桜が舞う季節
プロローグ『絶望の果てにあるのは絶望』を改変したものです。
※2018/12/3 再投稿
※2018/12/5 改変&サブタイトル変更
季節は春――
正宗 光希の心は高鳴っていた。
それは、光希が五年ぶりにこの街に帰ってきて、幼馴染であり光希が恋をしている少女に会えるかも知れないからだろう。
そんな、浮かれた気分で光希は駅を出ると周りを見渡した。
「久しぶり来たけど、変わってないな」
駅のロータリーに止まるタクシー、コンビニ、居酒屋。光希が引っ越す前の五年前と何もかも変わっていなかった。
光希は、それが何だか嬉しかった。
その嬉しさは幼馴染の少女、久我 花桜里との繋がりを感じているのかも知れない。
両親の死をきっかけこの街を離れる事になった光希にとってこの街の風景が花桜里との繋がりを証明してくれているような気がした。
「取りあえず家だな」
そう言い、光希は自分が借りたアパートへと足を運ぶ。
その道中にも、花桜里と光希の妹である凜の三人で遊んだ、公園や初詣に行った神社など、懐かしく、思い出深い場所が何か所もあった。
そんな、懐かしさを感じていると、光希の借りたアパートが目と鼻の先に有った。
「ここが、新しい俺の家か」
光希の借りアパートは、古いが家賃が安く敷金礼金はゼロの破格物件だった。
しかも、その割に部屋は広く1LDKだ。外見と内装のボロさを無視すれば、光希にとっては、暮らしやすいくらいだった。
「……前の家よりは断然、良いよな」
そう呟くと嫌な思い出がフラッシュバックした。殴られ、蹴られ、食事を与えられない日々……
そんな過去を思い出し、せっかくの良い気分が台無しになる。
「はぁ……これはもう忘れよう」
光希は、そう言うと買っておいた家財道具や服などの新生活に必要な物が入った箱を開け始めた。
それから数時間が経ち、積まれた段ボールが無くなった頃、光希のお腹から腹の虫が鳴いた。
「ふぅ……こんなもんかな。っと……もう、こんな時間か……今日はコンビニだな」
窓の外を見ると、空は赤くなり日はもうすぐ沈みそうだった。
そんな、眩しい程に美しい夕日を見ていると、一つの言葉を思い出した。
「そう言えばじいちゃんが昔、大禍時には外に出るなとか言ってたけな……良くない事が起きるとかで……まぁ良いか。飯を買いに行くだけだし」
大禍時は、この世とあの世の境界が曖昧になり、死者がさまようとされ、昔から悪い事が起きると言われている。
しかし、その話を忘れている一希はこの後、この忠告を聞いておけばよかったと思うのだった。
光希は店内に入ると適当に品を選びレジへと持って行き会計を済ませる。
「ありがとございしたぁ~」
メイクが濃く金髪のギャルっぽい女性の店員が挨拶をすると同時にコンビニの外に出る。
すると、光希の目線の先に二人の少女と一人の少年の姿が視界に入った。
その光景は、光希と花桜里、凜の三人で遊んだ帰りの姿を光希に連想させた。
「中の良い兄妹か…………」
光希は小さく呟く。しかし、その場から光希は動けなかった。
なにせ三人のうち二人の少女の後ろ姿は、成長しようとも光希が絶対に見間違えることの無い後ろ姿だったのだから。
一人は、長い黒髪をストレートに伸ばしており、赤い夕日の光をキラキラと反射させている少女。
もう一人は、成長して髪も伸びているが栗色の癖毛で、人懐っこそうな少女。
「かお……ちゃん?……凛?」
光希は、そう呟く。しかし、二人との距離は遠くその声が届くことは無かった。
すると、光希の目から涙が溢れ出し二人の後ろ姿に向かって手を伸ばす。しかし、その手が二人に届くことは無く途中で手を下ろした。
それは二人の隣に居た少年が視界に入ったからだ。
(身長・年齢的に凛の彼氏では無いだろう……となるとやっぱり――)
光希は、二人の隣に居る少年を花桜里の彼氏だと思ってしまったのだ。なにせ二人は、笑い合い、楽しそうに喋っていたのだから……
その光景には光希の入る余地など無く、光希が居るハズの場所には変わりの人間が居た。
そんな、幸せそうな場所を光希が入って行けなかった……。
入って行ける訳が無かった。
「そっか……」
(二人は幸せなのか……。なら、俺は要らないな……)
光希は一人完結させると脇の路地に入り少し遠回りしてアパートへと帰って行った。
流れそうになる涙を堪えながら……。
♰
「ん?」
少女は視線を感じ後ろを振り返った。
「どったの?花桜里お姉ちゃん」
「いま、誰かに見られていた様な……」
「まさか!?ストーカー!」
「ハハ、大丈夫だよ。二人は僕が守るからね」
「大助先輩は優しいですね!」
「あぁ、二人の為だからね」
「……」
凛と、大助が会話をしている間にも花桜里は誰もいない道を眺め続けた。
(ストーカー?いや、違う……。そんな嫌な視線じゃ無かった。昔よく感じた安心する視線。)
花桜里は感じた視線にある人物像が思い浮かんだ。暖かく見守り、優しくそばに居てくれた。そんな人物を――。
「きーくん?」
花桜里は思わず呟いてしまった。
「きーくん?誰だいそれは……」
大助はその言葉を聞くと少し嫌そうな顔をする。
「お姉ちゃん、あの人がここに居るわけ無いよ。だって私を置いて、あの人達の所へ行っちゃったんだから!」
しかし、そんな大助を無視して凜が怒鳴った。
「どうしたの?凜ちゃん。急に怒ったりして……」
「う、ううん、ちょっと昔の嫌いな人の事を思い出しただけ」
大助の言葉で冷静になり適当に誤魔化す凜。
「そう、だね……」
そんな凜の言葉に花桜里は、少し悲しそうにしながら答える。
(凜ちゃん。きーくんは、凜ちゃんと私の為を思って一人であの人たちの所へ行ったんだよ……)
花桜里は、内心でそう言うしかなかった。
「さぁ、もうすぐ日も落ちるし急ごうか」
「うん!」
「そうだね……」
三人は再び足を動かし始めた。
(また、会いたいよ……きーくん)
そう思いながら、再び視線を感じた道を見つめる花桜里だった。
♰
「はぁ………」
光希は、アパートに帰って来るとベッドに倒れこみため息を漏らす。
いや、漏らしたいのはため息だけでは無かった。
光希は花桜里に対して『どうして……』そう問いたかった。
しかしそれは出来なかった……
そうする事は光希の望みに反するのだ。『二人が幸せに暮らして欲しい』と言う願いに……
だから、光希はその憎悪を自分に向けた。。
「悪いのは俺だ、悪いのは俺だ、悪いのは……(悪いのは勝手に期待した自分だ……)」
そう、一人自分に言い聞かせるように呟く光希の瞳には、今にも溢れそうな程の涙が溜まっていた。
それから、光希は年甲斐もなく泣き叫んだ。両親が死んだとき、花桜里と凜との別れの時ですら涙を流さなかった光希が初めて大声を出して泣いたのだった。
そして、光希は泣き疲れ眠った。しかし、タイミングを見計らったかの様にその日、光希が見た夢は最悪なものだった。
♰
~五年前~
当時充希はまだ十歳だった。
そんな十歳の少年に考古学者をしていた両親の死と言うのは、大きく伸し掛かった。
それこそ、今にも泣き叫びたいほどに……
しかし、光希は泣く事は一切なかった。
それは、まだ七歳の凜の存在があったからだ。
七歳と言う年齢は、丁度精神が発達し死と言う概念を理解する事ができる年齢だ。そんな発達途上の小さな少女の心には両親の死と言うのは、当然受け入れがたい現実だった。
だから、光希は少しでも安心できるよう、常に笑みを見せ凜の傍で『大丈夫、大丈夫だから。お兄ちゃんはずっと凜の傍にいるから』と両親の葬式の日まで慰めていたのだ。
それこそ、周りの大人が気味悪がるほどに……
そして、両親の火葬が終わると当然の如く光希と凜を誰が引き取るかと言う話となった。
「どうするの?まだ凜ちゃんは小さいし……」
「そうだなぁ……」
そんな話をして言う大人の傍らに光希と凜は居た。
「私は、無理よ?もう年だし……」
「それを言ったらわしも……」
大人たちは二人を引き取ると言う話だったハズなのに、いつの間にか誰かに二人を押し付けようと言う話になっていた。
しかし、それは無理も無かった。
二人の引き取りの話し合いをしている大人たちの平均年齢は四十歳後半だ。自分達の子育ての経験、経済的懸念などを考えれば責任ある大人としては正常の判断とも言える。
そんな風に大人たちの話が煮詰まっていると、一人の男が手を上げた。
「なら、俺が引き取ろう。当然二人ともだ」
手を上げたのは光希の叔父だった。
本来なら、誰もが一番正しい判断だと言える。
しかし、その叔父に対して誰一人良い顔はしていなかった。
それは叔父には、遺言書が有ったにも関わらず光希の祖父の遺産で光希の父親と争うと言う前科が会ったからだ。
当然、今回二人を引き取ると言った理由は光希の両親の遺産が目当てだと親戚一同推測は出来た。
しかし、なおも二人を引き取ると言う親戚は現れない。叔父に渡して酷い目に遭わせるか、自分が引き取って自分がひどい目に遭うかの二択だった。
そんな選択肢をすぐに出せる人間は正義感の強い偽善者だけだろう。
しかし、一組の夫婦が光希と凜を引き取りたいと手を上げた。
「私たちが引き取ります」
その声に、親戚たちが驚く。
なにせ、そう言った声は親戚の輪の外に居た花桜里の両親だったのだから。
「久我さん……」
「久我さん。無茶だよ……花桜里ちゃんも居るんだし……」
親戚達が止めに入る。
しかし、花桜里の両親はもう決意した様に真っすぐ親戚たちの目を見つめた。
「いえ、花桜里と光希君、凜ちゃんは私達の子供の様なものです。花桜里の為にも二人を引き取らせてください」
花桜里の両親はそう言うと、頭を下げる。
「ん……」
親戚たちは困ったように顔を見合う。
それは、二人を全く血のつながりの無い人に預けてしまって良いのだろうかと言う不安だった。当然、誰一人花桜里の両親が悪い人だとは思っていない。ただ、自分たちが世間からどう見られるのかと言うのが心配だったのだ。
しかし、未だ頭を上げない花桜里の両親を見た親戚たちは小さく息を吐くと、笑みを浮かべ『よろしくお願いします』と言った。
ここで、話が終わればすべて丸く収まった。しかし、収まる訳が無かった……。
「ふざけるなぁ!そんな、赤の他人に兄さんの子供を託せるかぁ!」
叔父が怒鳴り始めたのだ。
「ふざけるなはこちらの台詞です。貴方に光希君と凜ちゃんを託す方が心配です!」
しかし、怒鳴っていた叔父に対し花桜里の父親が冷静に返す。
それに、顔を真っ赤にした叔父が椅子を蹴り飛ばした。
「それは、どういう意味だぁ!」
「ひぃ……」
怒鳴る叔父に凜が怯えた様な声を漏らすと充希の服の裾にしがみついて来た。
この時点で、光希の頭の中にはこの叔父は危険人物認定され『ここで揉めたら花桜里や凜にどんな危害が加えられるか分からない』と言う思考に到り光希は口を開いた。
「僕は叔父の下へ行きます。凜はおじさん、おばさんお願いします」
その言葉を聞き叔父は満足したのか、口角を上げ下卑た笑みを浮かべる。
光希が、叔父の下へ行けば少なからず叔父の下にも両親の遺産は分配される。そうすれば、少なくともこの場で暴れ出すと言う事は無くなるだろうと考えたのだ。
「っへへ、分かってるじゃねぇか」
そう言った、叔父は気が付いていないだろうが、親戚から嫌悪の視線を向けられていた。
「お、お兄ちゃん……」
凜は、光希の言いだした事を理解したのか、少し遅れて光希の手を強く握った。
「凜、ごめんな。お兄ちゃん叔父さんの所に行かなくちゃいけないから、これでお別れだ」
光希は凜の頭を優しく撫でる。
しかし、凜は納得しなかった。出来る訳が無かった。
両親を失って、兄まで自分の前から居なくなると言われ凜の頭の中が不安で埋め尽くされた。(お兄ちゃんも何処か遠い場所に行ってしまう……)と……。
「いや……お、お兄ちゃん約束したもん……。ずっと一緒だって……約束したもん……」
そう言われ光希は困った。今まで凜には嘘を付いた事が無かった。だから凜は光希を信用し、信頼し『ずっと一緒』と言う言葉を信じた。
しかし、兄が自分の目の前から居なくなる……それは凜にとって兄がする訳の無い事だった。
「ごめんな……」
光希はそう言うと凜の頭からそっと手を退かし背を向ける。その行為は凜にとって光希の裏切りだった。
「おじさん、おばさん。凜の事をお願いします」
光希は花桜里の両親に頭を下げる。
「二人一緒でも良いんだよ?」
「そうよ?どうせ光希君の事だから、養育費の事とか考えて言っているのかも知れないけど、そんな事あなたは気にしなくても良いのよ?」
伊達に赤子の頃から光希を知っているだけあり、光希の考えている事はお見通しだった。
だからこそ、このあとに光希か言う言葉も予想できた。
「いえ、かおちゃんと凜の幸せが優先ですから。お願いします」
「はい。任されました」
そう言った花桜里の母親は何処か悲しそうだった。光希を説得する事の出来ない自分が不甲斐ないのだ……。
「お兄ちゃん……いっちゃやぁだ……」
凜は自分に背を向け歩いている光希を追いかけようとする。しかし、途中で花桜里の両親に抱き留められてしまう。
「ごめんね……凜ちゃん。おばさんとおじさんじゃぁ……光希君を止められなかった……」
「おにいちゃん……」
最後に小さくそう言うと、花桜里の母親の胸で凜は泣き出してしまう。
「ごめん。凜」
光希は小さくそう呟く。
すると、後ろから声を掛けられた。
「きーくん行っちゃうの?」
振り返ると居たのは涙を浮かべた花桜里だった。
「うん。あの人を放っておくとロクな事にならなそうだから……」
光希は優しい笑みを浮かべ花桜里にそう言う。
「そっか……じゃぁ。また会おうね」
花桜里は今にも泣きそうな顔を無理やり笑顔に変える。
「うん。必ず」
「約束、忘れないでね」
「うん。絶対にまた会いに来るから」
「「じゃぁね。また」」
そう言うと、光希は花桜里に背を向け叔父の下へと歩いて行った。
それからの光希の生活は地獄だった。
毎日、叔父夫婦の家の雑用。食事は三日に一回あれば良く、皿に乗っている事は無く床に落ちた物を食べる。その他は、公園の水、食べられる雑草を食べ凌ぐしか無かった。
さらに、叔父夫婦やその子供に毎日、憂さ晴らしに殴られ、蹴られる。
そのせいで全身があざ塗れになり、流石に気が付いた小学校の担任の先生が児童相談所に連絡をしてくれたが、職員が来ても叔父夫婦は玄関の扉を開ける事は無く、居留守を使ってスルーをした。
そして、職員が来た事に苛立ちを覚えた夫妻は更に光希を殴る。
さらに、風呂も入れず、服も洗えない光希は、学校でもいじめられるようになる。
すると、先生も学校でのいじめをバレたく無いのか児童相談所へ連絡することは無くなった。
学校へ行っても殴られ、蹴られ、誹謗中傷される。
家に帰っても殴られ、蹴られ、罵声を浴びせられる。
そんな生活の中で唯一、花桜里と凜の事だけが光希にとって生きがいだった。
だから、必死に生きた。死ねば、約束を破る事になるから。
だから、必死に我慢した。耐えれば、相手は飽きると思ったから。
だから、やり返さなかった。やり返せば、相手と同類の下等生物となると思ったから。
そんな日々を“五年過”ごした。
「判決を言い渡す。被害者両親の遺産を被害者への返還、及び慰謝料一千万円を命じる」
光希は、中三になると児童相談所の協力を得て民事で裁判を起こした。
中学まで待ったのは、苦痛の分だけ民事の場合は、慰謝料の求められる金額が変わるからだった。
「そ、そんな……どうして!」
「どうして?すごい発言だね。刑事で訴えられなかっただけ有難いと思いなよ。刑事だったら速攻で有罪判決、決定だよ?これだけの証拠が有るとね」
そう言って裁判長が取り出したのは光希が提出した証拠の数々だった。
光希は毎日、広告の白紙の部分に何日に何をされた、と言う日記をつけていたのだ。そして、極めつけは全身にある痣や骨折の跡だった。
そして、裁判長は法廷を出て行った。
「っふ、こんなの払わなければ……」
「払わらなくても良いけど、俺はもうアンタの貯金口座とその他諸々の口座番号、を抑えてるから強制執行がかかるとさらに金を取られるぞ?」
「っぐ……」
この時、叔父は憎しみの表情で光希を見ていた。なにせ、叔父が貯金している全財産を持ってかれるのだから。
こうして、虐待から逃れた光希は、しばらく児童相談所のお世話になりながら学校に通った。
しかし、学校でのいじめは続いていた。このいじめも文部科学省に訴えてもよかったが、それをするのも面倒になっていた光希は、いじめっ子の顔面に殺気の乗った拳を寸止めした。
「いい加減、面倒くさいんだけど?」
「っひ……」
光希の本気の殺気がこもった拳にいじめっ子は恐れをなし逃げて行った。
普通の中学生が、殺気など味わう事は無いのだから当たり前かもしれない。
「あとは、進学するだけだな……」
一人残った光希は、澄んだ空を見上げ呟いた。
♰
「はぁ……嫌な夢を見たな……」
光希は、自分の手を見てそう呟いた。
光希の手首には、呪いの様に拘束具によってできた痣が残っていた。
「はぁ……学校に行くか……」
ため息交じりに言った光希は制服を手に取り、服を脱ぎ始めた。
「それにしても、行く気がしないな……」
昨日のテンションとは打って変わって、光希は死で三日から四日経ち腐りかかった魚の様な目をしていた。
「はぁ……」
一応、花桜里の事は立ち直る事が出来たが、未練が断ち切れたわけでは無かった。
そう簡単に断ち切れるものでは無いだろう。なにせ、あの生活環境の中で五年間思い続けたのだから。
「もしかしたら、学校で会えるかも知れないし、居たら話しかけてみるか……」
そう決め、光希は新しい制服に袖を通す。
本来なら、3年前に袖を通す予定だった。中高一貫校の制服。
黒よりの赤いブレザーを来た自分を姿見で確認する。
「やっと着られたな……」
何処か悲しそうに光希は呟くと、朝ごはんを食べずに家を出た。
光希は、何年も飢えて過ごしていた所為で空腹には慣れてしまっていた。特に気分が落ち込んでいるときは……。
玄関を出ると、光希の心境とは真逆の真っ青な青空が広がっていた。
「暖かいな……」
四月の暖かい気温とは裏腹な冷たい声を出しながら光希は学校への足を一歩踏み出した。
♰
「ここを曲がると……あぁ、ここか」
道の角を曲がった先に高校の正門がある。
「しっかし……長いな……でも……」
そう、この学校の正門までは約300メートルの直線がある。しかし、その脇には、満開に咲き誇る桜が舞っていた。
「綺麗だけど……今は、見たくなかったな」
光希は桜を見ると、花桜里を思い出してしまうのだ。
花桜里の名前もそうだが、笑顔の花桜里は満開のさくらの様だったから……
そんな事を思っていると、横を殺気の塊が過ぎていく。
五年間、殺気を向けられ続けた光希は、少し殺気に敏感になっていたのだ。
「何だ?……この先には学校しか……って……」
今、光希の横を通り過ぎた小太りの男の手にはナイフが握られていた。
「おいおい、マジかよ……危な……」
大きく声を上げようと前を見た瞬間そこには花吹雪と共に黒髪を揺らす花桜里の姿があった。
(っつ!)
光希は気が付くと荷物を捨て全力で走っていた。
(くそ……運動不足がぁ!)
光希はそう思っているが、光希の走っている速度は相当早い。
(ま・に・あ・え・えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ―――――――)
光希は内心でそう叫び必死に手を伸ばす。
「おらぁあああああ、しねぇぇぇぇぇぇぇええ」
「えぇ?」
小太りの男がナイフを構えた瞬間、男の殺気に気が付いた花桜里が振り返った。
しかし、ギリギリで光希は花桜里を後ろに押し飛ばし男の花桜里の前に自分の体を入れる事が出来た。
しかし……小太りの男が持っていたナイフが光希の左胸に刺さってしまう。
「っぐぅ……いっ……」
「きゃぁあぁぁああああああああああああああああ」
「は、っは……っはははははははははははっはは、は、は」
他の生徒の叫び声が聞こえた後に、小太りの男……いや、光希の叔父は狂った様に高笑いを上げた。
「絶望を与えようとしたら、まさか自分から死んでくれるとわな!ぎゃぁはあはははは」
「っ……いい加減にしろよ!」
光希はそう言いながら拳を強く握りしめ叔父の顎を目掛け拳を放った。
「ぐぅっふ……」
拳はもろに顎にあたり叔父の頭はあり得ない方向に向いていた。恐らく、もう体を動かす事は出来ないだろう。
「だ、大丈夫、です……か……」
花桜里が慌てて駆け寄ると、刺された少年の姿に花桜里は驚愕した。
「きー……くん?」
「はは……ひ……さしぶ……り…」
光希はそう言うと笑顔を見せる。
「な、何で、きーくんが……」
花桜里は突然の出来事に思考が追い付かず、倒れそうになる光希を抱きかかえる事しかできなかった。
「き、昨日……帰って……きてね……っぅ……」
光希は花桜里の質問に笑顔を見せ答える。
「じゃぁ……もしかして昨日視線は……」
花桜里の言葉に光希は小さく頷く。
(あぁ……かおちゃんも気づいてくれたのか……)
光希はそう思うと全身から感じる熱や痛みが気にならなくなった。
それは多量の出血の所為ですでに感覚が無くなりかけているのか嬉しさからからなのかは分からない。しかし光希にとってそんな事はどうでも良かった。
ただ、覚えてくれたことが途轍もない程、嬉しかった。
「#$、&%‘$、#、#&%$!!」
花桜里は何かを思い出したかのように慌ただしくポケットからスマホを取り出しているのが光希の霞む目で何とか見る事ができた。
しかし耳は完全にボーっとしている為、聞こえなくなっていた。
だが光希は花桜里がスマホを取り出した時点でやろうとしている事は分かっていた。
だから光希は花桜里の暖かい手に自分の振るえる手を乗せ力いっぱい下へと力をかける。
「####?」
光希は力尽きそうな程ゆっくりと首を左右に振る。
「もう……無理だから……」
光希は精一杯絞り出した声でそう言った。
「#$……#$%&/*-+&?」
光希には花桜里が何を言っているか分からない。
しかし花桜里の今にも零れ落ちそうな涙と必死な表情に光希は花桜里の心情を予測した。
(何でそんなこと言うの!って感じかな……)
今にも死にそうなのに以外に冷静な自分に驚きつつも笑みを零した。
「最後に、かおちゃんに会えてよかったよ……」
最後にそう言い残し……。
ここで、光希の意識は完全に消えた。
ただ最後に最愛の人に見送って貰えたと言う幸せな感情と『これから先、守ってあげられない』と言う後悔を抱き……。
♰
こうして、正宗光希の一生は幕を閉じた。閉ざされた。
笑顔が太陽みたいで可愛いい妹と桜の様に優しく微笑み愛おしく思う幼馴染を残して――。