14.ヒロインの視点
私がゲームの世界に転生した事に気付いたのは齢四歳の頃だった。
そのきっかけは、とある少年との出会いということだけ言っておこうかな。
彼との出会いで、自分がこの世界のヒロインだと知るわけだけど、正直不安でいっぱいだった。
当然だと思う。
頭に流れ込んだ前世の記憶から、自分がゲームの世界のヒロインと合致していたとしても、誰がそう簡単に信じられようか。
だけど上流階級のご子息、ご令嬢が通う学園に転入することになった際、ああ、本当なのだと漸く思った。
だってそんな学園への転入だなんて、お金か余程の成績優秀者じゃないと入れないでしょうし。
うちは一般家庭だし、私も成績は普通だったから。
この『ありえない』事態が何よりの証拠だと思った。
そこからは私はある目的を持って、前世の知識を駆使しながら攻略対象者たちと接していった。
シナリオ通りに進んでいるのか大いに不安でもあったけど、攻略対象者のイベント発生の前座でもある『天野麗花とのイベント』が起こったのだ。
やったー!発生したよ!!
と、内心どれだけ飛び上がって喜んだ事か。
だけど、初めて会った彼女は厳しく冷たいけれど、真面目で良識ある人間というのが第一印象だった。
おかしいな、『悪役』令嬢じゃないぞ、とも思った。
だけど他の攻略者とのイベントも進んでいるし、問題ないよね?と多少気になりながらも、そのまま進んでいった。
彼女と接していると、厳しくて胸は痛むし、耳も痛いが、自分の間違いを正してくれるようで、とても心地いい。
この世界はあまりにも私に優しいから。
……不安に思うくらい。
だからなのか、唯一私に厳しくする彼女を次第に好きになっていった。
だから、彼女の婚約者と接する時に目に入る彼女の姿に胸を傷めてしまう。
そんな痛みに目を伏せて、私はそれでも進んで行くしかなかった。
そして私の教科書が切り裂かれる。
後で思えば、私も所詮はこの世界の『駒』でしかなかったのだろう。
酷い悪役令嬢、彼女に裏切られたわね。
やはり破滅すべき人物。
さあ排除しましょう。
突如、頭の奥に響く暗い声に自分の意識が持って行かれた。
彼女がやったと思い込んでしまった。
気付いた時には、教科書を抱きしめながら「どうしてあなたが……」と発していた。
彼女が青ざめた顔で違うと否定して去って行っても、私の心は疑心暗鬼でいっぱいだった。
慰めてくれる周りの人たちの声に、余計心をかき乱された。
そんな中、一つの声がした。
「本当に天野なのか? 彼女、自分はやっていないと言っていたけど?」
暗いもやを切り裂くような言葉に私は顔を上げた。
そんな私を真っ直ぐに見つめて、彼はもう一度繰り返す。
「天野麗花は、自分はやっていないと言っていた。彼女と決めつけて、お前は本当にそれでいいのか?」
お前は本当にそれでいいのか……?
……『私』は本当にそれでいいの?
彼の言葉に耳を傾けると、頭の中のもやが晴れるようだった。
冷え切った体に熱が戻り、思考も戻って来るような感覚だった。
そうだ、落ち着こう。
落ち着かなければ。
麗花さんは先ほど、確かに自分じゃないと言った。
私が彼女だと思い込んでしまっているだけだ。
だったらもう一度、彼女に会って確かめなければ。
私は立ち上がると、走り回って麗花さんの姿を探す。
いつも呼び出される校庭の裏にはいなかった。
では、彼女が婚約者と度々会っている屋上かもしれない。
そう思って階段を上がっていると、彼女の声が頭に降ってきた。
「ここにいらしたの」
それだけ言うと、彼女はゆっくりと降りてくる。
逆光の中、彼女の表情は見えなかったけれど、何故か背中に悪寒が走った。
そして彼女と間近で視線を交わした瞬間、どろりとした嫌な感覚が襲ってきたのだ。
「麗花さま……?」
「私がやりましたの。後悔などしておりませんわ」
彼女はまるであらかじめ用意された台詞を読むように無感情のまま言った。
「え?」
「私がやった、と言いましたのよ。あなたが憎いんですもの。私の婚約者を奪って、憎くて憎くて仕方ありませんの」
その瞳はまるで全てを拒絶するような、闇に満ちた色だった。
……普通じゃない。
胸がドクドク高鳴る。
「麗花様! あなた、麗花様じゃ無いわ! そうでしょ!?」
「何をおっしゃるの。私は『あなたを傷つける者』なのですよ」
まるで役割のような言葉。
先ほど私に聞こえた暗い声。
もしかして麗花さんにも聞こえたのだろうか。
そしてこれはゲームの世界が正しい結末に戻そうと私たちを誘導しているのだろうか。
……正しい?
正しいって何?
正しいって、一体何が正しいの?
「麗花様! しっかりして!」
私は麗花さんの肩に手をやって揺さぶる。
「何をなさるの。お放しになって!」
「麗花様、お願いっ! お願いだからっ!」
争う声に人が集まってくるのも気付かない程、私は必死だった。
そして私たちの身体はバランスを崩し……。
「琴美!!」
強い腕で引き戻され、誰かの胸に押しつけられた。
私は強い拘束の中、必死で振り返り、麗花さんへと手を伸ばす。
だが目に入ったのは、既に踊り場へと倒れ込んでいた彼女の姿だった。
……ああ。
この世界は私に優しい。
あまりにも私に優しいの。
そう、怪我した彼女を放ってまで、たくさんの人が無傷の私を心配するほど。
この世界は……狂っている。
――麗花さんの破滅エンドのイベントが始まった。
当事者の私を囲うように周りが人で固められている。
その間から見える、今にも倒れそうな彼女の震えが伝わってきて、私の足もがくがくと震えだした。
何とかこの流れを止めなければと思うのに、恐くて恐くて声が出なかった……。
一層のこと、倒れてしまいたかった。
何もかも投げ出して逃げてしまいたかった。
だけどその時。
ふらつく私の背中を強く押し返す手の平を感じた。
腕の方向に視線をやると、彼がこちらを強く見据えている。
まるで、これを引き起こしたのは私なのだから、最後まで見届けろと言わんばかりの瞳だった。
私は手を握りしめ、自分がした事の結末を身に焼き付けるべきだと視線を前に戻す。
すると震えてばかりいた彼女の視線がわずかにずれた。
彼女は視線の先に何かを見たのだろう。
怯えた瞳は見開かれ、やがて震えていた身体は落ち着きを取り戻し、背筋をぴんと伸ばした。
そしてゆっくりとこちらの方向に視線を戻した時、彼女の瞳は強い光で輝いていた。
その瞬間。
私にはこの世界を覆っていた殻にヒビが入り、そして砕け散る音が聞こえた気がした。
涙がこぼれた。
全てを跳ね返す毅然とした姿に。
ただ、この世界に身を委ねていた私とは違い、世界に抗うその姿はあまりにも強く気高かった。
どちらが『正しい』ヒロインなのかは、もはや明白だった。
そのヒロインには必ずそれを守るヒーローがいて。
そう、彼女の前にヒーローが現れて。
ヒーロー……が?
ヒーローがっ!??
「そ、そん、な……。隠れキャラは彼だった、なんて……」
見たよ!確かに見たよ!
何故かよく麗花さんと一緒にいる所を見たよ!
か、彼だったとは……。
で、でも。
「どうしてよっ。どうして全ての攻略者を網羅したのに、隠れキャラとのイベントがなかったのよっ!!」
私はつい叫んでしまった。
人が聞いたら、何だコイツ電波系かと思ってしまうだろう。
今、自分でもちょっと思った。
だが目の前の彼は構わず、ただ私を戒めるように、そして誰かに言い聞かせているように告げた。
決められたレールをただ辿るのは甘い考えは、この世には通用しないのだと。
自分で考えろ、自分で選択しろ、自分で道を決めろ。
私は彼の言葉を噛みしめるように目を伏せた。
そうして、動けない私たちを置き、彼女は私が求めたはずの手を受けて、颯爽と立ち去って行ったのだ。
ゲームの世界に人が転生したところから、もう既にどこかで歪みが起こっていたのかもしれない。
そして、この物語は彼女が主役だったのだろう。
いや、彼女が勝ち取った主役なのだ。
それでも私が主役の物語はきっとどこかにあるはず。
彼がそう教えてく――。
「ところで」
静まりかえった場にふさわしくない不機嫌な声で私の考えは遮断された。
……ちょっと。人がせっかく主役気分に浸っているのに何でしょうか!
今、私、多分めちゃめちゃ格好良かったんですけど!?
そう思いながら、若干睨み付けるようにしてそちらに目をやると、そこには苦虫を噛み潰したような彼がいた。
「お前、あいつが目当てだったのか?」
「は、へ、あ……?」
突然、何!?
い、いやまあ、そう、そうですけどね。
だ、だけど、今ここで、言わなくていいのでは?
何か周りの視線が痛いよ?
刺すように痛いですよっ!!
じわりっと不穏な空気を醸し出す人が複数近づく気配に……。
「ご。……ごめんなさーーーーーいっ!!」
私はその場を駆け足で逃げ出した。
その後、私の持ち物を切り裂いた本人が私の元に謝罪に訪れてきた。
彼女は私が攻略した一人の婚約者だったと言う。
ここにも私の身勝手な行動の犠牲者がいたのだ。
退学届を申し出たという彼女に私は慌てた。
そもそもの原因が私なのに。
責任を取るべきは私だったのに。
止める私に反して彼女の決意は固かった。
麗花様のように一からやり直したい、いい女になってみせると宣言した彼女もまた、どこまでも美しかった。
この世界の優しさに甘んじてきた私とは違うと思った。
私も変わりたいと思った。
今度こそ自分の足で歩きたい、そう思った。
そして私もまた、麗花さんに謝罪しに会いに行った。
そう。
私も彼女たちのように新しい一歩を踏み出そう。
歩き出そう。
……いや。は、走り出そう!!
そして私は後ろから私の声を呼ぶ、ヤンデレ化した青山怜二を振り切る為に今日も走る。
ちょっと、ちょっと私。
何の特技もないと思っていたけど、もしかして陸上選手になれるんじゃなーい!?
こんな事を考える暇があるなんて余裕だな私、はっはっはーだ!!
途中、瞳を潤ませて小さく手を振る麗花さんの姿が目に入った。
ヤンデレ化した攻略対象について相談に行ってから、時々こうして小さく声援を送ってくれているのを見かける。
やっぱりいい人だ。
感涙です、麗花さん。好きっ。
走りながら、私も小さく手を振り返した。
と。
よそ見した私が。
ビッターーーン!!
何かにつまずいて、勢いよく廊下へと倒れ込んだ。
……何だ、このドジっ子ヒロインみたいな転び方は。
打撲でじんじん響く痛みも余所に、そんな事を考えてしまう。
と。
「酷い格好だな。つぶれた蛙みたいだぞ」
頭に降ってきた一つの低い笑い声。
誰がつぶれた蛙だ!
だったら、ドジッ子ヒロインと呼べ!
……じゃ、なくて……えーっと……。
前方から踏み出すような、靴が擦れる音。
そして後方から私を追いかけてくる足音。
二つの音が私を挟み撃ちにする。
……ふ、ふふ、は。
どうやら私はまだまだ自分を変えることができないようですね。
だって、やはり願わずにはいられない。
神様!!
私にも一からやり直すチャンスを!!
今すぐ、とにかく今すぐ下さーーーいっ!!
……と。
(終)
「破滅エンド直前、転生に気付いた悪役令嬢」はこれにて完結です。
ここまでお付き合い頂きまして、ありがとうございます。
そして、たくさんの方々のお目に留めて頂いたこと、心より感謝と共に御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。




