっと自分の前肢を添えて、そのままはぐはぐと、串に刺さった肉を食べた。
「あー、おねえさま。アリアもしたい」
「ごめんなさい、ノードさん。こちらにも下さる?」
「もちろん構いませんよ」
その様子を見て、カティアの隣に座ったアリアが自分もやりたいと愚図り出す。エミリアよりもさらに年下の、今年四歳になる彼女は姉の真似をしたい年頃なのかもしれない。
どうぞ、と次の焼き串を快くノードが手渡すと、カティアに支えられながら、エミリアと一緒にアリアが焼き串を差し出す。
ニュートは、次から次へと好物の焼き串を食べられるので、上機嫌になり「くるるる」と、嬉しそうに鳴いた。
ガツガツ、と尻尾を揺らしながらノードの買ってきた土産を食べるニュートを見ながら、ノードは「そうだ」と思い出したように、懐をまさぐった。
「これをどうぞ、義姉上。他のみんなの分もあります」
「これは? まあ、綺麗な櫛!」
「貰ってよろしいんですの?」
「勿論ですとも、お世話になっているお礼です。まあ、大した物じゃなくて恐縮ですが」
ノードが取り出したのは、細やかな装飾が施された木彫りの櫛だった。オブリエール家の姉妹の人数分ある。
花や鳥など、可愛らしい紋様が施されており、年頃の女性陣には丁度良かろうと、ノードが見繕ったものだ。
居間にいた他の姉妹──次女のフランカと、三女のメイ──も、ノードの差し出したお土産に顔を綻ばせていた。
「お気に召していただければ、幸いです」
「ありがとうございます。ノードさま」
「いえいえ、美しいお嬢様たちのお髪に使っていただければ、作った職人も本望でしょう」
「まあ、お上手」
「お、ここに居たのか」
そのとき、ガチャリと居間の扉が開く音がして、ヨハンが中へと入ってきた。
「おおノード……うん、それは櫛か」
「はい、お義兄さま。ノードさまが私たちに贈り物をしてくださったのよ」
「中々悪くない意匠だな……しかし、五つも買えば高かったのではないか?」
「そんなことはありませんでした。良心的な商人が、ご婦人への贈り物だというと、張り切って割引きしてくれましたから」
「そうか、ならばよいが」
全部で大銅貨二枚でした、とノードは姉妹たちには聞こえない声量でヨハンに言った。
文字が読めない相手に、吹っ掛けた値段で品物を売り付けようとした商人がいたので、敢えてその手口に乗っかり、会計前それを指摘しただけである。
まさか騙そうとしたのか、と。剣呑な雰囲気を漂わせたふりをノードがすると、その商人はしどろもどろになりながらも、快く大幅に割引いて、商品を提供してくれたのだ。
「と、そうだった。ノードに頼みたいことがあったんだ」
「なんでしょうか」
「いや、先ほど精霊祭の様子を見てきたんだがな。想像以上に焼き串が売れてて、明日の昼には肉が足りなくなるかも、と報告を受けてな」
「なるほど、それで森に狩りに行けということですな」
「話が早くて助かる。狩人のロージだけでは手が足りそうにないらしくてな、頼めるか?」
「勿論ですとも。ただ飯を食べてるだけでは申し訳ないですからな、是非協力させていただきましょう」
ニュートの方を見ると、丁度最後の一本を食べ終えた所だった。串を持っていたエミリアとアリアの手に垂れた肉汁を、ペロペロと赤い舌で舐めている。
「ニュート、腹ごしらえも済んだだろ。一仕事しに行くぞ」
「きゅう!」
ノードが声を掛けると、ニュートは任せろ、と言いたげに、高らかにそう鳴いて、次いでケプと口から空気を漏らした。