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学校一の陽キャ美少女が、俺の匿名アカウントの熱狂的なフォロワーらしい  作者: 虎山雲龍


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2/17

第2話 教室のいちばん明るい場所と、いちばん暗い席(後編)

ひかりが自分の席に戻ったあとも、俺の心臓はしばらく落ち着かなかった。


別に、見られたわけじゃない。

スマホは伏せていたし、通知音もミュートだ。そもそも「ヨル」の名前は、画面に表示されない設定になっている。アイコンも風景写真。バレる要素はゼロ。


——なのに、なぜ。


「藤宮、顔」

「……顔がなに」

「赤い」

「赤くない」

「赤い。耳が赤い。耳が赤いやつは大体動揺してる」

「黒澤、観察やめろ」


凛は前の席で頬杖をついたまま、面白そうに俺の顔を覗き込んでいた。

短めに切り揃えられた黒髪が、首を傾けるたびにさらりと耳の上で揺れる。中学のときに「邪魔だから」という理由で肩より上にざっくり切って以来、彼女はずっとこの髪型だ。本人いわく「楽だから」。俺としては、そのボーイッシュな短さが、彼女の不愛想な目つきと妙に釣り合っていて、いっそ落ち着く。


「七瀬さんと、なんの話してたの」

「図書委員。本の返却」

「ふーん。本の返却で耳まで赤くなる男子高校生か。青春してんね」

「茶化すな」

「茶化したくもなる。あの七瀬ひかりが、よりによって藤宮陽人に話しかけてんだよ」

「……『よりによって』とは」

「だって考えてもみ?」


凛は人差し指を立てて、教室を半円に示した。


「うちのクラス、あの子と話したことある男子、たぶん全員いる。藤宮以外」

「……」

「藤宮、半年間まじで誰とも話してないでしょ」

「黒澤とは話してる」

「私はカウントしないで。私を入れたら『話してる』のハードルが下がりすぎる」


ひどい言われようだが、反論できない。


俺はもう一度、こっそり教室の前のほうを盗み見た。

七瀬ひかりは、女子三人に囲まれて、なにか楽しそうに笑っていた。手を口元にあてて、肩を揺らして、頷いて、笑い返す。教科書通りの「学校一の美少女」が、教科書通りの「朝の挨拶」をこなしている。


さっきの会話が、本当にあったのかすら疑わしくなる光景だった。


「ボカロとか、聴く?」


——あの一言だけが、俺の耳の中でやけにくっきり残っている。


「……黒澤」

「ん」

「七瀬って、ボカロ聴くと思う?」


凛の片眉が、ぴくりと動いた。

彼女は数秒、無表情で俺を眺めたあと、やや疲れた顔で息を吐いた。


「藤宮」

「なんだ」

「お前さあ。今のは、ヤバい質問だぞ」

「なんで」

「『学校一の美少女、俺と同じ趣味かもしれない』って思ってる男子の顔、本人より先に世界中の女子が察するから」

「思ってない」

「思ってる。さっきから三回くらい七瀬さんのほう見てる」

「……一回しか見てない」

「三回見た。ボーイッシュな目を侮るな」


凛は自分の短い髪を指先で軽くいじりながら、ふん、と鼻を鳴らした。


「ま、いいけど。聴くんじゃない、たぶん」

「適当だな」

「適当じゃないよ。あの子、たぶんなんでも聴くタイプ。広く浅く。クラスの女子の話に合わせるために、流行ってるものは一通り押さえとくタイプ。完璧超人ってのは、そういうとこも完璧」

「……なるほど」

「だから、藤宮の好きな『ヨル』とかも、たぶん『あー、聴いたことある〜』くらいの距離感で聴いてる。安心しろ」


凛のその言葉は、半分だけ俺を安心させた。

残り半分は、なぜかちくりと胸の奥に刺さった。


——「ヨル」が、誰かにとって「あー、聴いたことある〜」程度のものでしかない、という想像が。


笑える話だ。

俺はずっと、「誰にも知られなくていい」と言ってきたはずなのに。


「……そうだな」

「うん、そう」

「ありがとう」

「気持ち悪いな、その『ありがとう』」


凛が席を立とうとしたそのとき、教室の前のドアが開いて、担任が入ってきた。

朝のホームルームが始まる。出席をとる声、椅子を引く音、シャープペンを落とす音。教室の音量が、ひかりを中心にした朝の喧騒から、授業前の弛緩した静けさへとゆるやかに切り替わっていく。


俺は背筋を伸ばし、机の下のスマホをポケットに戻した。

戻す直前に、画面の通知欄にもう一度だけ目をやる。


————

@yoru_no_hikariさんがあなたの投稿をブックマークに保存しました。

————


知らないアカウントだ。

鍵アカで、フォロー数もフォロワー数も非公開。プロフィール欄には、ひとことだけ書いてあるのが見えた。


————

「夜の、ひかりに救われた人間の墓場」

————


——なんだ、その物騒な自己紹介。


普段なら笑って流すだけの、ファンの一人にすぎないアカウントだ。

ヨルのフォロワーは十二万人。鍵アカで熱烈に布教してくれている人なんて、たぶん何百人といる。一人ひとりに反応していたら、俺の心臓がいくつあっても足りない。


なのに、なぜだろう。

そのプロフィールの一文だけが、妙に目に焼きついた。


「夜の、ひかりに、救われた人間の墓場」


夜の、ひかり。

ひかり。


——いや。


俺は心の中で、自分にもう一度言い聞かせた。

七瀬ひかり、なんて、そんな名前のオタクが世の中にどれだけいると思ってんだ。「ひかり」なんて、たぶん日本に何十万人といる。偶然だ。偶然以外のなんでもない。


だいたい、もしひかりがヨルのファンだったとしたら——あの完璧超人の七瀬ひかりが、深夜に鍵アカで「ヨル先生の新作、今日もしんどいくらい好き……」とかツイートしている、なんて。


そんなの、人生のバランスがおかしいだろう。


俺は息を吐いて、スマホをポケットの奥にしまい込んだ。


「起立、礼」

「おはようございます」


声を揃える教室のなかで、俺はちらりと斜め前のほう——ひかりの席に目をやった。


彼女はちょうど、お辞儀から顔を上げたところだった。

背筋を伸ばし、教科書を机の上に整え、シャープペンを握り、教師のほうへきれいに視線を向けている。

その横顔は、本当に絵に描いたような優等生で、絵に描いたような人気者で、絵に描いたような——「教室のいちばん明るい場所」の住人だった。


ただ、ほんの一瞬。


授業が始まる直前、ノートを開く手が止まり、指先でスカートのポケットの上を、そっと撫でた。


スマホ越しに、なにかを確認するように。

あるいは、お守りに触れるみたいに。


俺の位置からは、その指先が震えていたかどうかまでは、見えなかった。




放課後、俺は早々に校門を出た。


寄り道はしない。コンビニにも寄らない。まっすぐ家に帰って、自分の部屋にこもる。ヘッドホンをして、DAWを立ち上げて、新しいトラックの続きをいじる。それが「藤宮陽人」の放課後の、ほぼ唯一のテンプレートだ。


夕方のうちに、新曲のアレンジを一段階進めたい。サビ前のブレイクが、まだ少し弱い気がしている。フォロワーから「サビ前で一回息を止められるのが好き」と言ってもらえる、あの感覚を、もう一段だけ深くしたい。


——その「フォロワー」のなかに。

もしかしたら、今日の朝、俺の机に手をついて笑った彼女が、混じっているのかもしれない。


そう想像した瞬間、なぜか歩く速度が、ほんの少しだけ落ちた。


「別に、誰にも知られなくていい」

口の中で、いつものセリフを呟く。


呟いて、自分でも気づく。

今日のそれは、いつもよりほんの少しだけ、嘘くさい響きをしていた。


スマホがポケットの中で、短く震えた。

取り出すと、ヨルのアカウントに届いた、新しい引用リポストの通知だった。


————

「ヨル先生の新曲、ほんとうに、今日生きていてよかったって思える曲。何回聴いても、サビ前で息が止まる。世界でいちばん優しい3秒間だと思う」

————


引用元のアカウントは、鍵がついていて中までは読めない。

ただ、そのユーザーネームには、見覚えがあった。


@yoru_no_hikari


——夜の、ひかり。


俺は、信号待ちの横断歩道で、しばらくその通知を眺めていた。


「世界でいちばん優しい3秒間」。


そんな言い方、誰にされたって、たぶん俺は一生忘れない。

そういうことを、知らない誰かは、ときどき平気で言ってくる。それが、ネットの怖いところで、いいところで——たぶん俺が、ヨルをやめられない理由だった。


信号が青に変わる。


俺は画面を伏せて、ポケットにしまい、足を踏み出した。


教室の「いちばん明るい場所」と、「いちばん暗い席」。

そのあいだに、まだ細くて頼りない一本の線が、たしかに引かれた。

今日、それが引かれたことを、たぶん本人たちはまだ、どちらもちゃんとは気づいていない。


ただ、線はもう、引かれてしまった。


そして引かれてしまった線は、たぶん——これからゆっくり、ゆっくり、こちら側に向かって近づいてくる。

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